詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

詩誌「くれっしぇんど」112号(くれっしぇんど社 2021.4)

■「詩と思想」4月号の詩誌評(漆原正雄氏)に詩誌「くれっしぇんど」111号に掲載の高橋絹代さんの詩篇「スモモの木」が御紹介されていました。「木にたましいがないと、いったいだれにいえるだろう。木にもたましいがあり、まなざしがあり、ことばがある。詩人は、だからこそ木に”視点”をゆだねたのだ」…詩人が詩作を通じて木のたましいに触れ、木の”視点”を獲得する。木の様にその場に立つ。見者Voyant、幻視者、他の人には知られないものを見、感じるに至る…現実を再構築する詩の力。
 そして詩誌「くれっしぇんど」112号(くれっしぇんど社 2021.4)、拝読させて戴いております。ありがとうございます
 「フラジャイル」「指名手配」同人でもある小篠真琴さんの詩篇「朝のひと時」、食パンの耳からとび出す2匹のうさぎ、糸こんにゃくを温めるキノコの化け物、悪事を謝るおばあちゃん…記号的に現れる寓話的な幻視のビジョンが詩人によって獲得され、美しい冬の朝のひと時を織りなす。予想を超えた現実の驚きを、さらに詩の想像力のうさぎが飛び越える。
 安田萱子さんの詩篇「ある風景」、「春、梅が香り、樹木が芽吹くけれど/人の姿は見えなくなっていく/いつか村があったことさえ/知る者のいなくなる時がくる。」美しい四季、村の風景。若者たちは開発された道路に乗っていなくなり、過疎化していく。最近、亡き祖父の日記を伯父から借り、祖父の住んだ炭鉱の町、校長先生をしていた月形宮村、歌志内、南幌などを調べておりましたので、とくにこの詩に心を打たれました。廃校、廃駅、人の住まなくなった村の気配。ある時代に住んでいた人々が生活の中で見ていたであろう「ある風景」が詩によって浮かび上がる。

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