詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

「みらいらん」第10号 対談「吉増剛造×城戸朱理 西脇順三郎をふたたび考える ~生垣・女の舌・異語の声~」

吉増剛造先生より「みらいらん」第10号を御恵贈賜り、対談「吉増剛造×城戸朱理 西脇順三郎をふたたび考える ~生垣・女の舌・異語の声~」のP38に旭川の「フラジャイル」のことを言及戴いております。誠にありがとうございます。昨年12月12日、旭川市中央図書館での御講演(「小熊秀雄生誕120年記念講演 小熊秀雄への応答~現代への影響と将来への展望~」・詩誌「フラジャイル」14号に掲載)で、『詩とは何か』(講談社現代新書)より、西脇順三郎に「脛さが足りない」という問題について、旭川出身の鍵谷幸信についてお話戴きました。あのとき「鍵谷幸信の面影が西脇風に幽霊みたいになってきて…」お話されたとのこと。城戸氏が詩的されている田村隆一の言葉「『Ambarvalia』は感性を痺れさせ『旅人かへらず』は知性を痺れさせる」。「痺れ」について、吉増先生がお話されている「おそらく痺れや毒薬を感じたのは、西脇さんが心の一番底のところで捕まえた太古のギリシアのトーンなんだ」「ギリシアあるいは中国の詩人たちが吼えるような感じよりも更にもっと屈折して御自身でもわけのわからないような異語の発生のところに身を置いたような詩」というお話を拝読し、詩や芸術作品に触れたとき、ある波動の琴線に触れるような「痺れ」の感覚、12月の吉増先生の御講演のお話や朗読を拝聴したとき、御詩集『Voix』の紙面から立ち上ってくる様々な人の俤や情景に触れたとき…様々な「痺れ」感覚が蘇ってきて、今まで読んだ詩や聴いた音楽、誰かの朗読を聴いたとき…「痺れ」を感じた様々な時間を想起致しております。心より感謝申し上げます。

f:id:loureeds:20220725065109j:image
f:id:loureeds:20220725065107j:image
f:id:loureeds:20220725065104j:image