詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■「小樽詩話会 紙上例会(No.6)」〈~会報・詩集の感想~〉に、下川敬明さんの詩集『暗黒と純白の賛歌』(待望社)について

■「小樽詩話会 紙上例会(No.6)」〈~会報・詩集の感想~〉に、下川敬明さんの詩集『暗黒と純白の賛歌』(待望社)について書かせて戴きました柴田の文を冒頭に掲載戴いております。
 この詩集の魅力は深くて拙文では書ききれておりません。どのページも、普段使っているような言葉、普段使わないような言葉、詩句の一つ一つを煌めかせ、深層に響く、宇宙空間のようです。

「喩(コトバ)ら、喩(トイキ)ら
 そして(風の)揺曳(ゆらめき) 興奮(ときめき) 喧噪(ざわめき)よ」
(「Ⅲ 聖なる木霊(女神(アフロディーテ)の唇より」) 
 
*******(下記、5月16日にFacebookにアップしたものです。)
 
■“When you hear music,after it's over,it's gone in the air. You can never capture it again. “  -Eric Dolphy
音楽は空中に放たれると、二度と取り戻すことはできない
エリック・ドルフィー
 コルトレーンウェイン・ショーターバド・パウエル等によるモダンジャズの早いパッセージの即興のソロや、思潮社の共同訳詞シリーズで読んだジャック・ケルアックの「メキシコ・シティ・ブルース」などを想起しながら下川敬明さんの新詩集『暗黒と純白の賛歌』(待望社)を読んでいると、78ページの「聖餐」という作品に、このエリック・ドルフィーの言葉が引用されていました。「t's gone in the air. You can never capture it again.」
 白い紙にずっと印字されているはずの詩句も、脳に触れた瞬間に言語空間へ放たれるビジョンは、ただ一度きりの生しか持たないのかもしれない。この詩から伝導される「臓器の温もり」や「血管」の「律動」、「牝犬の放つ独特の匂い」の刹那性、顕れては消える、生まれては死ぬ、暗黒と純白、その繰り返しによる催眠術、ライティングではなくタイピング、魂を激しく揺さぶられた後に訪れる静寂。「最初の発想がベスト、頭に浮かんだことをそのまま書く」を理想としたビート・ジェネレーションに初めて出会ったときの血の滾るような、ローマ花火の炸裂を、文学は忘れてはならない。

その瞬間、ぼくは疾駆(ダッシュ)した
巨大なすり鉢のような競技場(コロシアム)
真ん中に広がる楕円形の暗闇を
点滅しギクシャクしながら動き回る 静電気みたいに
予測不能の速さと出鱈目さで 相手(ライバル)すべてを蹴散らし 薙ぎ払う
その度 聳え立つ石造りの観覧席から 沸き上がる
手放しの歓声(エクスタシー) 地響きのような感情の爆発
悲鳴 絶叫 咆吼と共に
すり鉢を巡る津波(ウエーブ) とどろに打ち寄せる鯨波
ぼくは 一体何をしでかしたのか
何を行いつつあるのか?

(「Ⅴ 無条件降伏 欲望への」 下川敬明『暗黒と純白の賛歌』)

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