■詩誌「指名手配」第4号(文化企画アオサギ)を拝受致しました。誠にありがとうございます。同人(この世界では「容疑者」と呼ばれる)末席に加えて戴いております。気鋭の詩人の皆様の素晴らしい詩作品、エッセイ、書評、近況(この世界では「逃走情報」と呼ばれる)や出版記録(この世界では「前科」と呼ばれる)なども楽しく拝読させて戴きました。
畏れ多いことに、今年7月28日に発行した柴田の詩集『壁/楯/ドライブ/海岸線』について、若宮明彦先生より書評を戴いております。感激のあまり言葉もありません。「海岸線は海と陸が現実に接触する空間であり、さらには現世と常世をつなぐ神聖な場である。つまり、神と人間が接する純粋無垢な場であり、海から来た人々が生を失い、再び海に帰ってゆく祈りの場でもあるといえる。ここで詩人がモチーフとしたのは、学徒出陣から戦中・戦後を生き抜いてきた祖父であった」(若宮明彦「柴田望詩集『壁/楯/ドライブ/海岸線』(フラジャイル党)に関するメモランダム)。文梨政幸さん、萩原貢さん、渡辺宗子さんの詩句の引用について触れて戴いたことが、とても嬉しく、涙が溢れそうです。私の拙い詩集を、こんなに真剣にお読み戴けるなんて、とても恐縮で、心を揺さぶられています。本当にありがとうございます。「敗戦後の荒れた〈海岸線〉に漂着し、その状況をただ生き抜くしかなかった先祖たちの過酷な人生を反芻する。」…種明かしを致しますと、「海岸線」は樺太から引き揚げてきた祖父母のことを、「ドライブ」と冒頭の「壁」は、子どものことを書いており、現在の経験を苦しむ自分の狭い主観を、過去や未来の存在に重ねようと不器用に試みておりますこと、「ラウンド(=時間単位)毎の戦略を言葉の連打に伝えてゆく」「混沌を、主観客観的に三次元的に取り込み、この時代の時間面を記載しようとするダイナミズムな挑戦だ」と若宮先生に見破られており、感極まり、感謝の限りです。
佐相憲一さんによる「あとがき」に、「世の中はますます大変なことになって、誰も信じられない、という人口多数の弱者たちの声が聴こえてくる。それでも何かを信じて前を向く人たちの心の声に耳を澄ませたい」という物凄い一文があり、詩の本質が顕わされ、その「声」そのものを捉えようとして捉えられない、永遠の旅が詩作なのかもしれないと心得え、自分の誕生日(12/20)のお祝いに、本誌気鋭の「容疑者」の皆様による各詩篇に、再び没入させて戴きます。心より感謝申し上げます。