詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■祖父の命日に 「海岸線」三部作 柴田望

■本日、5月31日は祖父の命日です。祖父は樺太出身、樺太師範から学徒出陣で土浦海軍航空隊に入隊、1945年5月27日の海軍記念日神龍特別攻撃隊編入され、特攻訓練中に8月15日を迎えました。祖父の手記をもとに「海岸線」という詩篇を書き、詩誌「指名手配」4号に掲載戴き、昨年発行した『壁/楯/ドライブ/海岸線』という詩集に纏めました。優しい校長先生で、夏休み、冬休み、勉強を教えてくれました。戦争時代のアルバムを見せてくれ、死んでいった戦友の話をしてくれました。祖父の想い出を胸に「海岸線」三部作をここにアップ致します。

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海岸線  (樺太

 一本の鉛筆が、一個の消ゴムの意味を持ち、魂の落書を消す。
 人間が消えたのだ。
 そのあとに何が残るか、はじめて、ノートの意味が開かれたのだ。
  ~文梨政幸「開く」『核詩集 1980年版』(核の会)

 土地によって生息する樹や言葉 
 水の巡りは異なる 樹は奇蹟だ
 最古の有機の命が受け継がれている
 人体に何十憶年分もの軛が棲む
 悟らせてはならない
 たった一人が神である可能性を
 危険な血筋かもしれない
 霧散する、世代の配列の痕跡
 未来へデルタ状に広がる
 海を越えて故郷を運ぶ
 どんな樹が生えていたか
 「まるで樹の切株だらけで、墓地の中へ
  レールを敷いたようなものです。」(林芙美子樺太への旅」)
 そんなはずはない 
 トドマツは樅 エゾマツは唐檜
 針葉の水の巡りに結晶が降る
 どんな家に住んでいたか
 豊原市東一条裏通り 食酢屋の裏の長屋
 最初の記憶 近所の葬式 よちよち歩きの弟が
 トッタン鋲を飲みこんだ
 母は慌てて弟を縦に抱き病院へ
 本人はけろっとしていた
 恵須取の役所を辞め 父は雑品屋へ転身
 リヤカーで町じゅう歩く だんだん暮らしは楽になり
 西六条南二丁目 古物商看板
 ある冬の朝、真っ黒い浮浪者が店にいた
 母は怯えていた 男はモゴモゴ言っていた
 「何か食わせてください」 飯場から逃げてきた
 母はおそるおそるどんぶりに汁をかけて差しだす
 父は怒った 土間ではなく、家に上げなさい
 父は男に五円を渡した 何度も頭を下げて出て行った
 子ども心に恐ろしかった 父は言った
 「勉強しなければ、あの男のようになる」
 豊原尋常第三小学校 入学前に算術は九九まで覚えた
 円の描けない図画だけが乙 他はぜんぶ甲
 体操の時間は誰にも負けなかった
 運動会はリレーの選手 一〇メートル先の相手も抜いた
 運動会の寿司やお弁当が美味しかった
 父もその日だけはにこにこしていた
 樺太庁吏員の娘、担任のH先生が結婚で辞めた
 後任はS先生 靴音だけで起立! 教室はシーンとなる
 たとえ前日欠席しても宿題をやってこなければ
 鬼のように怒鳴られる 成績は見違えるように向上!
 …S先生は終戦のとき、女性をかばってソ連兵に殺された
 豊原中学を受けるため毎日補習
 合格者は四人に一人 苦手な理科は全部できた
 国語は分からない漢字が一つだけ
 算術は最後の五分で閃いた
 発表の日、O先生が雪まみれになって家に転がりこみ
 「合格しましたよ!」 今でも強烈に憶いだせる
 八百人中三位合格 C組の級長となる
 小学校も優等卒業 陸上競技で全島二位
 この年の七月七日、北支盧溝橋の銃弾一発で
 昭和二〇年八月十五日迄の長い戦争に突入した
 柔道はいつも投げられていたが面白くて
 放課後練習に励む
 中二で一級、中三の秋に初段を戴き
 師範学校で三段 軍隊で四段へ昇段
 夢の中でも試合した 
 夢で覚えた技を試した
 陸上競技、スキー、国防競技の本校選手
 東京まで四泊五日の車中泊
 明治神宮国民体育大会に二度出場
 二年目は全国代表四位内に入り
 国立競技場で皇太子の臨席を仰ぎ決勝に出た
 ユニフォームの左腕に白熊のマーク
 その上に「カラフト」と縫い取りがあった
 幼稚園くらいの子が「樺太って白熊がいるの?」
 姉らしい女学生が走り寄って
 「ぼうや、その人たちとお話しても言葉が通じないのよ
  アイヌ人なんだから」
 認識のなさに愕然とした
 土のう運搬リレー二位、手榴弾投擲突撃競技三位
 旭川師団長鯉登行一中将より賞状を戴いた
 勉強部屋に飾った 学籍簿 通知箋…
 樺太には家も 母校も 何一つ残っていない
 私の歴史は残っていない
 中学卒業の三カ月前、父が心臓病で倒れた
 進学すべきか、家業に従事すべきか
 父は樺太古物組合の長 三〇人を雇っていた
 父に無断で印鑑を持ち出し
 満州の哈爾濱医大奉天工科大、仙台高等工業、
 三つとも無試験推薦で合格した
 学校から報告…父は驚いたが、すべて断った
 樺太師範へ入学する手続きを依頼した
 私の青春の夢は潰れてしまった
 父が嫌になった 家を離れたい
 十七歳の二度と来ない時代に 私はこの考えを持った

*

海岸線  (特攻)

 わたしもおまえも、ふたたびみたび、
 いくたびもいくたびも、緑濃くにおう夏の日に、
 生まれて死に、死んで生まれるのだ。
 ~萩原貢「残響―赤岩にて」『悪い夏』(黄土社 一九六九年)

 貴様 と 俺 …軍隊ではそう呼ぶ
 遺伝子に縫われた争いのために
 無数の俺と貴様の徴証を葬る
 敬意をこめて 耳ではなく目の核で
 醒めることでは解決しない
 指令を晴らすために 空気と雰囲気を裂く
 いずれにも死者がたちこめている
 四〇〇万年の起点を背に
 枝分かれ縫合する 巡る暗号の自転
 血を分けた水の先端 舌ではなく手で
 摑めない事変との接線をたぐる
 同期生全員でボイコット計画
 樺太師範はまるで農業専門学校 
 放課後は毎日畑仕事 芋、大根、キャベツ…
 学生らしい時間をください!
 要求が通るまで、答案は白紙で出す
 隔日でスポーツと自由の時間が与えられた
 アッツ島守備隊山崎大佐以下全員玉砕の報
 軍事教官が幅を利かせていた
 寮で各室長を集めた 次の雪戦会で
 O教官を氷の上に叩きつけよう
 俺達の作った作物を俺達には食べさせず
 ピンハネをし、あまつさえ俺達を
 虫か何かの様に扱って省みない軍人があるか
 天の制裁を与えるのだ
 彼は日本刀を持っている 抜いたらどうする
 責任は俺がとる 退学になってもいい
 雪戦会終了と同時にO教官を全員で胴上げし
 合図で氷の上に叩き落とした
 樺太連隊情報局長のF大佐に呼ばれた
 正直に話す 不思議と何のお咎めもなく
 二週間休んだ後、O教官の態度は一変した
 徴兵年齢が一歳下がり 全員検査を受けた
 学徒出陣の風 広島文理科大を諦め
 海軍予備学生合格の通知 将来は決まった
 この戦争に命を捧げるのだ
 死によって、家族は幾分でも助かるだろう
 俺達の世代の働きで日本を救うのだ
 最後の樺太神社祭を見に
 西一条高橋洋品店前を歩いていると
 俺の家をきいている師範の女生徒がいた
 行くのかな… いなければ可哀そうだ
 家へ戻りしばらくすると彼女が来た
 おずおずと千人針をくれた
 その後、出征の祝賀会と
 出発前にも一度だけ人目を忍んで逢ったけれど
 俄か雨でいそいで訣れた
 連絡船に乗ってからあけてくれと
 小さな包みをくれた
 九月十九日、繰り上げ卒業式
 戦時下の決意を込めて答辞を読み上げた
 校長は泣いておられた
 この時代に生まれてきたのが不幸だった
 軍隊に行けば、帰ることはない
 早く二〇歳になりたいと思っていたが
 二〇歳とは、こんなものだった
 九月二〇日、豊原駅で旅行者になりすまし
 ひそかに樺太を離れた 潔く散華しよう
 目の前を通り抜ける灌木の林 白樺の樹々 
 鈴谷平野 鈴谷岳 この目に焼きつけておこう
 連絡船に乗ってから包みをあけた
 錦織の御守りと黒髪が入っていた
 妻にするなら彼女だ 生きて帰れたら… 
 彼女の父に手紙を書いた
 未練を残さず立派に死にたくて
 二、三度しか手紙は書けなかった
 軍隊はすっかり人生観を変えた
 内地人のずるさからいろいろ学ばせてもらった
 身を現人神に捧げ南溟北漠の地に散らさん
 九月二十六日、土浦海軍航空隊に入隊
 全国より約千二百名の学徒が集う
 東大、京大、北大、早大、各大学高専の秀才たち
 軍人とは名ばかりですぐに飢えた集団と化した
 人間性は認められず 娑婆っ気を抜け!
 少しでも弛んでいると 総員ビンタ 飯抜き 軍人講話… 
 短期間で日本海軍の将校を作るのだから
 無理もないが、随分ひどい仕打ちだった
 三カ月後、適性検査で三百人が飛行機へ
 九百人は陸戦隊や潜水艦へ配属
 一人一人が日本を変えたかもしれないほどの
 優秀な戦友たちが蟻のごとく死地へ送りこまれた
 五月二十七日、海軍記念日 神龍特別攻撃隊編入された
 敗戦が近づいていた 飛ぶにも飛行機がない 
 グライダー特攻訓練 三里ヶ浜の熱い砂を踏みしめ
 本土決戦に備え あと何日かで出撃
 八月十五日、終戦 部隊長が自決した
 これからどうすればいいのか
 帰るべき故郷もなく、青森へ復員した

*

海岸線  (漂着)

 おおうー おおうー 確かに生きた応答だ 
 地下千万の深さで 埋沈する地霊の抵抗
 すでに巨大な火だるまだ 拒否と闘争の熱さで
 燃えさかる焔 水の巡りが灼熱する
 急がねばならない 伝達のように
 ~渡辺宗子「雪だるまの地平線」
  「フラジャイル」第一〇号(二〇二一年一月)

 果てしなく  壁    を展げる血の流しあい
 国どうしが  海岸線  を脅かす時代が過ぎ
   大勢の  楯    を殺傷する兵器の技術が
             高度経済成長とクルマ社会を支え
        ドライブ  は余暇の娯楽  
 空も海も軍のエンジンの叫びに満ちていた
 国籍不明の潜水艦が疎開船を雷撃し
 海に投げ出された避難民へ機銃掃射
 小笠原丸のわずかな生存者が
 夥しい遺体や持ち主のない荷物とともに
 増毛町大別刈村に流れ着いた
 第二号新興丸も、泰東丸もやられた
 どこの潜水艦かは容易に検討がつく
 調査で明るみになっても否定するだろう
 わが軍も過去にしたことを
 していないと言うだろうか
 どの国も… 人の集まりは過去を捻じ曲げる
 真実を変えなくても見方を変える
 たった一人がそうするのも何度も見てきた
 ここには真実を書きたい
 両親弟妹が樺太にまだいた
 青森県横内村 叔母の家 居心地は悪い
 叔母はいらいらしていた 息子が千島から帰ってこない
 そのうち戦死の公報が入った
 私は復員したのに、従兄弟は死んだ
 叔母は線香を焚いて狂ったように泣く
 彼の嫁さんも可哀そうだった
 師範を出ているのだから先生になれと
 校長から呼び出しがかかり 筒井小学校代用教員発令
 青森師範の附属校 六年生を受け持つ
 一学級八十五人、足の踏み場もない
 青森空襲で焼け出された他校の子たちも入っていた
 学籍簿もなく 誰が誰かもわからず
 まずは教科書作りから 夜遅くまでガリ版印刷
 茶碗も箸もない宿直室で暮らす
 他に服がないので軍服で教壇に立っていた
 小学校の向かいに青森五連隊の兵舎があった
 そこに米軍が進駐してきた
 ある日、若いMPがやってきた
 校長があわてて通訳してくれという
 「なぜ海軍のオフィサーが学校にいるのか?
  この学校では軍事教練をしているのか?」
 「復員して教壇に立っているのだ。
  軍事教練などしていない。」
 「隣の部屋にある木銃は何に使うのだ?」
 「焚きつけにして燃やしている。」
 「きみはトウジョウの部下だったのか?」
 「私は学徒出陣で軍隊にかり出された。
  東条は陸軍、私は海軍予備学生で少尉だった。」
 「私もスチューデント・ソルジャーだ。
  夜、遊びに行ってもいいか?」
 MPのグループが宿直室へ来るようになった
 私があげるものは日本語だけで
 彼らは煙草、缶詰、チョコレートをくれた
 砂川の一心町から、突然便りが届いた
 よかった、生きていたのか… 
 北海道へ行こう 札幌一条中学に空きがある… 
 しかし出発の直前、父母弟妹が樺太から引き揚げてきた
 青森駅で久しぶりに家族と再会
 妹が私にすがりついて泣く 
 父も泣いていた 父の泣く姿を初めて見た
 皆を横内の叔母の家に連れて行き
 海軍の退職金一万円を父に渡した
 父は堤町でリンゴ商人をはじめた
 進駐軍が去り教員住宅となった第五連隊兵舎で
 妻を迎える決意をした 
 砂川駅で再会 身一つで青森へ嫁ぐと言ってくれた
 家族だけで祝言をあげた
 やがて父と訣れ 津軽海峡 白い海岸線 
 太った鳥の群れに覆われていた
 砂川 豊沼 歌志内 神威 南幌晩翠 月形 栗沢宮村 
 再び歌志内 南幌… 柔道、陸上 教員であり続けた
 自衛隊から何度も誘われたが 飛行機に乗りたくはないし
 戦友の顔が浮かんで断った
 昭和五〇年一〇月、正八位に叙するとの位階
 国の方針を何の疑問も持たず信じて裏切られ
 わけのわからぬままに主義の転換 騙されたふりをして
 私たちの空洞の夢にあからさまな奥底を焼く 
 古い儀式の根本を再び試そうとする
 匿された漂着 言葉の辺縁系 焦げた鏡 
 目を合わせると消えてしまう!
 渦状の恐怖が煽る 狂気とは呼ばれなくなった 
 結晶させる 新しい普通を命がけで讃える
 生きている時代に 象徴の綾へ発せられた波動の天秤
 決して鎮まることはない

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