詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■渡辺宗子さんの個人誌「弦」No.77

■渡辺宗子さんの個人誌「弦」No.77を御恵送戴きました。心より感謝申し上げます。
 
 冒頭に嵩文彦さんの詩作品「へんしん」、蝶は変身の象徴らしい。ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすかもしれない。万物斉同の世界で遊ぶ胡蝶の夢。「ある朝夢から覚めてみると/ヒトが巨大な虫になっておりました/それはできたのです/やったヒトがいます」…貢献のように語られている。グレーゴル・ザムザのことでしょうか。ならばわれらがコモン君(安部公房「デンドロカカリヤ」)は植物化を成し遂げた。蝶がヨットになる…2006のNHKクローズアップ現代の「海を渡る蝶“アサギマダラ”」、「春、南西諸島で生まれた蝶が、初夏には本州に渡り秋に再び南西諸島に戻る。”アサギマダラ”と呼ばれる蝶は渡り鳥のように毎年、2千キロもの距離を移動しながら生息している。」(http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/2282/index.htmlより
蝶の羽にマジックで捕獲場所と日付を書いて放ち、次に捕らえた人がインターネットで報告。国境を超えて台湾へも。ヨット無しで海を渡れる。操縦する人が居なくても海を渡れる。その意味で蝶は人にもヨットにもなれる。
 
 渡辺宗子さんの詩作品「公園散索」、散策も探索でもない「散索」が新鮮です。決して誤字ではなく、Amazonで検索するとこの「散索」の字をタイトル用いた本も多数出版されており、知的散索とか歴史散索のように使われる言葉のよう。例えばバスの窓から見える景色の責任は運転手に委ねられるが、発見や興味の先は乗客の側にも責任がある。読み手によって価値の変わる本のごとく、つながる先は潜在意識に蓄積された感性や経験、遠近の記憶。散歩の景色は歩く人の全責任。「蹠(あしのうら)を蘇らせる」公園の肌を全身と全知性で感触している。
 「有頂天に気づかず/踏みつけてしまった/小さな 音/なんと敢(はか)なく ささやか/壊れた音か!/グシャとはいわない/蹠の捉えた爆発だ/涸れたどんぐりの実の爆発/圧力への反抗のように/破裂が芽を噴き出すのだろう」蹠が生命の核に届く瞬間が見事にえがかれており、公園の自然が、巨木を図る尺取虫が、球体の地球の人類の歴史につながる。膨大に蓄積された声の記録、「爆発と計測の摂理」につながる。「明日のように待っていよう」地球は回る。その上を歩く。

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