詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■「飛揚」第70号(2020年1月26日)

■「飛揚」第70号(2020年1月26日)を御恵送賜りました。心より感謝申し上げます。《特集・明日に見える戦前》、詩とは何かという問題に鋭く切り込んでいる荒木元さんの「幻詩論(まぼろし論)―詩の現在」、この中で、「なぜフォークシンガーとして知られているボブ・ディランが「文学賞」だったのか。しかし、あの時、ほとんどそれについて「有識者」の目立ったコメントは見られなかった。」とありました。どう説明されるべきだったのか? ボブ・ディランの「フォーク・シンガー」としてのキャリアは60年代前半までで、「風に吹かれて」だけの歌手だという認識は間違いです。1965年頃の代表作以降、定型のジャンルを次々破壊。歌詞もビート詩人のアレン・ギンズバーグに賞賛されるなど、文学的評価を得ていたことや、ルービン・カーターの冤罪事件に影響を与えた75年の「ハリケーン」、97年には世界聖体大会でヨハネ・パウロ二世の前で演奏、ホワイトハウスにてケネディ・センター名誉賞を受賞、2008年にピューリッツァー賞特別賞、2012年には、バラク・オバマより大統領自由勲章。英セント・アンドルーズ大学や、米プリンストン大学名誉博士号…単なる歌手ではなく、もはや文化の象徴であり、長いキャリアの中で多くの小説家や詩人に影響を与え続けてきた(世界中の詩人や小説家の作品にボブ・ディランの名前や歌が登場している)のに、決して過去の存在ではなく、現在においても第一線で活躍しており、それを証明するかのように70代にしてキャリア最高傑作の一つ、2012年の「テンペスト」を発表!決定打の一つであったように感じます。ここでえがかれたタイタニック号の沈没は、人類の文明の沈没を予見している。非常事態宣言下でコロナウィルス報道にさらされながらこの曲に戦慄する。ボブ・ディランは時代に迎合することなくどんなにファンに嫌われても方向転換を躊躇わずやりたいことを貫いて、50年以上も第一線で問題作を発信し続けている。「スタンス」が何より評価されたということが考えられます。ボブ・ディランを単なるミュージシャンと思っている人より詩人や文学者だと思っている人の方が欧米では多いと思いますが、たしかに言われてみると出発点は音楽である。安部公房は詩(『無名詩集』)から出発して小説→演劇を完成させた。「私たちが「詩」だと思っていたものだけが「詩」ではない」「どこまでが詩で、どこからが詩ではないのかという境界は曖昧である。今日ほど詩が偏在している時代はない。それはつまり、どこにでも詩はあり、そしてどこにも詩は存在しないということを意味する。」。なぜ詩は衰退したのか? 映画、映像、音楽、アニメや漫画、ゲームといったサブカルチャーが栄えたためか? それらの様々な表現形態の中に詩はどう生きるのか。荒木さんがこの論に書かれているように「詩作は、高級で知的な言葉遊びでもなければ、自分を実物以上にご立派に見せる装飾品でもない」という厳しい御言葉の通りであれば、ジャンルは問題ではない。どう向き合うかの「スタンス」について深く考えさせられました。

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