■「小樽詩話会」会報No.620(2019年2月)
今号よりフラジャイル同人の木暮純さんの作品が掲載(冒頭「孤独の切り岸」)。《詩は悲しみである》と「青芽」の合評会で文梨政幸さんが木暮さんの別の作品を評して言った言葉を思いだす。
旭川市の冬、まさにシーズンど真ん中であります氷柱割りをえがいた二宮清隆さんの「二つ違いの兄と弟」、教員ストの実態をえがいた入谷寿一さんの「スト反省書提出」の最後の一行が強烈に印象に残りました。
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「 顔Ⅷ 」 柴田望
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桜が丘小学校にさんねん
卒業アルバムに妖精が写っていた
帰り道に水辺
釧路川か
春採湖かもしれない(遠すぎる)
水も木も草の背もさやかに光り
虫の音をかき分け
仙人に会いに行く
行き方を何故か忘れて
辿り着けない日もある
川原全体きらきらして
おじいさんは穏やかに座る
長い髪 長い髭は
亀の白い尻尾
ずっと伸びているように感じる
弟や友だち何人かも連れて行ったから
子どもにしか見えない夢じゃない
おじいさんの前に座る甕は
家を建てるとき、玄関の前に水をためる器で
永久にきれいな水が入っていました
住んでいたのは興津(o-u-kot)で
春採湖か
鶴ヶ岱だろうか(遠すぎる)
大人になってからも何度も
きれいな水があったと繰り返す
甕を覘くと境は薄くなって
話したことはぜんぜん憶いだせない
ぜんぜん怖くないし
学校から三〇〇メーター離れた
美しい世界
同じ道を辿っても親と行くと
その場所は無くて
春採(haruturu)に転校するまで
何度も行ったはずなのに
弟は憶えていない
o-u-kot = 互いに合流する川
haruturu = 向う地