詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

石川郁夫先生の「文学講座」 特集:安部公房

■10月25日(木)13:30~15:30
 まちなかぶんか小屋(旭川市7条通7丁目32)にて行われた石川郁夫先生の「文学講座」に参加させて戴きました。
 当初、7月26日に予定されていたのですがその日は石川先生のご体調すぐれず、延期された振替講座でした。
*

・昭和26年、「壁-S・カルマ氏の犯罪」で安部公房芥川賞を受賞。小説家石川淳が強烈に推した。
石川淳は小説作法を完全に意識した作家であり、《文が生まれ、その句点までの文が非常にリアリティ豊かでイメージが豊富なものであれば、次のイメージを呼ぶだろう。非現実が新しい現実に生まれ変わっていく・・・》こうした手法の認識は、安部公房の作品にもあてはまる。
・「明らかに俺の家ではないものに変形した」「そしてついに俺は消滅した・・・変身譚『赤い繭』の朗読。安部公房の多くの作品に共通する大事なテーマは《存在の根拠が失われている人間》。存在の有りようを問い続けた。
カフカの「変身」のグレゴール・ザムザは、毒蟲になってしまって会社に行けなかったら家族を養えずどうしよう・・・と、毒蟲になった後も「現実の心配」をしている。最後までグレゴール・ザムザである。中身は変わらない。しかし、両親と妹は変わる。最初は蟲に食べ物を与えたりするが、だんだん早く死ねばいいのにと思う。毒蟲が林檎で死ぬと、家族がほっとした笑い声でピクニックに出かけてしまう。
安部公房の変身譚はもっと明るくて軽い。安部公房の主人公はグレゴール・ザムザのように悩んだり苦しんだりしない。最初から自我が失われたところにたっている。そうでありながら、カフカよりもっと深い悩みや苦しみを書く啓蒙作家である。
・人間以外のものへの変身。『デンドロカカリヤ』では、顔がめくれると植物へ変形してします。「顔」とは「名前」と同様に存在の証である。コモン君は顔がめくれることに抵抗する。花田清輝はこの作品が、存在の根拠を奪われる植物的状況に拒絶していると言った。
・カルマ氏は朝起きたら、自分の名前を想い出せない。社会的な存在権を失っている。免許証も保険証も、自分の名前のところだけ真っ白である。
・『魔法のチョーク』のアルゴン君は、チョークで描いたものを現実化することで、彼なりの小宇宙を無の壁に獲得する。しかしそれは実体ではない。
・砂漠=廣野=壁(砂をかためたもの)=無限の創造性=無
・『壁』の帯に石川淳は、壁は行き止まりではなく、ここから運動がはじまる。ここから何かうみだされる。人間の生活がはじまると書いている。
・『壁』の中の『バベルの塔の狸』では、狸に影を食べられた人間は透明人間になった。しかし、目だけが浮いていた。
・戦後、多くの人たちが価値観の転換を強いられた。
・『砂の女』は、砂が流動する→流動そのものが砂である、に変わる。主人公は囚われの状況から脱出する手段を得たが。脱出を選ばなかった。
・自我の挫折。近代的な自我が無力であると思い知らされた戦後の日本に、想像の運動を繰り返すことで立ち向かっていった。
*

■石川先生の『赤い繭』『魔法のチョーク』の朗読、素敵でした。最初は4人でしたが、どんどん人が入ってきて、10人くらい?満席でした。小熊秀雄賞実行委員会のこと、お話戴きました。ありがとうございました。
*

2018-10-27.

f:id:loureeds:20181027125817j:plain

f:id:loureeds:20181027125829j:plain