詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

◆10月2日(火)テンポラリースペース中森、◆10月3日(水)小樽文学館、ありがとうございました。

◆10月2日(火)、(吉増先生が「札幌のアートの核へようこそ」と言われる)テンポラリースペース中森さんで行われた吉増剛造先生と《花人》村上仁美さんのイベントに伺わせて戴きました。吉増先生の銅板や、石狩川の芒に星の火花が編みこまれた大きくてつつましやかな生け花にもインクが落とされて、落としたご本人がアイマスクを外して初めて見た瞬間の驚きが非常に大切であって、そうした状態を作らなければならないという貴重なお話を戴きました。それは演奏されるたびに結果の異なる偶然の音楽のようでもあり、銅板のインクや生け花、スペース全体が芸術である、もの凄いオーラに満ちた稀有な空間で、「こうして一人の芸術家が誕生した、・・・・・・。」と盛大に祝福されたその場に立ち会わせて戴き、感激で言葉もだせず。インクが落ちるまでの瞬間は一瞬ですが、一篇の詩が最初の着想を得てから書き上げられるまでの時間、あるいは『火ノ刺繍』という一冊の本が世に編みだされるまでの時間はまさしくインクが落ちている時間であって、あらゆる偶然や想いの組み合わせ積み重ねインクの落ちた結果を、初めて見たときの、驚きと感動、すべての仕事に通じるような、物の見方が大きく変わるようなお話を戴き、まさに瀧口修造らが日本に紹介したシュルレアリズムとは、日常生活に影響や変化を及ぼすものだということを経験させて戴きました。「雨ってどうして降るんだ、そんなこと誰にもわからない、・・・・・・。」ペリカンの紫が落とされた銅板は天候によって刻一刻と変わる航空写真のようでもあり、そこには無限の情報が刻まれていて、作者は無限の世界を提供している。読者はそれを無限に読みつくせる。作品はそこで終わりではなくて、「これを映像に撮って、その画像にまた手を加えていく、・・・・・・。」 書いた後も決して書き終わることのない詩のように。昨年12月、旭川で吉増先生がインクのパフォーマンスを行われたとき、「僕は瀧口修造の弟子だから、こういうことをしなくちゃならない、・・・・・・。」と仰られ、その一言がずっと熱く胸に突き刺さっていて、『火ノ刺繍』を手に入れて一番最初に探したのは瀧口修造についての記述でした。そこに書かれていた「瀧口修造の写真には獲物がいない!と叫ぶようにして気がついていた」という言葉については、あれから様々な資料にあたってみたけれどまだ掴めていない。しかし「直接に未知の実在につながる」という記述については、アイマスクを取った瞬間に起こる奇跡としてあの場にいた誰もが直接に視た。
 翌10月3日(水)小樽文学館で恐れ多くも発言の機会を戴いた際に、テンポラリースペース中森さんで戴いた奇跡のような透き通る宝物のDMを、50人以上のお客さんに回覧をさせて戴きながら、上述のお話をさせて戴き、そのとき吉増先生はステージをゆっくり降りて来られ、銅板や原稿に赤いインクを落とされて、会場には「火ノ刺繍」の素晴らしい評釈を書かれた髙橋純先生 (一篇の詩がこうして読まれていくんだ、というスリリングな稀有な体験をさせて戴きました。『フラジャイル』第3号に掲載。)も来られて、髙橋純先生が持参された木ノ内洋二さんの幻の原稿が玉川館長の手に渡された瞬間、玉川館長より瀧口修造が小樽で看取った美しい姉の経営していた文具店が特定された瞬間のお話、木ノ内洋二さんの手からイクパスイが吉増先生に渡された瞬間、玉川館長が瞳に熱いものを溜めて木ノ内さんのことを語って沈黙された瞬間、吉増先生がアイマスクをして銀の古代天文台の詩を朗読された瞬間、木ノ内さんがいつも持ち歩いていた大切なトランクに入れていたイクパスイがもう一本あると分かった瞬間、「直接に未知の実在につながる」瞬間、インクが雨のように落ちて「雨ってどうして降るんだ?」アイマスクをしてその音楽を聴いたときの、アイマスクを外してその音楽を観たときの、大切にしまわれていた真実がだんだん顕れる、世界が別の様相を帯びてくる驚き。その場にいた方たち全員と実感を共有できた、そんなまたとない凄い会でありました。これが詩の力なのか。
 そのせいか、奇跡のような二日間の最後に、小さな打ち上げがあって、小樽のお寿司屋さんを出たとき、吉増先生についに打ち明けてしまいました。それは、柴田は高校大学と音楽に明け暮れて、ジャズやロックでピアノを弾いて、チック・コリアゲイリー・バートンと握手したこともあって、様々なミュージシャンの影響を辿っていくと、そこにはギンズバーグやケルアック達のビート・ジェネレーションがあって、そういうのばかり読んでいました。そのとき日本の詩人で読んでいたのは吉増剛造だけで(ドアーズやルー・リードボブ・ディランを聴くのと同じときめきで吉増剛造を読んでいて、吉増詩に比べたらボブ・ディランなんて古い)、他の日本の詩人は読んでも全然わからないし、読む必要も無かったことを、最後の小樽の不思議な夜に、今考えるともの凄く恐縮なことなのですが、なぜか自然と吉増先生ご本人へついに打ち明けてしまって、すると吉増先生は、それを貫けばいいのだと、励ましてくださって、柴田の書き方についても、とてもありがたい御言葉を戴いて、「変な詩論なんて必要無い、これから、今までの詩も全部変わるのだから、……。」と仰られ、今日の会の大切な瞬間のお話をされて、あれが詩の力なのだと仰られて、……。戴いた御言葉を宝物にして、自分は生涯大切に抱えて、書いていくのだと小樽で決意した瞬間からまだ24時間経っていない今日が信じられないくらい熱い。

 

2018-10-04.

 

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