詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

「 海岸線 (漂着)」 柴田望

「 海岸線 (漂着)」 柴田望
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おおうー おおうー 確かに生きた応答だ 
地下千万の深さで 埋沈する地霊の抵抗
すでに巨大な火だるまだ 拒否と闘争の熱さで
燃えさかる焔 水の巡りが灼熱する
急がねばならない 伝達のように
 ~渡辺宗子「雪だるまの地平線」
 (「フラジャイル」10号 2021年1月)
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 果てしなく 壁 を展げる血の流しあい
 国どうしが 海岸線 を脅かす時代が過ぎ
 楯 を殺傷する兵器の技術が
 高度経済成長とクルマ社会を支え
 ドライブ は余暇の娯楽
 空も海も軍のエンジンの叫びに満ちていた
 国籍不明の潜水艦が疎開船を雷撃し
 海に投げ出された避難民へ機銃掃射
 小笠原丸のわずかな生存者が
 夥しい遺体や持ち主のない荷物とともに
 増毛町大別刈村に流れ着いた
 第二号新興丸も、泰東丸もやられた
 どこの潜水艦かは容易に検討がつく
 調査で明るみになっても否定するだろう
 わが軍も過去にしたことを
 していないと言うだろうか
 どの国も… 人の集まりは過去を捻じ曲げる
 真実を変えなくても見方を変える
 たった一人がそうするのも何度も見てきた
 ここには真実を書きたい
 両親弟妹が樺太にまだいた
 青森県横内村 叔母の家 居心地は悪い
 叔母はいらいらしていた 息子が千島から帰ってこない
 そのうち戦死の公報が入った
 私は復員したのに、従兄弟は死んだ
 叔母は線香を焚いて狂ったように泣く
 彼の嫁さんも可哀そうだった
 師範を出ているのだから先生になれと
 校長から呼び出しがかかり 筒井小学校代用教員発令
 青森師範の附属校 六年生を受け持つ
 一学級八十五人、足の踏み場もない
 青森空襲で焼け出された他校の子たちも入っていた
 学籍簿もなく 誰が誰かもわからず
 まずは教科書作りから 夜遅くまでガリ版印刷
 茶碗も箸もない宿直室で暮らす
 他に服がないので軍服で教壇に立っていた
 小学校の向かいに青森五連隊の兵舎があった
 米軍が進駐してきた
 ある日、若いMPがやってきた
 校長があわてて通訳してくれという
 「なぜ海軍のオフィサーが学校にいるのか?
  この学校では軍事教練をしているのか?」
 「復員して教壇に立っているのだ。
  軍事教練などしていない。」
 「隣の部屋にある木銃は何に使うのだ?」
 「焚きつけにして燃やしている。」
 「きみはトウジョウの部下だったのか?」
 「私は学徒出陣で軍隊にかり出された。
  東条は陸軍、私は海軍予備学生で少尉だった。」
 「私もスチューデント・ソルジャーだ。
  夜、遊びに行ってもいいか?」
 MPのグループが宿直室へ来るようになった
 私があげるものは日本語だけで
 彼らは煙草、缶詰、チョコレートをくれた
 砂川一心町から、突然便りが届いた
 よかった、生きていたのか… 
 北海道へ行こう 札幌の一条中学に空きがある… 
 しかし出発の直前、父母弟妹が樺太から引き揚げてきた
 青森駅で久しぶりに家族と再会
 妹が私にすがりついて泣く 
 父も泣いていた 父の泣く姿を初めて見た
 皆を横内の叔母の家に連れて行き
 海軍の退職金一万円を父に渡した
 父は堤町でリンゴ商人をはじめた
 進駐軍が去り教員住宅となった第五連隊兵舎で
 妻を迎える決意をした 
 北海道へ渡り、砂川駅で再会 感激
 身一つで青森へ嫁ぐと言ってくれた 家族だけで祝言をあげた
 やがて父と訣れ 津軽海峡 白い海岸線 
 太った鳥たちに覆われていた
 砂川 豊沼 歌志内 神威 南幌晩翠 月形 栗沢宮村
 再び歌志内 南幌 陸上、柔道 教員であり続けた
 自衛隊から何度も誘われたが 飛行機に乗りたくはないし
 戦友の顔が浮かんで断った
 昭和五〇年一〇月、正八位に叙するとの位階
 国の方針を何の疑問も持たず信じて裏切られ
 わけのわからぬままに主義の転換 騙されたふりをして
 私たちの空洞の夢にあからさまな奥底を焼く 
 古い儀式の根本を再び試そうとする
 匿された漂着 言葉の辺縁系 焦げた鏡 
 目を合わせると消えてしまう!
 渦状の恐怖が煽る 狂気とは呼ばれなくなった 
 結晶させる 新しい普通を命がけで讃える
 生きている時代に 象徴の綾に発せられた波動の天秤
 決して鎮まることはない