詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■朝伊ミチル詩集『あさいはじまり』の発行とイベントの開催につき、皆様からの温かい応援を賜り、誠にありがとうございます。

■昨年は朝伊ミチル詩集『あさいはじまり』の発行とイベントの開催につき、皆様からの温かい応援を賜り、誠にありがとうございました。この声を黙殺させない決意で取り組ませて戴きました。朝伊さんの故郷の上士幌町図書館、帯広市図書館にも一般図書、郷土資料の書棚に飾られていました。心より感謝申し上げます。

ある衝撃の塊のような出来事が分解され、題材が見いだされ、勇気を持って向き合い、創作に昇華されていく…静かな過程に立ち会い、詩のあり方について深く考えさせられました。半年前には想像できませんでしたが、本人の努力と、支えてくださった皆様の温かい想いに心揺さぶられました。

異なる種類の次元から寄せられた語が、化学反応を起こして輪郭を揺らす、筆名「朝伊ミチル」は日本の戸籍謄本には存在していない、一行に命が与えられた虚構です。もし事実を書いたとしても、書き手の目線というフィルターを通した虚構の世界表現となり、どう読むかは完全に読み手に委ねられます。

最初の詩「あさいはじまり」(P8)の主人公は、誰か(《音楽》)に何かを言われて、相当な苦しみを味わいます。遺書を書いて、警察沙汰になり、休職を迫られる経験です。読者は主人公側の視線で、最初は悲劇を同情しますが、

読み進めるとP10「音楽は涼しい顔で/今日もいつも通り仕事をしてるんだろう」という、衝撃的な記述があります。つまり《私》を苦しめた《音楽》は常識の世界に受け入れられ、社会生活を送っている。常識の世界から締め出されたのは《私》なのだと気づかされます。

another standard、異なる世界への入口の発動です。この宇宙には無数の世界があって、それぞれの常識は異なります。自分とは異なる世界の人の心に触れる、痛みを共有することが、偽善ではなく、魂の底からできるだろうか、存在の問題、問いを突きつけられているようです。

P9には「一週間に警察が三度来た」とあります。警察の仕事のレベルはその国の軍隊の強さを表します。韓国で大統領が戒厳令を発し、国中が大騒ぎとなりました。警察や軍隊が市民の生活に介入し、力を行使することができる世界なのだということに気づかされます。

ウクライナイスラエル、ガザ、2020年代も戦争の時代です。P40の作品「MY SMILE IS A RIFLE」には、武器の名前が多く登場します。一見平和に見える私たちの世界も、another standard、武力に脅かされる別の常識と、背中合わせなのだと直感し戦慄します。

ある人から、ある言葉を投げかけられて、自殺を決意する状態に追い込まれる、つまり言葉は人を殺す道具です。戦争で軍隊を動かす命令を伝える道具が言葉であり、戦争で発達した技術です。そして勝った国の言葉が残り、負けた側の言葉や文化は滅ぼされる、悲劇が重ねられています。

道具としての言葉は意味であり、意味から言葉を解放させるのが、詩の可能性の一つと考えられます。普段の生活の中で私たちは意味の言葉を交わしています。その檻から解放させる言葉の技法が試され、普通の文章ではなくなってしまったとき、詩は難しいとか、読めない、ということになるのですが、

意味で縛るのではなく、別の読み方やイメージを与える可能性が広がります。刺激と反応には自由意志の余地があります。例えば、この詩集の主題でもある、ある人からある言葉を投げかけられて、死を決意し、遺書を書く、これは「あさいはじまり」の詩の主人公の選択です。

読者は想像を広げます。自分だったらどうするか、ユーモアで返すとか、相手を変えるとか、仕返しするとか、もっといい相手を選ぶとか、色んな選択肢があるはずです。もしかすると「こんな時はこうしたらいいよ」というような、善意のアドバイスが寄せられる可能性があります。

しかし、《音楽》に裏切られ《詩》に救われる「あさいはじまり」の《私》は、たぶんそんな助言を聞き入れないようです。「遺書を書いて死ぬ」という、その他のすべての可能性を遮断するような唯一の反応、そこから得られる経験を魂の底から真に求めて、この宇宙にやってきたのかもしれません。

人類が歩んできた悲劇の遺伝子に耳を澄ませる、その姿勢は、決して拒否ではなくて、世界との向き合い方として顕れている。つまり世界を拒絶しているのではない、精一杯向き合っているんだという、逆説的ですが清々しいほどの姿勢が根底にあり、だんだん読者は気づかされます。

そう考えたとき、単純に太陽の光を浴びるのではなく、光と詩人の間に鉄の網が張られる。その網は決して光を遮断しているのではなく、光と向き合い、光に接し、影を刻んでいる、足跡を刻むように詩の言葉が紡がれていくのではないかと想い、はなびさんのこのお写真を、直感的に表紙に選ばせて戴きました。

「私」を主語に書かれる詩集は、家族や周囲の人への思いやりを主題にしたような、暖色系の詩集が多いのですが、『あさいはじまり』は、もっと都会のコンクリートのような、自分の苦しみと向き合う詩が割合を占めています。

しかし、木彫りのクマ職人のお父様のことが書かれた「みきおさんの詩」(P17)という一篇には血が通っているようで、急にこの詩集の暗い箱のような中身を温かく照らす、光が注がれます。

後半はお詫びの気持ち(P49「STAND-ALONE」)や、まだ許せないけれど、許したいという、心の動き(P56「ゆるす」)へ。言葉によって、色や温度が与えられていく、様々な実験が試されています。

その詩集『あさいはじまり』を、今年「フラジャイル」から出版しました。FRAGILEとはコワレモノ、脆弱な、不安定な、はかない、繊細な、虚弱な、壊れやすい、傷つきやすい、もろい、実質のない、不十分な……、

経済基盤が弱く改革が必要とされる国もフラジャイルと呼ばれます。資本主義社会においては、壊れにくい、長持ちする、安くて便利な製品が大量生産され、経済を支えます。しかし、そのような価値基準で詩を評価することはできません。政治の都合や権威のような強さとは遠い場所に詩はあります。

存在の表面と根源、現代の苦悩の顕れ、安易な解決で逃げようとせず、対峙する姿勢。100年前の読者にも、100年後の読者にも、何かを感じてほしいと願い、「フラジャイル」より詩集『あさいはじまり』を発行させて戴きました。

朝伊ミチルさん、別々のパラレル・ワールド、時間軸が交差して、一つの季節、一冊の本が生まれました。ある夏に訪れた、言葉で宇宙の仕組みを探る天体の逆行、淡いの次元に導かれ、扉は無限に開かれていると気づく仄かな永遠。

#あさいはじまり
https://x.gd/ZPDRD

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