詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■詩誌「くれっしぇんど」105(静岡 2018年12月)

■詩誌「くれっしぇんど」105(静岡 2018年12月)
主宰の高橋絹代さんの詩作品、「姉ちゃんの針さし」は胸に突き刺さる、一度読むと忘れられない作品です。
 喉頭結核で亡くなった六才上のお姉さん。折角人形の服を作ってくれたのに幼い私は「袖がない」と言って怒らせてしまう。お姉さんは人形の服にハサミを入れる。「姉の怒りようだけ ずしんと心に残った」そのときのお姉さんの顔が忘れられない。お姉さんは「成績が良かったので/女学校に進めたのに/受験は出来なかった/他の友達が通学するのを/窓から口惜しそうに見ていた」
 「八月の涼しくなる頃迄/石狩川で泳いでいたのに」という詩句で北海道旭川のことを書いていると分かる。石狩川旭川を象徴する川。昔は子どもたちがよく遊んだ。最近は子どもは川で遊ばない。そして、夏は石狩川であんなに楽しく泳いでいたのに「その後 咳や微熱が続き/結核と分かった」哀しいコントラスト。
 薬も食料もない戦争末期に、お姉さんは療養所で亡くなる。「骨になって帰って来た/まだ十四歳だった/あんなにキレイだった針さし/今 年を経て色褪せてしまったけれど/姉の生きた たった一つの証のように/私の裁縫箱に今もある」
 圧倒的な読後感。これが詩の力か。お姉さんは生きている。「私」の中で、過去になっていない。この作品を読んだ後、市内石狩川を渡るたびに、その時代はどんなだったか、イメージをかきたてられるのです。

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■渡辺宗子さんの『弦』73号(2019.1.1)

■渡辺宗子さんより『弦』73号(2019.1.1)をお送り戴き、まず嵩文彦さんによる冒頭の詩「つゆのいのちのはてまでも」に瞠目!「あなたの細胞のたいせつな/もっともたいせつなひとつを/わたしにゆづってください」 家の鍵よりも重い、生きてきた時間全体の存在の鍵、そんなものを譲ってしまったらDNAを解析され、クローン人間を造られてしまうかもしれない。例えば小さな皮膚の欠片や、血液のしずく、些細なものであるようで、生命の情報が詰まった宇宙であり、目に見えなくても、無限の営みが永劫に繰り広げられる。「わたしのいのちの尽いはてたあとまでも/あなたのいのちに/つゆが宿った/あとまでも」・・・〈ゆづる〉〈尽いはてた〉古くて新しいような印象的な言葉の響き。

 渡辺宗子さんの「半眼微笑のオマージュ」は、11月4日に(公財)北海道文学館で行われた朗読会「一穂への遙かなる最弱音ピアニツシモ)」にて宗子さんが朗読された、私にとってはとても想い出深い作品です・・・。そのとき僭越ながら柴田はピアノ伴奏させて戴いたのでした。確か吉田一穂「道産子」を読まれた後に、朗読されたはず。一穂のさまざまな作品が想起される硬質な詩句。「茫洋と展けた彼方に/世界の真珠海市(かいやぐら)/高くいななく/道産子の瞳に映して」吉田一穂がその生涯で視てきた景色、一生をかけて編まれた詩のビジョン達が、道産子の瞳に荘厳に重ねられているよう。「無限と永遠のはざま/鷲が舞う」

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■村田譲さん(詩人・北海道詩人協会会長)のブログ「空中庭園な日々」に、詩誌「フラジャイル」第4号をご紹介頂いております。

 

■村田譲さん(詩人・北海道詩人協会会長)のブログ「空中庭園な日々」に、詩誌「フラジャイル」第4号をご紹介頂いております。嬉しくて、誠に、ありがとうございます!!

 木暮純の詩作品「フラジャイル」へのご感想について、まったく同意見であります。こりゃすがすがしいわ^^とさえ思いました。編集のとき、感嘆符「!」太くしちゃいました。わはははは☆

 聖なるイクパスイの謎解きをテーマに、今年は探究致したいと思います。函館の北方民族博物館には、工芸品のような美しいイクパスイが何本も展示されていました!
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道内外様々な詩誌が紹介されている、村田譲さんの素晴らしいブログはこちらより、是非、ご覧下さい☆
http://blog.livedoor.jp/gliding_flight/archives/2094175.html

blog.livedoor.jp

■萩原貢さんの新詩集『ケサランパサラン』(緑鯨社)

■詩集『ケサランパサラン』萩原貢著(緑鯨社)

ケサランパサラン〉とは何か?白い毛玉のようで、ふわふわと空中を飛んでいる、妖力を持つ不思議な物体に生と死の狭間を時間と空間を越えて案内されているような、稀有な体験・・・ ジェイムス・ジョイスのダブリン、ルー・リードのニューヨーク、チャールズ・ブコウスキーロスアンゼルス・・・小樽は萩原貢さんの街。

「公園の坂へ抜ければ/光のエスカレーターでおりてくるどのひとも/見しらぬなつかしいひとたち」(「あみだくじ」)

どの景色にも懐かしい人たちとの思い出や物語が染みこんでいるよう。同じ景色も無限の表情を見せる。時空を超えて言霊が灯す明かりの中に、雨音の中に、息づいている。

「不眠の瞼を闇にひらいて目を凝らせば/あれらの日は/確かにあったさ」(「青春」)

どこから読んでも、小樽がこみあげてきて、萩原さんの作品を読んでいるはずが、自分が小樽で住んでいたときの記憶と重なって、ああ、この情景は多分、あのときの場所のことだ、とか、あのときの人たちは一体どうしているのか、もうこの世にはいない人もいると急に思い出し、駆けだしたくなる、とても濃厚な50ページ。どこから読んでも、飽きることなく、惹き込まれる。際限なく街を彷徨させられるのです。

「おい ここだよ/『望洋館』があったのは/やあ ずいぶんと立派な家が建ってるじゃないか/どんなやつが住んでるんだろうね/なんてはしゃぎながら/かの幽霊と肩を並べて/濃い霧の色をにじませる花の下/はるかな祭りの日を歩いたのだった」(「祭りの日」)

「あのひとがよんでいる/霧のきりぎし/ゆれる花のかげ/どんな約束が待っているとしても 急げ/いつか歩いた坂の道・・・/いや ちがうかもしれないな/と思いながら/歩きつづける」(「約束」)

 幻燈師によって古き街は編まれる。

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堀江 敏幸氏の「2018 この3冊」に、『火ノ刺繍』吉増剛造著(響文社)!!

■昨日アップされていました・・・堀江 敏幸氏が選ぶ2018年の3冊に、吉増剛造先生の『火ノ刺繍』(響文社)が紹介されていました。

「重量感のある大冊だが、読み手を圧倒したりはしない。どの頁(ページ)も風の形象のように軽く舞う。ただし言葉は飛散しない。糸でしっかりかがられている。指でなぞると、所々に存在の突起みたいに感じられる糸瘤(いとこぶ)が、小さな光を放つ。」

この一冊を携えて道内各地を巡った2018年、たくさんの方たちが吉増先生の講演に集まり、お話にじっと耳を澄ませ、この厚くて大きな本を買って、サインに並ぶ現場を目撃したこと、忘れられない宝物の憶い出、どのページもしっかり、かがられています。embroidery

小誌「フラジャイル」第4号(2018-12-20発行)に掲載させて戴いた杉中昌樹さんの詩論「吉増剛作用語集15」に、「・・・・・・・」は刺繍の針の穴であるとのご指摘に新鮮な驚き。10月21日に吉増先生が酒井忠康氏と対談されたときに吉田一穂自筆の「、」「。」点が《真ん中に来ている》ことに驚かれた、そのレベルに近いような、私たち常人とは違う、別次元の研ぎ澄まされた感覚・・・感動しました。北海道に火が刺繍された一年でした^^

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堀江 敏幸「2018 この3冊」C・P・カヴァフィス『カヴァフィス全詩』(書肆山田)、吉増剛造『火ノ刺繍』(響文社)、スズキコージ作/かたやまけん絵『やまのかいしゃ』(福音館書店)

2018 この3冊
(1)『カヴァフィス全詩』C・P・カヴァフィス著、池澤夏樹訳(書肆山田)
(2)『火ノ刺繍』吉増剛造著(響文社)
(3)『やまのかいしゃ』スズキコージ作、かたやまけん絵(福音館書店

(1)は本当に長く待たされた一冊。現代ギリシア語による百五十数篇の詩を日本語に移し替えるのに、訳者は四十年の歳月を費やした。『現代詩手帖』に連載されていたこの訳業に触れたのは、二十歳の頃だ。もう来ないかもしれないと思っていた麗しい蛮族の来襲を喜びたい。

(2)は重量感のある大冊だが、読み手を圧倒したりはしない。どの頁(ページ)も風の形象のように軽く舞う。ただし言葉は飛散しない。糸でしっかりかがられている。指でなぞると、所々に存在の突起みたいに感じられる糸瘤(いとこぶ)が、小さな光を放つ。

(3)は版元を変えての、久々の復刊。主人公のほげたさんは、現代社会の蛮族だ。人や時間の流れと反対方向に進む勇気を、渾身(こんしん)の脱力をもって示してくれる。あたりまえの風景を次々に異化していく彼の姿に、深く励まされた。

 

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2019年1月9日(水)の北海道新聞夕刊《道内文学・詩》にて、

■昨日1月9日(水)の北海道新聞夕刊《道内文学・詩》にて、若宮明彦先生の「Asgard」創刊号(原子修先生、フラジャイル同人の小篠真琴さんも作品寄稿!)、小誌発行の昨年末御葉書を戴いたお二人の詩人、「青芽」の先輩でもある伝説的詩人渋谷美代子さんと、昨年イベントで何度かお会いできた着物姿が忘れられない佐藤裕子さんの美しい「YOCOROCO」のこと、そして私たち旭川詩人クラブの「詩めーる旭川」のことをご紹介戴きまして、とてもとても嬉しく拝読させて戴きました。「きょうの 今・・・」高野みや子さんの詩「ふわり」が紹介されていて、折り紙の鶴のごとく一篇の詩が、一日が編まれる。折り紙のように隅をきっちり折らなきゃ成立しない仕事をふわりと追憶、11月の合評会でも話題になった作品☆(今月15日にもホテルで旭川詩人クラブの新年の集まりありますが仕事で行けない・・・)
 こうした50部~300部程発行の小さな詩誌の取り組みが評価されて、北海道にも良い詩誌がたくさんある、胸いっぱいの夜吹雪の中、除雪した温かき夜☆
 ところで(公財)北海道文学館の理事長平原一良先生よりお手紙を戴き、括弧の使い方について、雑誌は「」、本は『』に表記統一を!との御指導を賜りました。詩誌は「」か。誠に、ありがとうございます。m(。_。)m

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「手伝う」 柴田望

手伝う

 


匿名
に棲む、
私が他人
の《何か》
を書く書いて
いる私を他人と
して私が悟る読ん
でいる他人は私であ
る他人に授かる私の他
人に読まれた《何か》を
永訣の私に束ねる偽りを見
た他人の私を《誰か》の精神
的支柱に織る私は一体《何》を
どう見てどう書くのか書いている
私にこれ以上育てられた他人を味わ
う私を《誰》が《何》を何時何分何秒
にどう感じた? 読んでいる他人に消さ
れた履歴の天秤はしずまる他人として偽る
私が他人をシランプリ全力で飼う語っている
私を他人として私の《何》もない核心に迫る他
人が忘れた過去を私の擬態として陰で踏みにじる
私が撃つ極の他人の発言を捻じ曲げる他人として彷
徨う私は《誰か》を悼む韻律の動詞を重ねる昨日まで
《誰か》が居座る他人の視点で書かれた直喩の私が明日
決定を強いる原理とはかけ離れた錐形の他人が昨夜天碧に
身を曝す読んでいる他人は液晶の私である明日の晩産まれる
これからの私を書く他人の句点が今宵《何か》の変調をきたす

(あらかじめ前触れもなく、思いがけず予期された疎外で)

(世界の内に居る私が、私の中に世界を放つ)
(私の中に在る世界が、世界の内に私を誘う)

(あなたと出会う)

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