詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■嵩文彦さんの個人誌「麓ROKU」Vol.1-No.11-12

■嵩文彦さんの個人誌「麓ROKU」Vol.1-No.11-12を拝受致しました。誠にありがとうございます。No.11(2020年1月)とNo.12(2020年3月)で表紙のデザインが大きく変わり、びっくり致しております。吉田礼子氏の和紙の連載「和紙を愛おしむ」が完結、No.12より聖なる色の「「朱」への旅」、『荷風永代橋』(青土社)に迫る愛敬浩一氏による連載「草森紳一の「散歩」論―日記は「散歩」ではないだろうか」。田中健太郎氏による山川精論「山川精さんが執筆に参加した随筆集『北国詩情』」「山川さんの随筆「真冬の襟裳岬」。先週、仕事で恵庭方面から岩見沢へ、国道36号線をドライブし、長沼、栗山を通過。仕事だったので山川精が館長をしていた栗山町図書館には寄れなかった。ぜひ今度行きたい。No.11には市川義一氏によるエッセイ「思うまま気の向くまま 仙厓義梵」。出光美術館所蔵の仙厓の興味深い画が紹介されている。毎号楽しみに勉強させて戴いております、ここでしか読めない嵩さんの定型十七音詩、詩、あとがき。No.11のあとがきには昨年10月6日に第8回北の聲アート展で「草森紳一蔵書プロジェクト」が特別賞を受賞されたこと、「草森紳一蔵書プロジェクト」の取り組み、そしてル・コルビジェについて紹介されている。機械文明が作り上げた精神との同一性の感得。「ル・コルビジェの疾駆鳥葬はるかかな」(嵩文彦)。No.12のあとがきには、嵩文彦さんが渡辺宗子さんの「弦」76で書かれた詩作品「山桃の種」について、伊藤桂一の詩「消息」について解説されており、イメージと理解が広がる。「普遍性」とは何か。それは詩の目的と言えるのか? 意図して求められるべきものなのか? 「おそらく「普遍性」は書き手みずから求めるものではなく、時代の経過に任せておくものです。たしかに、一つの主義主張を普遍化させるための文学、たとえばプロレタリア文学がありました。でも、いまそれを読んで心動かされるのは、普遍化しようとした「イデオロギー」のためではありません。」 
 このように「麓ROKU」毎号、インターネット検索では得られない情報、疑問、知識と思考の神髄がぎっしり詰められており、何度も拝読させて戴き勉強させて戴きます。心より感謝申し上げます。

f:id:loureeds:20200321215304j:plain