「 帝 」 柴田望
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無題のMetaverseへ入れた時代の会話や印字されたイデアの水路は
いまとは違う地面の底に草の茎が萌え鼠の髪の毛がふるえ菊は醋え
凍れる冬を懺悔つらぬき朝の空路に青竹が生え根の先より繊毛生え
すべての罪は青き炎の幻影、哀傷の幽霊せつなる懺悔青き炎の幻影
ぷらちなの指でつまむ希いやおもみを霜夜こころにまさぐりしづむ
いみじき笛紅ふくめる琴をかきならすつみとがのしるしくらき土壌
天上の葉に白き首をかけ小鳥の巣は光り生活を貴族にする薫風盗み
罪びとの祈る手夏のおとろへ都をわすれ感傷の手はいぢらしき土地
悲しみ樹蔭のあひだから生えざる苗血をもとめまたぴすとるが鳴る
つめたいきりぎりす十字巷路哀傷大理石の波乱水盤に春夏はながれ
雲雀の皿を手のうへに種をまく白きじようろも皮膚かぐはしく呼吸
麦は遠く窓青き建築霜ふりてつめたき朝きしれ指と指との四輪馬車
あまりに焦心し、合掌せる薄暮かなしい月夜煤ぐろい嗅煙草の銀紙
臓が光らしてゐる波止場の石垣で黄いろいたましひが合唱してゐる
青白いふしあはせの鵞鳥みつめる馬鹿づらな手足くび新しい靴うら
壊れものが歩きはじめる憔悴した方角へ透明な青い血漿光つてゐる
風景の中に殺人者の顔が白くうきあがつていく年もまへからくらい
丘の上に人が帽子の下に顔が…窓硝子は歪んで見せた薄気味わるく
家の内部に立つてゐるとほく渚の方ばくてりやの浪の列はさざなみ
昔は、容易く入れた
プラトンは完全に繋がっていた
本を読んだり、レコードを貸し借りするだけで
詩人であること
軍人であること
国旗を掲揚することや
マルクスやドストエフスキイや
口語自由詩型の詩に驚き…
一瞬で、端末不要で、マインドフルネス
実空間以外へ無料で通信(はい)れた
新聞やラジオや北一輝がネットワークにビラ撒く…
送受信されるデータに操られ
空気の目に見えぬ襞から光る物が降る
神の涙、美しき連山、濡れて咲く薔薇
鴉が啄ばむ生贄の白骨を透かして見る
夜の星が柔和なまなざしを盗み還元し
遥かな連山を振り返ると数学の気高さ
尊い光の秋の解体眸がはらはらと降る…
…しづかに、落葉のやうに、二人だけの秘密の生活について話し
おほきな白つぽい雲がながれてみすぼらしい様子をしてふるえ
どこへ行くのか知らないながく、かなしげにひきずつてゐる
心のまづしい乙女を求めておほきな海のやうな感情である
空には風がながれてゐる、しばしはなにを祈るこころぞ
ほこりつぽい風景の顔、森の中の小径さみしい木立で
熱病の青じろい夢いやなことをかんがへこんで感覚
人間の感覚の生ぬるい不快さ小鳥の芽生小鳥の親
すべてから脱れて孤独になる遠い都の灯ともし
本能と良心と扉とびらのかげを出這入りした
偉大なる大人の思想久遠の郷愁を追ひ行く
意志なき斷崖を漂泊さまよひ遊園地樂隊
一つの地平は高く揚り嬉嬉たる群集の
白堊の荒漠たる洋室虚空を翔け行く
思惟するものは何ぞや一切を失ひ
わが息の根の止まる時殺せかし
懶惰を見て憐れみ煖爐もなく
夜汽車の絶望の岸に向へり
荒寥たる暦數の咲きたり
電氣の影に煤ぼけたる
破れしレコード鳴り
沈默して言はざる
久遠に輪を圍み
無用の書物の
熱情を惱み
空気の目
吠える
火よ
月
参考:萩原朔太郎 詩集『月に吠える』
鈴木政輝「犢の骨」(『國詩評林』昭和十四年一月五日)