柴橋伴夫さんの詩の葉『私の妹へ』(私家版)を読んで
※写真左から
詩の葉『荒野へ』 柴橋伴夫
2019年8月17日(藤田印刷エクセレントブックス)
詩の葉『私の妹へ』 柴橋伴夫
2025年10月20日(私家版)
詩集『冬の透視図』 柴橋伴夫
1978年12月1日(NU工房)
「石の白い悲歌よ/街ではほら/きみの妹が燃えている/灰色の川に/きみにすでに/血のひとしづくを滴らし」(「溶けてゆく六月の憧憬」 詩集『冬の透視図』)
「たったひとりのために/血を流す川はない/だから/激しく叫ぶがいい/夜の草原で/きみの妹となった/夏の幻想に向けて/すでに/喪うものはなにもない」(「華やげる死の渇きへ」 詩集『冬の透視図』)
非常時の残酷さの犠牲となる弱きもの、純粋無垢な愛しきものの象徴としての「妹」、そして死のイメージが繰り返し登場する第一詩集『冬の透視図』から四十七年の月日を経て、詩人が再び「妹」を書いた。「悲惨な刻(とき)を憂いている〈非存在(ノン・エートル)〉の妹」(「子羊の妹」)といつ再会したのか。それともずっと詩人の中に変わらずにいたのか。かつての詩篇の発話者は見るものとして熱狂を秘めつつも静かに語っていたが、最新詩集の語り手は呼びかけるものとして、エクスクラメーションの切迫した激しい叫びを重ねて詩行を織る。
「妹の聲なき聲は/私の実存につきささってくる/罪なき者達の血と骨を/亀裂の入った世界からすぐに救い出せ!」(「幻の妹Ⅱ」 詩の葉『私の妹へ』)
絶望的な非常時が繰り返し常態化し、都市が焼かれても、忘れられた叫びは傍観される。それが死の扉の向こうから響くとき、視聴者として麻痺した魂もようやく揺り動かされる。第二詩集『荒地へ』の「メメント・モリ」で死の河を越境する子どもたちの群れ、「死を想え」哀切のリフレインが再び登場し、「無力に横たわる影のような幽かな言の葉」(「樹の蒼さへ」 詩の葉『私の妹へ』)はその越境を経ることで虚無を抜け世界を再創造させる。
「妹よ、世界にはじめての言葉を――」(「妹の乳房」 詩の葉『私の妹へ』)
