■2024年10月13日、北海道立文学館講堂(札幌市)にて行われた「吉本隆明生誕100年記念・三浦雅士講演会~吉本隆明の転向―マルクスを超えて~」(主催:北海道横超会Ⅱ)、深く印象に残った箇所など、レジュメ、ノートを読み返し、要点・メッセージをまとめ、再確認しています。
***講義メモ***
80年代の『マス・イメージ論』、『ハイ・イメージ論』の後、1995年に吉本が出版した『わが「転向」』、『超資本主義論』、『母型論』の重要性。マルクスが打倒すべきとした資本主義は変わった。1972年にサントリーが「水」を売り始めてから、資本主義の主軸が生産型から消費型に変容。
『わが「転向」』は左翼批判。普通、左翼が転向した連中をいじめるのが転向論。吉本隆明の転向論はそうじゃない。転向者に対して怒りまくる連中に対し、「お前が一番転向しているじゃないか!!」、つまり左翼を批判する。だって資本主義の本質は変容した。
第三次産業の消費の筆頭は教育。日本だけじゃなく世界各国、中国でも子どもの教育にどんどんお金を遣う。人類はある時点までいくと、知的に進歩していくことが徹底的に重大になっていく。そういう局面にくる。そういう本質的なことを経済学者たちはなぜ語らないのか?というのが吉本隆明の問い。
『言語にとって美とは何か』の頃、詩篇「転位のための十篇」を書いた。マルクス主義が敗北するわけがない、私は革命の戦士だ、と思って書いた。しかし『言語にとって美とは何か』が最後に直面するのは、文学の絶頂期の後に、革命が起こるはずだ!という時期があったのに、革命は起こらなかった。
マルクスをやった国は全体主義になってしまう。安部公房は『方舟さくら丸』で地下に方舟をつくる左翼の幻想を書いた。吉本隆明は攻め方を変えた。人間の社会や国家かどういうかたちで出てくるかを知りたい。宣言のように『共同幻想論』を書く。そこではっきりと提示された思想は「詩的」だった。
学術的で順序正しい「紀要論文」的ではない、横超する「詩的(ポエティック)思想」。飛躍して最終的に本質を極める。自分は顔を晒してもいいからこれだけは言う、何かあったら真正面から批判してください、という一匹狼な吉本隆明の姿勢はYouTuberの先駆け。1995年の3冊はそれが過激になっている。
共同幻想の科学的解明。AIで人間の神経のすべてを計算できたとしても、生物現象は精子と卵子と同じで、シナプスやニューロンの働きは一対一、対になる。大脳生理学と新たな学派が合体して、新しいライティングが出来ましたという背景も、《対幻想》が入っている。『母型論』で予見している。
小林秀雄と吉本隆明は柳田國男に対する対応の仕方がまったく違う。小林秀雄は創元選書で柳田國男の本をたくさん世に出したが、柳田國男のことを全然書いていないが、小林の『考えるのヒント』のあるエッセイの口調は柳田國男そのもの。吉本は柳田國男を国家のレベルで扱っている。
「自由エネルギー原理」の起源はヘルムホルツ。非ユークリッド幾何学を仕上げる力があった。見る、聴く、知覚とは、ぜんぶ予想があった上で、皆頭の中で計算している。演劇で役者の動きをハラハラして見るとき、予想を入れて見ている。ヘルムホルツは「知覚は無意識の推論だ」と言った。
ヘルムホルツの弟子筋のヴィルヘルム・ヴントの心理学は読まれているが、科学主義のヘルムホルツの心理学は注目されていない。知覚とは理性の知。アランの『精神と情熱とに関する八十一章』を訳したのは小林秀雄。そのアランがヘルムホルツのことをたくさん書いている。小林秀雄は知っていた。
イシュトファン・ホント『富と徳』、国家は富を徳とするが嫉妬する。フィレンツェのルネッサンスなどを見ても、嫉妬だとか見栄が大きく影響している。そういうことがなかったかのように、学問でやっているように見せても、本質的には違う。この論じ方は吉本の詩的思想と似ている。
イギリスとフランスが先を走り、ドイツは後れながらも絶対的に点数上げなきゃならない、その馬鹿力が一番まとまった段階に留学したのが鴎外。勝ちっぱなしのイギリスに留学したのが漱石。鴎外はドイツの意識に同調。漱石は下宿屋から一歩も外へ出たくない、みたいな感じだった。その違いが出る。
人類の一番最初に出てきた呪術的な世界観、根本的な文化レベルで、思想が試され、詩が試され、演劇が試され、だんだん高度になっていく。それをつくってきた。資本主義社会の現代においても、全人類がどのように無意識のうちで感じているか。吉本隆明は全人類的に考えていた。
地理的にパリ北駅が東京上野駅だとすれば、モスクワ、ペテルブルクが札幌。そうやって見てみたら、ちょっと札幌だらしないんじゃないか? 北海道横超会Ⅱみたいのがあったら、そこから文学運動の一つや二つや三つ、当然出てきてもいい。そうなんだよ。ヨーロッパでもそれやってるんだから。
マルクスには女中が産んだ男の子がいた。正妻の子どもである二人の娘には家庭教師を付けて、男の子の方は完全に下男にしちゃっている。どういう風にでもなれって畑に出すのも平気だった…。それが不思議だと、経済学者の森嶋通夫が書いている。岩波新書で出ている。感心して、考え込んでしまった。
ある国が、うちは共産主義で間違えた、やめたよって言って、他の国に、やばいからやめた方がいいんじゃない?って言うべきなのに全然言わない。昔はそうじゃなかった。マキャベリの時代はペルシャ王が『君主論』の内容を批判した。マキァヴェリアン・モーメントの段階は、国家自体が人間の顔をしていた。
国家自体が人間の顔をしていた。そうでなくなったのは19世紀だということを密かに思っているのが新ケンブリッジ派。そしてイシュトファン・ホントの『貿易の嫉妬』。貿易は嫉妬から生まれた。そうした問題こそ、吉本隆明が一番やりたかったことだろうっていうのが、歴然としている。
吉本隆明が、詩的直感で仕掛け花火みたいなことをやって、とにかく考えてくれと、多くの問題を提起したのに、特に学問をやっている大学の人たちが続いていない。吉本は学者じゃなくても、サジェスチョンの塊みたいなところがいっぱいある。自分で袋小路に入っても、そういうことも隠さない。
平林敏彦が1947年、23歳のときに『近代詩に関する二三の批評』を書いて、岡本潤の『襤褸の旗』と、壺井繁治の『果実』、ひろし・ぬやまの『編笠』、この人たちは戦前も戦中も左翼で凄いなあと論じた。
ところがその数年後に、平林敏彦が挙げた人たちを批判したのが吉本隆明。この人たちが本当に「二段階転向」をやったんだ、左翼も基本的に言えばほとんどの人がそうだというのが吉本の感想。民主文学批判二段階転向論、『文学者の戦争責任』(吉本 隆明、武井 昭夫)が時代を席巻した。
『言語にとって美とは何か』、『共同幻想論』、『心的現象論』…吉本隆明は潜在的に転向問題をコアにして、それを引いていたといっていいと思う。そういう風にして引いているものを、どう解決していったらいいのか、ずっと一人で苦悩してきた。
吉本隆明は柳田國男の探求心、思想の詩的部分に注目した。「詩的思想」の着想を方法論にして、それを流儀とした。それが非常に一貫していた吉本隆明の重要さ。そういう人が今までいなかった。吉本にとっての柳田と、小林秀雄にとっての柳田、その全体の突け合わせを、誰かがやるべき。
一貫していた「詩的思想」の姿勢、飛躍を恐れず、自分を得心させるような飛躍を吐露する。吉本は1995年の段階で今現在の話を書いている。1993年に亡くなった安部公房が遺したものは、よく見たら今のネット社会の話を書いている。同世代の吉本隆明と本当に同じ。片方は作家、片一方は詩的思想家。
************
■質疑応答も含めて3時間近くのご講演、網羅することはまったくできませんが、同世代の安部公房のお話、北海道横超会Ⅱへの励ましのお言葉も、嬉しく拝聴させて戴きました。
「私たちがやらなきゃならないことは、若い人たちを巻き込んで、吉本隆明が提起した問題を伝達していくこと。」