詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

下川敬明さんの新詩集『暗黒と純白の賛歌』(待望社)

■“When you hear music,after it's over,it's gone in the air. You can never capture it again. “  -Eric Dolphy
音楽は空中に放たれると、二度と取り戻すことはできない
エリック・ドルフィー

 コルトレーンウェイン・ショーターバド・パウエル等によるモダンジャズの早いパッセージの即興のソロや、思潮社の共同訳詞シリーズで読んだジャック・ケルアックの「メキシコ・シティ・ブルース」などを想起しながら下川敬明さんの新詩集『暗黒と純白の賛歌』(待望社)を読んでいると、78ページの「聖餐」という作品に、このエリック・ドルフィーの言葉が引用されていました。「t's gone in the air. You can never capture it again.」
 白い紙にずっと印字されているはずの詩句も、脳に触れた瞬間に言語空間へ放たれるビジョンは、ただ一度きりの生しか持たないのかもしれない。この詩から伝導される「臓器の温もり」や「血管」の「律動」、「牝犬の放つ独特の匂い」の刹那性、顕れては消える、生まれては死ぬ、暗黒と純白、その繰り返しによる催眠術、ライティングではなくタイピング、魂を激しく揺さぶられた後に訪れる静寂。「最初の発想がベスト、頭に浮かんだことをそのまま書く」を理想としたビート・ジェネレーションに初めて出会ったときの血の滾るような、ローマ花火の炸裂を、文学は忘れてはならない。


その瞬間、ぼくは疾駆(ダッシュ)した
巨大なすり鉢のような競技場(コロシアム)
真ん中に広がる楕円形の暗闇を
点滅しギクシャクしながら動き回る 静電気みたいに
予測不能の速さと出鱈目さで 相手(ライバル)すべてを蹴散らし 薙ぎ払う
その度 聳え立つ石造りの観覧席から 沸き上がる
手放しの歓声(エクスタシー) 地響きのような感情の爆発
悲鳴 絶叫 咆吼と共に
すり鉢を巡る津波(ウエーブ) とどろに打ち寄せる鯨波
ぼくは 一体何をしでかしたのか
何を行いつつあるのか?

(「Ⅴ 無条件降伏 欲望への」 下川敬明『暗黒と純白の賛歌』)

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