【予告編:詩誌『フラジャイル』第8号、間もなく発行・発送致します!】
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「自分たちの身に遡ってくるのを見ている だが依然とても信じられないでいる
我々が自身のウイルスを知らないふりをしていることを
実際は蝙蝠の身にあるものより もっと恐ろしいことであるのに」
(臧棣(ザン・ティ)「蝙蝠簡史」(竹内新訳)『現代詩手帖』2019年4月号p37~38)
「《…自分たちの身に遡ってくるのを見ている だが依然とても信じられないでいる/我々が自身のウィルスを知らないふりをしていることを/実際は蝙蝠の身にあるものより もっと恐ろしいことであるのに》
——臧棣(ザン・ティ)「蝙蝠簡史」(竹内新訳)『現代詩手帖』4月号より」
(2020年3月30日、現代詩手帖アカウントにリツイートされたアサノタカオ氏のツイート。)
レジメとレジュメ、アメジストとアメシスト、ピザとピッツァ、コーヒーとカフェ、マネージャーとマネジャー又はマネージャ、ピーター・ガブリエルとピーター・ゲイブリエル、ホチキスとホッチキス又はステープラー、……。同じ物や役割、人物を言い表す名詞が複数あり、それらはすべて誤記ではないという。一体どういうルールなのだ。そのような複雑な言語をなぜ我々は無意識に扱えるのか。新聞やテレビの報道では「コロナウイルス」、「ウイルス」と表記されている。だから大きい「イ」のほうが正式な感じがする。しかし文部科学省のホームページやテレビ局のホームページを見ると「ウイルス」と「ウィルス」が結構混在している。大企業のホームページやお知らせの文書などにも「イ」と「ィ」が混在するのを見かける。ツイッターではどうか。新型コロナに関する発言で注目される堀江貴文氏や竹田恒泰氏のツイートは「ウィルス」と小さい「ィ」だ。他にも有名な議員や作家、詩人の方ご本人が入力したと思われる数々のツイートで小さい「ィ」の「ウィルス」を見かける。ハッシュタグ「#コロナウイルス」「#コロナウィルス」両方存在している。私見だが30~40代くらいの年齢層に「ウィルス」を使う人が多いようだ。少し前は「ウィルス」が主流だったのか? 直木賞作家の篠田節子氏によって20年前に書かれたパンデミックミステリ小説『夏の災厄』が2006年に日本テレビでドラマ化された。放映されたドラマのタイトルは「ウィルスパニック2006夏〜街は感染した〜」。小さい「ィ」だ。しかし原作小説の本文の表記は「ウイルス」。
辞書ではどうか。「実用日本語表現辞典」では項目「ウィルス」になっており、別表記として「ウイルス、ビールス、バイラス、ヴァイラス」が挙げられている。「IT用語辞典バイナリ」も「ウィルス」だが、これはコンピュータウイルスのことだ。そういえばウィンドウズ、ウィキペディア、ウィーチャット(微信)、ウィーワークなど、パソコン画面を見ていると片仮名の「ウ」の次に小さい「ィ」という並びを目にする機会はとても多い。「ウィ」とは何か。フランス語でYES。あたかもネット上の情報のごとく国境を超えて急速に拡散されている感染の状況や、今回のパンデミックはビル・ゲイツ氏の計画だなどという陰謀論が公然と囁かれる中、無意識に「ウィルス」と書いてしまう人が多いのかもしれない。しかし、前述以外のほとんどの辞書の表記は「ウイルス」である。新聞もテレビも「ウイルス」。医学用語も「ウイルス」。どうやら大きい「イ」が多数派のようだ。
多数派であるからといって正しいとは言い切れないのが言語の難しいところ。一つの物を表す言葉だけでなく、一つの言葉に込められる意味も多数存在している。地域文化や歴史によって日本語も多数。民族の数だけ普通の言語が存在する。権力の都合によって標準語に統制され、義務教育の教科書は方言なんて恥ずかしい(普通じゃない)と教える。多様性は剪定される。教科書のすべてが正しいかと言えばそうでもなく、年々改訂される。いま世界が大変なことになっている。その前は完璧であったかと問われると、決してそうではない。大きな問題がさらに別の過去の綻びを次々と浮き上がらせる。世界は常に未完成である。
詩とは何か。「俳句や小説なんかと違って、現代詩っていうのは、未完成の状態、未達成のような状態、その可能性に向けた努力をしているんだ。」 詩誌「フラジャイル」第4号(2018年12月号)に収録の、北見で行われたトークイベント「~吉増剛造、《詩》、《語り》、《朗唱の夕べ》~」の中で詩人吉増剛造氏が語られたこのご発言について、いつも考えさせられています。「達成させないほうへもっていく」…両方が混在していた方が時代の空気を伝えられるとの結論に達し、2020年4月に発行の「フラジャイル」第8号、全64ページ、3万8千字の中に「ウイルス」が3箇所、「ウィルス」が2箇所。校正者と相談の上、時代の空気をそのままに収めております(表紙の題字は「フラジゃイル」。「ゃ」を平仮名のままに致しております)。何卒ご笑覧戴き、ご発見戴けましたら幸いです。