■2024年5月11日(土)第57回小熊秀雄賞贈呈式✨(会場:アートホテル旭川)、受賞者姜湖宙さんを旭川へお迎えし、市を挙げての素晴らしい贈呈式が行われました。市民実行委員会の一人として参加させて戴き、その場に立ち会わせて戴いたことが幸せでした。ご協力戴きました皆様、ご参加された皆様へ心より厚く感謝申し上げます。
・詩集『湖へ』(書肆ブン)、姜湖宙さんの受賞者スピーチ、書くことの「回避できない必然性」について、「詩や芸術とは、民衆、社会、民衆の生そのものと切り離すことができない、そういう確信が小熊の作品にはあったのではないか。」「私の詩はガザの人たちには必要とされていないし、何の力にもならない。それをわかっていながらも私は詩を必要として、詩を書いている。そういった隔たりをわかった上で書いている、ということは非常に苦しいということを感じています。そもそも詩を書くことは非常に苦しい。」という言葉に、会場の全員が静かに耳を傾け、胸を打たれていました。
・道教育大学旭川校村田裕和教授のご講演「小熊秀雄〈戦争の世紀〉を生きた詩人」も本当に素晴らしい内容で、プロレタリア文化についての貴重な資料や写真を拝見させて戴き、「プラムバゴ中隊」の「プラムバコ」の謎、小熊秀雄が書いた詩の賞の選評など、大変興味深いお話の数々。録画を何度も拝見し学ばせて戴きます。
・詩集『湖へ』(書肆ブン)に収められている、深く感銘を受けた詩の一つである「瞬き」に、ポール・オースターの小説『幽霊たち』が登場します。そして「消失」というオースターの詩集のタイトルの言葉も登場します。私は『湖へ』を拝読した12月くらいの時点では、久しぶりにオースターの名前を見たなぁ、と思いました。大学の頃はニューヨーク三部作、『ムーンパレス』、熱狂的に読んでいました。先月、4月30日にポール・オースターは他界されたということで、世界的なニュースになりました。
小説『幽霊たち』は、ブルーという探偵の元にある日、ホワイトという依頼人がやってきて、ブラックという人物の調査を頼む。ブルーはブラックの生活を、アパートの向かいのビルから観察し、報告書をホワイトへ送る、ブルーもブラックもホワイトもどこから来た、何者なのか、非常に謎が多いのですが、物語が進むにつれて、明かされるようで明かされない、はぐらかされる、でもだんだん自分の存在とは何なのかという問題に直面させられていくという、非常にスリリングな展開です。
その小説の方法を考えたとき、向かいのビルのような少し離れた地点から、気づかれないように(じつは気づかれている)観察する、もう一人の自分が、「私」という存在を書いている。『湖へ』はそのような文体の可能性としての距離を、見事に獲得している詩集であり、「私」ともう一人の詩人の、引き離された時空の中で、言葉で表されているはずが、どの国の言葉でもない、声に翻訳される前の透明な言語体のようなものが立ち上ってくる、それは決して生成AIでは紡げない、詩の本質へ導く、詩人の筆記の力を目撃させられ、感銘を受けました。
「私」について、「私」という問題について書かれた詩集は数多いですが、姜湖宙さんの『湖へ』の書き方は他の多くの詩集の「私」とはその点で異なり、読者に新しい視点を投げかけているように感じました。例えば私たちが小熊秀雄を読むときは、小熊秀雄の視点で世界を見ていて、それは現代を生きる私たちにとっては異世界であり、当時の日本の言語空間の中でも特殊であったと思いますが、「この詩人の視点で世界をもっと見たい」と読み手が願う、潜在意識下での直感的な信頼を読者として感じます。詩人によって醸成された詩の言葉はノンフィクションを題材にしていてもフィクションの芸術かもしれません。しかしこの『湖へ』という詩集は、これは私たちが見なければならない、私たちが直面している本当の世界について書かれた詩集なのだと感じました。姜湖宙さんの「小熊秀雄のように、生活者である民衆の側に立って、嘘偽りない言葉で詩を書き続けたい」という受賞者スピーチの言葉を拝聴し、その確信をさらに深めました。
存在の「根源の揺らぎ」の問題、「いびつな社会が続いている」世界の肌触り、「作者がどれだけ詩の言葉を今の社会に対して切実にぶつけているか」…最終選考会の場でも「存在の根源の問い」について議論された数少ない詩集であり、忘れてはならない詩の本質について学ばせて戴いた思いです。
ぜひこの詩集の作者に、旭川に来てほしい、小熊秀雄を愛する旭川市民に出会ってほしいという小熊秀雄賞市民実行委員会の夢が叶いました。心よりお祝いと感謝を申し上げます。