詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■佐相憲一さんの新詩集『もり』(澪標)と『痛みの音階、癒しの色あい』(コールサック小説文庫)

■佐相憲一さんの新詩集『もり』(澪標)と『痛みの音階、癒しの色あい』(コールサック小説文庫)を、最近ずっと持ち歩きながら読ませて戴いております。私の技量不足では、この感動を言い表すのはあまりに難しく、拙い感想文にて恐縮ですが、ここに書き記したく、試みさせて戴きます。
 佐相さんの2015年の詩集『時代の波止場』の「そうであってはならないことに与しない」(金時鐘)ご姿勢の鋭い詩句に打たれ、その大きな背中を追いかけたい気持ちでおりました。『もり』で試みられている表現の到達点は生の根源に関わり、沈黙の中をさらに深く広がっていく。「光の反射はかなしみの湿度と関係していて/死の予感のする現実のなかに色彩が生じた」「とらえられないと思っていたひろがりは/星のコンパスを促す生の音階の内側にあった」(虹)
 あとがきには「森の語源は茂り、盛り、茂って、盛り上がり、多様な木々が盛んなところ。人類の原郷であり、畏怖すべき自然界の象徴であり、また無意識という内なる異界でもあります。」とあります。先日6月23日に旭川市で行われた〈東鷹栖安部公房の会特別講演〉、片山晴夫先生の講義では「壁=練る=寝る=夢、日本の伝統的な古語では壁は夢を表す」という着目から、新たな論が展開されました。言語が遺跡であることを忘れて、私たちは普段使用している。〈雲〉と同じ響きを持つ〈蜘蛛〉の不思議さ、生体としての素晴らしさを教えてくれた叔父さん〈たかしおにいちゃん〉との思い出を主題に、人類の起源や地球上のすべての生き物の関係性をも浮き彫りにする「樹海の蜘蛛」も圧巻、映画のように鑑賞。「ぼくは妻に叔父のことを話す。彼女は真剣に聴いている。〈優しい叔父さんね〉。」(「樹海の蜘蛛」)優しいのは叔父さんと語り手の両方である。「疎外されたものの側に立つというよりは、わたし自身が生来、疎外感を抱えてきたので、共感がわいてきます。」(あとがきより)。佐相憲一さんの毅然とした姿勢が、夕暮れのように広がっていく限りない優しさによって支えられている。「心の独創性を殺されるのを防いでいくなら/きみは立ちどまる勇気をもたねばならない/一日の終わりは決して夕刻ではないのに/なぜ人は夕焼けに終末と再生を見るのか」(夕暮れ)。この詩作品「夕暮れ」は、小説『痛みの音階、癒しの色あい』作中にも登場。詩作品「西武拝島線沿線」、「横浜の少年は世界で最も仲が悪く敵対しているらしい米朝のラジオ放送を交互に聴いた。」を読み、小説の構造としてラジオ放送という器に、交差する物語たち(小さな世界での縄張り争いや威力行為の晒し合いに巻き込み巻き込まれ合う現実なんて、これら無数の物語の一つに過ぎないと分かる)、たくさんの声、音楽、詩……ラジオ番組は森であり、茂り、盛り、茂って、盛り上がり、多様な木々が盛んなところ。キングクリムゾンの傑作のごとく実験的でありながら完成形の結晶体を、今まで何故佐相さんの詩作品から、あらゆる音楽や声が聴こえてきたのか、どのページからスタートしても飽きることなく読ませて戴き、その謎が紐解かれていく、不思議と想起するのは登場人物や小説の場面ではなく、幼い頃の車中、雨の放課後、自分がラジオと向き合った体験の記憶、フラッシュバックをたくさん、戴きました。ありがとうございます。

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