詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■詩誌「木偶」(『木偶』編集室・2020年2月15日)

■詩誌「木偶」(『木偶』編集室・2020年2月15日)を拝受致しました。誠にありがとうございます。
 天内友加里さんの詩作品「泣けたらいいね」。「昔からありました」「私も何度も経験したので 訴えてみなさいとは 言わない 答えはわかっているから 生活があるから 一日も早く働かなくちゃ」。深刻なハラスメントの問題を、これは現実に誰の身にも起こりうることであるということを、被害を受けた側の視点から自然に浮かび上がらせる。「始めはセクハラ なびかないと パワハラ/ずいぶん甘くみられたものね 私も 娘も」「現実は変わりません 最後には石を持って/ムチで叩き 追い出される」。今日のニュースで「ヤマハパワハラ、30代の社員が自殺 課長職に起用後」の報道があり、つい先日も人気アパレル元社長のセクハラ行動がスクープされている。明るみにでるのはほんの一部に過ぎず、枝葉を切るような対策ではなく幹や根を変えていく施策が必要のようです。被害を受けて黙って苦しんでいる側にとっては日常が非常事態ですが、世間は非常事態にすることを許さない。「セクハラは嫌と言えて 偉い/私は言えなかった」。ここに書かれている弱者である親子は他人を見るときの一つの判断基準として、「この上司はパワハラをする人だろうか?しない人だろうか?(わざとでも、わざとでなくても)」「この人はセクハラをするだろうか?しない人だろうか?(わざとでも、わざとでなくても)」…そのように考えるのではないかと思われます。「恐れられる」視点で誰もが見られていることを認識すると同時に、加害者の心の歪みをも治癒すべき病(=非常事態)として認識する想像力を現実は文学から借りなければならない。
 「弦」の嵩文彦さんの詩作品や「麓」でも名前を発見した伊藤桂一のことが書かれた野寄勉氏の評論「戦地から同人誌に投稿する二十六歳の伊藤桂一―『現代文学』『山河』―」を興味深く拝読。最後の戦記文学者と言われた小説家であり詩人の伊藤桂一のことをもっと学びたいと思いました。『山河』掲載の「江南雑記」、李白杜甫が愛した「北支那」を訪れた記録、大変貴重な資料を拝読させて戴きました。伊藤桂一が兵営でも詩の勉強をしていたために初年兵いじめの代表的な標的にされていたことはこの論には書いていない。どこで読んだのだったか。どの時代においても、人間はパワハラをする。どの国の歴史にも記録されている。その残酷さをどう超えるか。

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