詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■「 海岸線 」(若宮明彦詩論集『波打ち際の詩想を歩く』(文化企画アオサギ)を読んで) 柴田望 詩誌「フラジャイル」(2021年1月1日発行 10号記念&3周年記念号)

旭川の詩誌「フラジャイル」(2021年1月1日発行 10号記念&3周年記念号)に、「海岸線」という作品を載せました。
 フランスのエレクトロ・デュオ、ダフト・パンクが2013年に発表した「Random Access Memories」は、ナイル・ロジャースジョルジオ・モロダー、オマー・ハキムといった偉大な先達の素晴らしさにスポットを当てる、音楽への愛に満ちた仕事でした。小篠真琴さんや柴田と同世代のダフト・パンクが行った、先輩アーティストたちへのリスペクトを表明するような仕事を、詩ではどのように行うことができるかを考えたとき、20代の学生時代に若宮明彦先生の詩集『貝殻幻想』(土曜美術社出版販売)に出会ったときの感動を素直に書くことを思いつきました。
 なぜ感動したのか……そのときの自分の状況は、海岸線の、波打ち際のようなところだったのかもしれません。1990年代後半の状況の中で、純粋に、垂直に立ち上がる詩行として感覚したときの気持ちを、僭越ながら「遠い宇宙の言葉を初めて聴いたときのように/孤独や痛みが雪の結晶のごとく行間に消えた」と表しました。海の町に住んでいた祖父の葬儀を終えて、一人で海岸で漂着物を眺めて過ごした時間を思い出しました。生と死が海にはあります。しばらく忘れていたことでした。文化企画アオサギより6月に発行された詩論集『波打ち際の詩想を歩く』を読ませて戴いたのが記憶を蘇らせたきっかけです。ありがとうございます。詩の《投壜》が、心の渚に届いたことを、一作一作、若宮先生が丁寧に書かれていることに感激しました。海岸線、波打ち際とは書き手と読み手との境でもあるのでしょうか。1997年と1998年に、若宮先生の紡ぎ出す詩想が、当時旭川の学生だった一人の読者の心の渚に、温かい不思議な波として届いていたことをお伝えしたくて書きました。
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「 海岸線 」     柴田望
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   若宮明彦詩論集『波打ち際の詩想を歩く』(文化企画アオサギ)を読み 「海岸線が急速に失われつつある」という 何故か? 高層ビルを建てるために 砂が違法な組織によって世界中の海岸から盗まれ 高値で売られている 2・3仲通り地下二階のショットバーで働いていた 一九九七年 コンクリートの壁じゅう蛍光のキース・へリング MTVから流れるレディオヘッドの『OKコンピューター』 ケミカル・ブラザーズプロディジーダフト・パンク等のデジタル音 デヴィッド・ボウイもジャングル・ビート仕様 既成の解体を強いられ、まさにアヴァン・ポップ全盛 詩の雑誌も前衛または実験の奔流(前衛と実験は異なる) どう生きるべきか ポストモダン以前か以後か カクテルのレシピを憶え ピザの生地にスイカのエキスが入ったメニューが好きでした 年末、岩見沢に帰省 気晴らしに国道の上野書店へ カウンターに一冊の本がポップ付きで置かれていた 『叢書新世代の詩人たち24・貝殻幻想・若宮明彦詩集』(土曜美術社出版販売) 《岩見沢在住の著者による詩集、第三十五回北海道詩人協会受賞作!》 巻き貝の表紙を導かれるように開く
 「 海霧のように流れる
   一房のかなしみを
   こころの水平線から
   そっともいでしまいたい 」(「海洋性」)
                  文字を眺めて聴こえてくる音に耳を澄ませた 遠い宇宙の言葉を初めて聴いたときのように 孤独や痛みが雪の結晶のごとく行間に消えた 意味の繫がらない言葉や記号の配置ではない でも新しいと直感で判る 一月のガーネットから十二月のトルコ石まで 言葉を誕生石に変える不思議な錬金術の暦 博物学者の恋、「ブラキストン線」 海の詩も石の詩も貝殻の詩も血が通っており 人と人との関わりについて書かれているように思えた 海岸線を彷徨っていた 深夜、店が終わって (今はどこへ消えたのか?)ホームレスの眠る駅で 朝焼けの始発を待ち 単位がきっと足りなくて卒業できるか不安だった 長い距離をドライブして各地で演奏しながら 少しずつ音を掴んだバンドを解散させた 将来を約束した彼女は瀋陽へ帰り 日本へ呼ぶためのお金を送りたかった 一九九八年 ついこのまえ笑顔だった虻田の祖父が亡くなり 祖父の家で葬儀は行われた 家族葬のはずが大勢の賑わいをよそに 一人で海岸へ行き 漂着物を眺めていた 祖父の声が聴こえた 「お前くらいの頃、柔道の技が決まる夢を見た。やりたいことがあるなら夢に出るほどやるべきだ。」 詩に夢中というわけではなかったけれど 『核詩集1998年版』(核の会) 後ろのページをめくったとき… あ、あの詩人だ!
 「 打ちよせるものより
    遠ざかるものに
    ふと目頭が熱くなるのは
    どんな因果によるものなのか 」(「海辺にて」)
                若宮明彦詩論集『波打ち際の詩想を歩く』(文化企画アオサギ) 序文「波打ち際の詩想」を読み 何も考えられないくらい 詩人の密かなファンとなった学生時代の記憶が噴きだし かつては《北海道の詩》の本が数多く発行されていたけれど 北海道の視点から詩を語る論も今はあまり見かけず 日本の 世界の 波打ち際から何が急速に失われたのか 樺太師範を卒業の後 身を現人神にささげ 南冥北漠の地に散らさんと 土浦海軍航空隊 神龍特別攻撃隊員拝命 グライダー訓練中に玉音放送を聴いた少年の祖父と 引揚船に乗せてもらえず 軍艦で海境(うなざか)を渡り… 潜水艦に攻撃されず 命拾いした祖母たちの 二度と帰ることのできなかった故郷 波打ち際をこれから辿る
※若宮明彦詩論集『波打ち際の詩想を歩く』(文化企画アオサギ 二〇二〇年六月一二日)

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