詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■髙野尭さんの詩集『 逃散』(七月堂 2020年7月)

■昨年の現代詩手帖詩書月評で福田拓也氏により「語の相互否定によって生み出される無意味、空白、「虚」が一つの詩的光景の破片として閃光のように出現する。」と絶賛されていた、髙野尭さんの詩集『 逃散』(七月堂 2020年7月)をようやく全篇読ませて戴き、前記から閑文字までの壮大な世界を体験させて戴きました。大学時代に初めて、堀川正美や渋沢孝輔天沢退二郎などを読んだ時の感動が甦るようでした。ある時代から「現代詩」がやめてしまった冒険が再開されたような、個の物語が大きな時代の流れそのものを映す力を、言葉の威力を改めて感じました。新鮮な気持ちです。表現の極地を目指し、言葉の規則を破って未知の感覚の領土に読者を導く、その一見無意味とか不要不急と呼ばれる絶対に必要な歓びを受け側に与えることは詩のみならずあらゆる芸術に課せられたの役割の一つではないかと考えます。現代を覆う共同幻想(意味)の規則に(無意味で)「逆立」し、「逃散」する詩語、文学の創造力の可能性。
 p76「雨」という作品と、p220「あうら」という作品にはとくにマスクが不可欠となった昨年、再び注目を集めた映画『風の谷のナウシカ』のメーヴェ(ドイツ語で「カモメ」)が登場。ケムトレイルの空の下、マスクとフェイスシールド完備にて、この詩集を読みつつ通勤、逃散する。現実と向き合う。

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向き合う。
 

■漂着物学会会報「どんぶらこ」Vol.67(2020年12月号)

■漂着物学会会報「どんぶらこ」Vol.67(2020年12月号)を拝読させて戴きました。【ブックガイド】に昨年6月に発行された若宮明彦先生の詩論集『波打ち際の詩想を歩く』(文化企画アオサギ 2020年6月)が、はやししげお氏によって紹介されています! 「漂着物考・渚の博物誌」から、詩人ならではのビーチコーミング(海岸などに打ち上げられた漂着物を収集の対象にしたり観察したりする行為)案内、「その中でも特に気に入った一節」として、次の文が引用されています。「漂着物にはいろいろなものが見られる。自然物から人工物まで様々である。海から来るものもあれば、陸から来るものもある。このような多様性が、多面的に漂着物を調べることができる間口の広さにもつながるのである。」、海と陸、自然物と人工物、無機質と有機物の境、多様性にも詩想は宿る。科学者と詩を結びつけるものは何か。「地質学の基本はラボワークではなくフィールドワーク」との論考も興味深く拝読させて戴きました。
 会報冒頭に奄美奇岩資料「今里立神」。海の彼方からやってきて幸いをもたらすテルコ神を迎える。海への憧憬と畏敬の念。太古からの神話の説明に、新年の夢を膨らませております。
漂着物学会

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■詩誌「詩人第7世代」Vol1‐2(自然体同好会)

■詩人・渡辺八畳氏より、フラジャイルへ詩誌「詩人第7世代」Vol1‐2をお送り戴きました。感謝申し上げます。気鋭の才能、メンバーは少数精鋭。2020年10号より隔月発行!! 1号は「お笑い」、2号は「ラーメン」と日本の誇る文化への照準が明確に定まっており、現代の空気を切り取り、読者へ提示している。次は「漫画」でしょうか。
 「大人ってのはつまり大人っぽくふるまった人のことよ~~かが屋「市役所」から~~」(渡辺八畳作)は、詩人の視点からお役所のゆるい感覚にツッコミが入っている。待合室に置いてある冊子は有用ではない=不要不急なのか。ゼクシィは有用ですか。少子化社会だから?
 「世紀末餌食匹夫」(渡辺八畳作)、なぜラーメンが核戦争なのか。閃光が走るのか? 核は出汁か? 自分との闘いをメタ認知している。黒羽黎斗氏の詩篇(「クロマトグラム」「アプレンティス」)は突然「「ラーメン」より二篇」として紹介される。「ラーメン」とは何か。測定結果? リアリティ番組? 各詩篇の本文は一見ラーメンとは全く関係が無いのが素晴らしい。高嶋樹壱氏の「かえだま」の嬉しさ温かく。好きなラーメンに旭川山頭火を挙げてくれている。
 福島は全国有数のラーメン文化圏であるとのこと。ぜひ北海道(札幌、旭川、小樽、函館など)の各名店もご案内したい。
 今はどういう世代の時なのか。「進撃の巨人」や「鬼滅の刃」のような、闘わざるをえない状況に追い込まれるストーリーに溢れる時代に逆立し、詩の想像力がユーモアを忘れてはならないことに、気づかされました。誠に、ありがとうございます。

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■2021年1月12日発行のあさひかわ新聞(北のまち新聞社)にて、創刊3周年詩誌『フラジャイル』第10号刊行と二宮清隆さんの第3詩集『海へ』(フラジャイル)について

■本日2021年1月12日発行のあさひかわ新聞(北のまち新聞社)にて、創刊3周年詩誌『フラジャイル』第10号刊行と二宮清隆さんの第3詩集『海へ』(フラジャイル)について(ともに2021年1月1日発行)、書影とともに、大きく記事にして戴いております。

 詩誌『フラジャイル』第10号(3周年記念号)、巻頭詩篇「雪だるまの地平線」を書かれた詩人・渡辺宗子さんの御紹介と、昨年日本詩人クラブの功労会員として顕彰されましたこと。収録させて戴いたサッポロアートラボ〔サラ〕の高橋純先生、柴橋伴夫先生、嵩文彦先生の鼎談「文学における普遍性と特殊性」。「誌上祝賀会」の試みについて。

 二宮清隆さんの詩集『海へについては、詩人のプロフィールも詳しく、木暮純さんによる帯にも触れて戴き、誠にありがとうございます。
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《詩誌「フラジャイル」お取り扱い》
■書肆吉成 様
〒065-0026 札幌市東区北26条東7丁目3-28
http://camenosima.com/

■こども冨貴堂 様
〒070-0037 北海道旭川市7条通8丁目左2−1
http://fufufunet.kids.coocan.jp/
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ジュンク堂書店 旭川店 様
〒070-0031 北海道旭川市1条通8−108 4階 ~5階 フィール旭川
https://honto.jp/store/detail_1570068_14HB320.html
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コーチャンフォー旭川店 様
〒078-8391 北海道旭川市宮前1条2丁目4−1
http://www.coachandfour-asahikawa.jp/
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■ひかるえのぐ書店 様
https://hikaruenogu.thebase.in/

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■「阿吽通信」No.4(阿吽塾 2021年1月10日発行) 「あざやかな青は目の前を消えています」(海東セラ詩集『ドールハウス』(思潮社)を読んで) 

■「阿吽塾」綾子玖哉氏の発行される「阿吽通信」No.4(阿吽塾 2021年1月10日発行)が届きました。「あざやかな青は目の前を消えています」と題し、海東セラさんの新詩集『ドールハウス』(思潮社)を拝読致しました感想を、原稿用紙6枚(2400字)程の拙文を寄稿させて戴いております。こちらにもアップさせて戴きます。
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「あざやかな青は目の前を消えています」
(海東セラ詩集『ドールハウス』(思潮社)を読んで) 
柴田望
 人と人形、有機物と無機物、光と闇、形あるものと無いもの、生と死、言葉を発するものと言葉にできないものによって建築は幾何学と生物学の両方の規則を織り上げる。生活はあまり感じられない。整理整頓されていて掃除も行き届いているのに、どこまでも奥深くて複雑な機構。秩序の段階が形成される。深い層へ進みたくて鍵を探る。その意味では夢なのかもしれない。幼い頃から繰り返し見る夢に出てくる家だろうか。あるいは花、鳥、風…各タイトルが夢への扉で、水差しの花のような鍵穴のような「*」(アスタリスク)が手掛かりの註釈へ導く(タイトルだけではなく「ミルク」「庭」「動線」「換気」「オープンハウス」のように本文中の詩句に置かれる場合もある)。専門的な語彙による丁寧な説明が詩篇のイメージと溶け合い空間に響く。
 ドールハウスとは何か? 「ドールハウス(英: doll's house、米: dollhouse)または人形の家(にんぎょうのいえ)は、一定の縮尺で作られた模型の家のこと。建物の外観よりも部屋の内装、家具、調度品、人形などによって生活空間を主に表現する。」(Wikipedia)。模型であり、外観より内装であり、表現である。なるほど、膨大な言語部品によって組み上げられた一冊のエクスペンシブな模型、展示品。十九世紀ヨーロッパの代表的玩具。本物の生活と遊びの境はどこにあるのか。外観については一篇のみ(「外壁」)なので、どちらかというと内装(「下廻り階段」、「床」、「砂壁」、「窓辺だけの部屋」、「ドールハウス」、「天井」、「屋根裏」、「夜の食卓」、「廊下」…目次を見るだけでもわくわくする。)が主題かもしれない。「内装、調度品、人形」や、「ひかりと影と風」(「プリズム」)、形のあるもの、無いもの、視ること、聴くこと、触れること、嗅ぐことのできるもの、できないものたちに伴う思想が多重に息づいている。表現しているのは生活空間だろうか? 人はあまり出てこない。イプセンの戯曲『人形の家』のごとき人間のいざこざはない。血なまぐささもここにはない。詩篇「仮寓」と「オープンハウス」にはたくさんの人が登場するが、〈今生きている〉という感じがしない(「ニュータウン」の時代の賑わいだろうか)。だから人や人形よりもハウスそのものから湧きだされる(本当は言葉がハウスを彫りだしているのだが)詩が編みだす物質が辿る長い旅や、止まっている時間の断面の向こうから拓かれる音楽の宇宙的印象を感覚したい。「余白だった場所が部屋のすべてにおよぶ、これら渾沌は住まうひとらの表象とおぼえるべきで、余剰の生かし方は殺し方である」(「デッドスペース」)。すると殺し方は生かし方。創作の極意のような「デッドスペース」の見事な発露にも注目したい。
 〈今生きている〉感じの波動を二つ挙げるとすれば、一つは植物の匂い。例えば「庭」。ここも過去に満ちているが、手の付けられない「厄介」さに途方にくれる生活者の視点が在る。「「思い出花」の後ろには戦争がある」「庭ほど厄介なものがないことは季節を通して庭の草を抜いた者ならわかろうもので、徒労感と悲壮感はつのり、犠牲になる者もいます」(「庭」)。「戦争」という単語にどきっとさせられる。戦争の時代から庭も家も在るのだろうか。どの戦争だろうか。「根のイマージュにしたがってゆく深さの夢は、その神秘的な滞在を地獄の場所にまで及ぼすのである。壮大な柏は《死者の王国》とつながっている」(『大地と休息の夢想』ガストン・バシュラール)。たとえば太古の森の植物が繁茂している様子や、十九世紀の屋敷などは永久を連想させると思う。「永久は太り、増幅します。」(「永久」)。建築はまた植物のように成長し次元を増す。「接続性をもつようで折り合いをもたずに、越境の限りをつくす」(「たてまし」)。サグラダ・ファミリアは二〇二六年の完成が予定されていたが、現在は感染拡大防止のため工事中断を余儀なくされている。もう一つは「換気」に登場する、青い鳥だ。冬の窓から「吹雪のきれぎれを燦めかせながら」部屋に飛びこんできた、この鳥の存在を、じつはずっと感じながら読み進めていた。「風にのってあがればまたここへもどってくるかもしれない」(P5扉文)、「鳥が尾羽をひらいたかたちで」(「下廻り階段」)、「まぢかで息を吹きかけて、かたっぱしから鳥に変えてみたいわ」(「プリズム」)、「わたしが発することばは窓を超えて羽ばたいてかまわず、窓辺で受けた佳いものを渡そうとすればおびただしく舞い降りてきます」(「窓辺だけの世界」)、「あおく透明な羽根がうっすら風をめぐらせて」(「天井」)、「夢想はだんだんみずからを啄んでゆくもの」(「屋根裏」)、「夜があけるともう鳴いている鳥のことを知っています。」(「夜の食卓」)、「通り過ぎてゆくように見える小鳥らはつぎつぎ種を植えつけて飛来はやまないもの」(「庭」)、「裏手に埋めた小鳥は壁によみがえり、雨に翼を広げます。」(「外壁」)、「あのあと鳥をどうしたか。雪の庭に埋めたか、蘇生させたのか。」(「換気」)、鳥は埋められたのだろうか。生き返ったのだろうか。死が羽音を鮮やかにする。そして「永久」には、永久に死なないガラス製の水飲み鳥が登場する。「永久をありがとう。永久はこたえます。鳥の帽子は赤、エーテルは青でしたよ。」…鳥がドールハウスに与えるのは世界の広さと風と永久だけだろうか。小学生の頃、冬休みに家の煙突に落ちた小鳥を父が窓から空へ逃がした、懐かしい想い出があります。あのときの青い空、エーテルの青を想起しつつ、「またここへもどってくるかもしれない」(P5扉文)象徴が呼びさます夢幻的再会。

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■渡辺宗子さんの「弦」79号

クロネコヤマトメール便が、うちは届くのがいつも遅いものですから、1月4日(月)の夜にようやく拝受しまして、見慣れた「弦」の封筒を拝見し、玄関でしばらく立ちすくみ、年末の訃報をいまだ信じられず、情けなく泣いておりました。信じたくない気持ちに向き合わなければならないと、開封する勇気を奮うまで数日かかりました。渡辺宗子さんの最後の「弦」79号。嵩文彦さんと長屋のり子さんの連名の御挨拶文が同封されておりました…胸熱く、誠にありがとうございます。
 詩篇「花の好きなうし」、渡辺宗子さんらしい、時代を照射する鋭いまなざし、現在のパンデミックの状況に重ねられるように、10年前の伝染病(口蹄疫)家畜の処理、強制誘導される幾万頭のなかに、動かない一頭を幼い少年の声(うた)だけが導く、レンゲとコスモスに囲まれた、子どもたちの輪と光のイメージ。今新型コロナ感染の時代を生きる、集計される私たちは何に導かれて進むのか。
 嵩文彦さんの詩篇「しゅったつ」、新しい時代に踏み進まねばならない試練を人類は経験しています。もう戻れない日、たくさんの笑顔に満ちていた時。「しづかにながれているのだった/花のたそがれのかおりを/たいせつにたくわえた/深淵はかすかなあかるさにうるおっていた」という詩行と「白いバス停」「白い時刻表」という詩句で私が想起するのは、嵩先生も渡辺宗子さんも参加されていた、ある9月の朗読会、小樽白鳥番屋のバス停です。「祝津3丁目」で降りては早すぎて、「祝津」で降りなければなりません。あの白鳥番屋で…当時、私生活が完全に「詩生活」になっており、道内のあらゆる文学のイベントに参加致しておりました柴田を「あなた、仕事があるんじゃないの?こんなことばかりして…」と叱ってくださったのは宗子さんだけでありました(笑)。北海道横超会でもご一緒で「弦」を創められた経緯や御活動の経験について等、何度か貴重なお話を戴きました。宗子さんに言われましたのは、詩誌の活動で大切なのは、例えば有名な方の寄稿を戴くことが目的ではなく、詩のグループの諍いやしがらみでもなく、純粋に詩を読んで、学んで、書いて、発表していくこと。書くことは「秩序に対して挑戦していくこと」、「抵抗と批判の精神」を詩想とすること。お教えは一生忘れません。感謝を言葉では言い尽くせません。申し訳ございません、まだ考えが整理できておりません。また改めて書かせて戴きます。

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■《現代詩書下ろし一詩篇による詩集・懐紙シリーズ》第三集、木内ゆか詩集『【気密のストロー体】』(阿吽塾・2020年12月21日・限定250部)


  ふれきしぶる
   フラジャイル
  ふれきしぶる
     フラジャイル 
 (木内ゆか『【気密のストロー体】』)


 再度、詩人・木内ゆかさん(「詩の牧場」「フラジャイル」同人)の詩集について。「阿吽塾」綾子玖哉氏の発行される、《現代詩書下ろし一詩篇による詩集・懐紙シリーズ》第三集、木内ゆか詩集『【気密のストロー体】』(阿吽塾・2020年12月21日・限定250部)。17ページの一篇が収められた一冊の詩集(「阿吽塾」の新しい試みである《懐紙シリーズ》第一集は小笠原鳥類氏『『吉岡実全詩集』の動物を見る』、第二集は高塚謙太郎氏『詩篇Aa』)。スミカッコ(【】)もタイトルの一部なのでしょうか。「密」が禁じられた今、「鬼滅」ではなく「気密」の、無限のストロー繊維を持つ生き物である私たちの住む、組織体の管だらけの都市に、インプロヴィゼイションの管弦楽またはパイプオルガンによる、モダンジャズの、長い長いソロのような、アイディアに富んだフレーズの応酬を、ありがとうございます。爽やかな粘着質のどろどろとした内部で、語の閃き!を、飽きることなく聴き続けています。インタープレイのような「【自我と非自我】/【ポジとネガ】/【君と僕】とが/入 れ/変 わ/りそう・・」共同と個人、顕在と潜在の意識の透明の通路を光の速さで行き来する、一義的には捉えられない複合を刹那的に生きる瞬間が刻まれているよう。


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残存していたミュージックが【組織】のパイプから立ち昇り
タイルの小宇宙を満たしている。四十度前後で
ストロー繊維の結束はゆるみ ビニール素材もやわらかくなる。ピンク色の
【大根組織】が気道から発する「コエ」の流れはのびやかな夜だ。
蛸も クラゲも 裸電球も ホオズキの中でゆらぐのだった。
組織は綿の布団に包まる。吸盤が目を閉じると
星々がうたう。
 (木内ゆか『【気密のストロー体】』)

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