■6月15日(土)、「生誕100年・安部公房と旭川」と題して講演させて戴きます(主催:サッポロアートラボ”サラ” 会場:大丸藤井セントラル7階 時間:15時30分~17時00分)。ご興味をお持ち戴けましたら、ぜひご参加戴けましたら幸いです(大人1000円/学生500円)。
2月のベルリン国際映画祭でも注目を浴びた映画『箱男』(石井岳龍監督)の原作者、世界的作家・安部公房は今年生誕100年。原籍地は旭川市東鷹栖です。安部公房と旭川の関わり、東鷹栖安部公房有志の会の活動、安部公房研究の第一人者・文芸評論家高野斗志美の評論活動などについてお話させて戴きます。
昨年、私たちがアフガニスタンの詩作禁止に抵抗し、ソマイア・ラミシュさんとの連帯を表明した『NO JAIL CAN CONFINE YOUR POEM詩の檻はない』の活動は、それは今までの経験を生かしながらも新しい本質を得るような行為であり、無限の可能性を持つ、名づけられない実存が本質へ導かれ、まるで安部公房の小説を経験するような、膨大な変形を与えられるような出来事でした。一つの本質を獲得して終わりということではなく、本質を獲得するということと同時に、実存は実存としてあり続け、さらなる制限と自由の絡み合う無限の可能性を生み出しながら進む現在進行形の運動体のような、特別な経験をさせて戴きました。
満州で敗戦を迎え、社会の基準・価値観が徹底的に壊れるところを目撃した。父を亡くし、親友を失い、青春を破壊され、時代の変化に曝され、変形を経験させられ、名づけられないものとして「音もなくいとなむ流れ」となるしかなかった。やがてそうしたあり方を拒否し、ただ壊されるだけではない、創作の表現の無限の可能性を秘めた無形の呪縛を切り払おうとする自己を発見していく。創作の原点となる『無名詩集』時代の安部公房を、文芸評論家高野斗志美はなぜ的確に論じることができたのか、その謎に迫ります。
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「壁 ―片山晴夫先生へ」
柴田望
~まどろまぬかべにも人をみつるかなまさしからなん春の夜の夢(後撰和歌集巻第九 恋歌一)
講演の直前、K先生が私を呼び
「すごい発見をしたよ!」
ぎっしり文字の詰まったノートに
〈古語「壁」=「塗る」・「寝る」=「夢」〉
「壁」は夢の総称
安部公房は伝統を拒絶しながら
和歌の古語を手法に活かした(仮説?)
「箱」や「棒」という言葉も
かつての日本人なら当然に理解していた
重層的な意味が潜む
小説の主人公に境遇をもたらす
走り書きに辺境は潜む
スマホのカメラで畏怖は撮れない
壁を捲る 口ずさむ縄跳びの作法
蝶結びのコツ 指先まで届く血は
ご先祖の働きに触れる
かつて咲き誇った庭の残影
かつては当たり前だった古い造りだ
新しい世代の家も
事故やクレーム、災害から学んだ
(危険)は(安全) 両極を前提にしている
《反リアリズム》の手法とは
《本当のリアリズム》の追究
あのときの輝く瞳…
6月のチラシを刷り、街じゅうに配って
最前列で先生の言葉を
耳で書きなぐり、講義録をまとめた
「日本語を紐解けば、〈壁〉にはアホ、愚か者、
そのような意味もある…」
覆る壁に沿った愚かさを恥じ
名前に逃げられても
日常の《変形》を誘う声
どんな碑よりも高く導く