■詩誌「エウメニデス」第4期・第64号(2022年8月)を昨夜からずっと読んでいました。誠にありがとうございます。
小笠原鳥類さんの詩篇「考えて、キノコの種類を増やす」、例えば初めて聴く音源でも、これはチック・コリアだな、とか、バッハの平均律だけどキース・ジャレットだな、と分かる瞬間がありますが、小笠原鳥類さんの詩はどれも、作者名を隠しても読んでも小笠原鳥類さんの宇宙へ、意識を回転しつつ接続される、同時にたくさんの記憶への入り口へ誘われ、昭和期にぼろぼろにした学研の科学雑誌などが瞼に浮かびます。
小島きみ子さんの「国境 他九篇」、今こそ国境の問題に向き合わなければならない、「戦後は終わっていない、北方領土、竹島、尖閣諸島…、《国境》の問題は解決していない。」と論じた故片山晴夫先生の安部公房論を想起しつつ、「まぶしすぎる日常」「別れた夏」の光の波に晒され、「失われた」「捨てられた」言語に揺れる白い花瓣にフォーカスし、「光によることばの絶望」、(こころ)の痛み、風の焼き印を刻む。「汝と我」の関係、「「母」という存在」について、現代が神話を模倣するのではなく、神話が現代であるという詩空間へ誘われて、命の在り方を問われているように感じています。現実の問題に神話の言葉と感性で対峙するのが詩人の仕事なのだと思いました。時間をかけて理解を深めていきたと思います。
エッセイ、書評も興味深く、山本育夫さんの詩集『HANAJI 花児1984-2019』(思潮社)、技法としての吃音調、語音を響かせる表現の可能性や、「活字」が「かさぶた」であるという重要な詩的な気づきを与えられました。「体中の「かさぶた」は、疑いようのない活字であったとは、「詩への覚悟」を感じる。傷が癒えてくると「かさぶた」の下に新しい桃色の皮膚ができてくる。」
「エウメニデス」第63号の小島きみ子さんの「The Raven」にについて、ビートルズとルー・リードを書いた拙文を本号に掲載戴き、大変恐縮致しております。詩誌評に「フラジャイル」第14号のこと、小篠真琴さんの詩「それが希望」の明朗な良さや、柴田の詩についても言及戴き、身の引き締まる思いです。心より感謝申し上げます。