■2018年4月28日(土)札幌市豊平館にて、第一回「ぽえむ・ライヴin豊平館」を開催致しました。
「第1回 ぽえむ・ライヴin豊平館」
日時 2018年4月28日(土)
13:30開場 14:00~16:30
場所 札幌市豊平館1階「下の広間」定員30名(要予約)
札幌市中央区中島公園1-20 電話011-211-1951
※17:00より懇親会(会場:キリンビール園本館中島公園店)
主催 ポエム・ライヴ北の息吹実行委員会
共催 詩誌 『饗宴』 『游人』 『フラジャイル』
後援 (公財)北海道立文学館 北海道新聞社
■昨年2017年4月22(土)同会場豊平館にて、宮尾節子さんの呼びかけにより、朗読会《Twitter連詩組と北の仲間たち》が行われました。前半が宮尾節子さんと番場早苗さんのトークと朗読、Twitter連詩組の皆さんによるパフォーマンス。後半は長屋のり子さんの司会で北海道の錚々たる詩人の皆様が次々に自作詩朗読を披露され、まさに詩の饗宴。記念すべき素晴らしい会でありました。
ぜひ2018年も豊平館で朗読会をと、詩誌『饗宴』主宰・瀬戸正昭さんの呼びかけにより、道内外より錚々たる詩人の皆様が参集されました。共催は詩誌『饗宴』・『游人』・『フラジャイル』。北海道詩人協会や小樽詩話会に所属されている方にも多数ご参加を頂き、会場総勢約40名(朗読出演者は16名)という盛会になりました。「詩に肉声をとりもどし、《言霊》の再生を!」北海道の詩文化、朗読の取り組みを活性化させたいという想いに応えて頂き、今回(公財)北海道立文学館、北海道新聞社の後援も頂きました。また、豊平館の館長をはじめ職員の皆様にもご理解とご協力を頂き、大変お世話になりました。一同心より厚く御礼申し上げます。
■ご出演 Youtube動画リンク先URLを表示致しております。ぜひ、ご覧ください。(私の拙い解説、当日会場スタッフに専念しておりましたので、空気をつかみきれていないかもしれません。お気づきの点等ございましたら、何卒ご指摘くださいましたら幸いです。)
・立原透耶さん 中国詩・中国語朗読「猫猫雨」
急にトップバッターをお願いしてしまいました。台湾の有名な詩人、劉正偉の作品。中国語と日本語で朗読。小ぬか雨を可愛らしい猫のようだとする比喩感覚がまず凄い。『饗宴』75号に掲載されています。 透き通る可憐な御声。一気にファンになり、聴き入ってしまいました。※この動画をアップした後、「猫猫雨」の原作者である劉正偉氏によりフェイスブックで紹介されました。多くの台湾の方々により動画が再生され、好意的なコメントが沢山寄せられました。「両国の交流の努力をありがとう」という感動的なメッセージも!!
・萩原貢さん 「オレンジの算術 」
路上に転がる、袋に残る、毎日一つ食べるオレンジの数を数える、余生後何年を数える、日常に潜む引き算を密かに操る忍術使いならぬ算術使いの存在がある。将来、人工知能に仕事を奪われるシンギュラリティが発生しても、人工知能には「謝罪する」「責任をとる」といった仕事は不可能。数字だけでは世界を把握しきれない。人工知能には将棋はできても詩作できないと、しみじみ納得致しました。
・山内みゆきさん 「夜と月」「本と映像の日々15・16」
「一つの夜がほどけると、押しつぶされていたその下の夜が膨らみはじまる」凄い詩句。私たちがいま経験しているのは、どちらの夜なのだろうか?
「本と映像の日々」シリーズ、わくわくしながら拝聴。会場の皆さんも、知っている本が出てきたら、頷きながら聴いておられました。山内さんの膨大な読書生活を追体験!
(動画は意向によりアップ致しておりませんが、山内さんの素晴らしい朗読を聴きたいご希望の方は次回朗読会の機会、会場へ足をお運びください。ぜひライブにて☆)
・福士文浩さん 「天の川の小石」
苫小牧の詩人、カラフルな譜面台の福士さんワールド。現代の寓話。身近で美しくて誰もが持っている《若草色の石》が実は危険であるという、問題提起。花火大会の河原の夜を想起しつつ、多くを考えさせられました。少女との出会いが鍵。翌日も札幌開催の朗読会に参加されるという、お忙しい中のご参加。
・渡辺宗子さん 「椿哀悼」
「この大地に椿の咲かない理由を/切断された蘖(ひこばえ)のことを/赤く縁取った垣根の落ちた花首の踏みにじられる不条理を」 福島問題を題材に、正面から訴える詩句の強度。短い作品ながら想像力が広がり、胸に突き刺さる真摯な朗読。読み終えたとき、会場から感嘆の声が!
・岩浅武久さん 太田正一作 「春の奔流」 「シャガールのblueの中では」「初夏」
『饗宴』ではロシア文学を紹介されている岩浅さん。50年来の友人であり、先月亡くなられたという太田正一さんの作品を朗読。詩集『頭痛天体交響楽』(珠真書房、1974年)、『惑星監獄の夢』(埴輪、1968年)より。「遥かに海は/錯乱の子らを宿し/名なしのしぶきは/行方知れずだ」(「春の奔流」 ) 「シャガールのblueの中では/小悪魔が固くて酸っぱい林檎を齧っているんだよ」(「シャガールのblueの中では」) 太田正一(ペンネーム=キキ)さんの作品、初めて知りました。色彩感覚が豊かに音楽や味覚と溶けあって響く。バリトン系の情感溢れる男らしいご発声。
・長屋のり子さん 「帰郷 」
皆様、楽しみにされていた長屋のり子さんの朗読です! 詩集『蝶の背に乗って』より「帰郷」。いま立ち去ろうとしているからこそ瞳に焼きつく故郷神田の町並み。長屋さんが読み始めた途端、時間は止まり、私たちは思い出に溢れるその時代のその景色へ一気に連れて行かれます。 「色と匂いと音楽と思慕と憧憬と…」 《檸檬の時間》を体験させて頂きました。胸いっぱいです。
・木暮純さん 「涙色の目薬」 「悲しい夜明け」
ここからは『フラジャイル』同人3名の朗読。詩誌『青芽』同人の先輩、旭川文学資料館学芸員・沓澤章俊さんの新しいペンネーム=木暮純さんです。生きづらさをテーマにした心の叫びを抑制した声で滲ませる。「悲しい夜明け」はグラフ旭川の4月号に掲載。同じく『フラジャイル』同人の山内さんがDavidBowieがお好きということで、柴田がBGMで2曲ピアノ演奏。(「LifeOnMars?」「Heroes」)
・二宮清隆さん 「さくら葉」 「しんそこ」 「葉のない餅 」
饗宴81号に掲載の「さくら葉」、フラジャイル第2号に掲載、12月に旭川(まちなかぶんか小屋)でも朗読された「しんそこ」(=web詩誌「新次元」の時評にて、青木由弥子さんによりご紹介されています!) 小樽詩話会の最新号(614号)の冒頭に掲載されている「葉のない餅」を朗読。スナイパーのごとく掲載タイミング狙い通りの季節感。お母様のお餅づくりはまさに詩作のよう。完成が待ち遠しく、ドキュメントタッチの詩技
・柴田望 「顔(Ⅳ-Ⅲ)」
スマホで音(タンジェリン・ドリームの「ルビコンPt.1」)を鳴らしつつ、スマホ画面で読みながら朗読しておりますので、私の朗読姿は歩きスマホでゲームしているおじさんのように見えます。主人公の父母のこと「何も言えず、耐えている人たちが時代を彫ってる・・・」 戦中戦後、物語連詩の試みです。
・住連木律さん 「おいしい卵」「地母」
詩誌『饗宴』78号で拝読した「おいしい卵」。催眠術のように心地良い、魅惑的なリズムで、どきっとする宣告。最初から捕まって食べられる運命であるにも関わらず、弄ばれる卵とは?「おまえの命が/おいしいからよ」「命喰らわば/みな鬼よ」 そして笑顔・・・最高です!「地母」も神話的な世界感を小舟に揺られる不滅のリズム感で。「銀の/弦の/月は/緩む」。
・村田譲さん 「風の名刺」
舞踏のごとく華麗な、達人村田譲さんの朗読世界。舞台芸術。朗読は総合芸術なのだということを思い知らされました。あるエッセイストの波乱の履歴。閻魔様に差し出せる名刺替わりは賞状。エッセー、小説、詩作品…書かれてしまったものはみなフィクションなのか。閻魔様に何を差し出せるか、経験は創作にどう生きるか、創作と向き合う閻魔様とは誰か? 深く考えさせられました。「片隅に芽生える不安」に駆り立てられ、書くことの核心へ。
・番場早苗さん 「鳥」
『游人』24号に掲載。自由な鳥の飛翔への憧れ。「朝が来るのを疑ったことはないのか/それとも鳥のいるところ朝が来るのか」という秀逸な詩行が印象的。きっと、両方とも正しいのだと思う。「終活断捨離」も「相続する不動産」も鳥にはない。飛べない鳥である私たちの足枷が重ければ重いほど、飛べる鳥の自由さが際立つ。そして、飛べない鳥も最後には木の葉の舟で「大きな海へ出てゆくの」。拍手を送りたいけれど、本当は出てゆきたくはないのかもしれない。そこが、美しい。静かな海の朗読。
・下川敬明さん 「永遠」
「一篇の詩」と書かれたペーパーが配布され、本のように開くと、そこには「永遠」という詩が記されていました。人間から信仰を奪う「わたし」とは誰か。悪魔? 死神? それとも天使か? 何故か神を失った人間は「晴れやかな顔で礼を述べ」新たな生へ進めるのか。「感傷に浸る暇もなく」信仰を奪う「遊戯」は何故歴史上何度も繰り返し行われるのか。「わたくし」の正体は誰か。これらの答えを出すより、問いそのものの方が重要なのかもしれない。そんな迷路に誘い込まれる、魔術性の高い朗読。やっぱり、悪魔でしょうか?(笑)
・森れいさん 「メコン川 」
『ZERO』No.39より、「メコン川」。6か国、4000キロを引きづる壮大な川。ときおり水面にとび跳ねるシルエットは死者たちのものでしょうか。「ホテイアオイ」花が美しい水草を浮かべて弔い、彼らの物語に詩人は「左耳」を「ほとり」傾けるのだろうか。川が壮大ということは、そこに映る影も大きなものであるに違いない。そして光があるからこそ、影が生きる。川岸で流れを見つめている自分は、実は流れの中でもがいているのかもしれない。渦に向かっているのかもしれない。その影は誰に見られるだろうか。蜃気楼を想起しつつ、旅に誘われた朗読でした。
・瀬戸正昭さん 「しれとこの四季」
昨年、瀬戸さんが朗読のときにかけたCDはモーツァルトでしたので、今回もクラシックであろうと思っていたのですが、渡されたCDは何と?「知床の四季」。自然の音が入っている。自然音の交響詩です。「短い春の宴は無礼講だ」「炎の中には生き物たちの霊魂が揺れているぞえ…」知床の四季、流氷の軋む神々の息吹、生命の犇き。瀬戸さんがタクトを振るオーケストラのシンフォニー。今日のこの朗読会みたいに。詩作にあたり網走市役所の方が資料協力をしてくれたエピソードも披露。
■ご挨拶 実行委員長 瀬戸正昭さんより
■歴史的建造物豊平館の「下の広間」で行われた「ぽえむ・ライヴ」、同じ色彩、同じ広さ、同じ空気の空間のはずが、出演者が声を発したとたん、一瞬で変わります。詩人が聲で空間を彫る。イメージの場を、波紋を広げて彫刻する。ぜひ毎年継続して開催を行い、会自体を作品として、素晴らしさを伝えていきたい、そんな想いから、本会の模様は動画にまとめ、積極的にYoutube、SNS等、インターネット上にてお知らせ配信し、詩に興味のある方へ(あまりないという方にも是非)、「こんな世界があったんだ!」と発見して頂き、驚いて頂けますよう、取り組んで参る所存です。
■展示コーナーでは、今回共催の各詩誌、林檎屋文庫で発行されている書籍、そしていよいよ発刊間近(5月10日予定)、吉増剛造先生の『火ノ刺繍』(響文社刊)を展示致しました。響文社の高橋哲雄社長も会場に来られ、『火ノ刺繍』注文の受付も行われました!(お知らせですが、5月5日~10日、紀伊國屋書店札幌本店にて「詩人・吉増剛造展」開催!13日には紀伊國屋書店札幌本店にて、吉増剛造先生と工藤正廣先生(北大名誉教授)によるトークイベント。15日には北海道立文学館にて、吉増先生、工藤正廣先生、高橋純氏(小樽商科大学名誉教授)による鼎談が行われます。~『火ノ刺繍』の未知なる文学地平。完成の経緯を語る~貴重な機会、ぜひお越しください!)
■16時に終了。会場の撤収・片付けなども参加された皆様のご協力をたくさん頂いてしまいました。 甘えてしまい、誠に恐縮です。皆さんとご一緒の手作りの会となりましたこと、心より嬉しく、感謝の限りです。本当にすみません。17時よりキリンビール園(中島公園店)にて、普段なかなかお会いできない皆様と、素晴らしい時を過ごすことができました。本会には出ることがどうしてもできず、懇親会だけでも…と駆けつけた方も!北海道詩人の結束は強い☆
■今回、瀬戸さんにより、この朗読会を行った後はぜひYoutubeに動画をアップし、SNS等インターネット上で広く配信したいとの強いご要望を頂きました。それを何故行なうのかということにつきまして、私なりの考えを以下申し上げます。
例えば、詩の問題として、北海道も少子高齢化、若い詩人の参加が少ないことが挙げられます。実際に、今回の朗読会も、年齢としては42歳である決して若くはない私が最年少という状態でありました。「若い人」は一体どこで詩を書いているのか?どういう形で詩の活動を行っているのか?
バンドで詩を歌ったり、ラップで表現したり等は相変らず行われています。古くはビート・ジェネレーションの影響を受けたボブ・ディラン、ジム・モリソン、ルー・リード、その系譜上にある大きな括りとしてのパンク。ラッパーのケンドリック・ラマーは今年ピューリッツァー賞を獲得。ポップ音楽が文学形態の一つであり、普遍的な詩作品の成立を目指していることは間違いありません。日本の若いミュージシャンも質の高い詩をたくさん書いており、プロアマ問わず、道内のライブハウスや路上でも歌われています。
また、アンダーグラウンド芸術で詩作が試みられている例もあります。今年4月、Sapporo Underground Necco(札幌市中央区南1条西12丁目322 AMSビル4F)で行われた第3回目の「字 -jiten- 展」(裕樹さん主宰)では、字の無限の可能性を追求し、字を使っていればどんな表現形態でもOKというルールのもと、行われました。写真や絵画、書や書籍もありました。サイコロのような四面形に参加者が字を書きこむという実験的な展示もありました。現代における生きにくさや、内面の苦しみを表現している作品も多く見られました。字(=言葉)と、字(=言葉)以外の素材を駆使して、様々な表現に取り組んでいる若者たちは、それぞれに詩を志していると言えます。他にも映像作品で詩を表現している人たち、ゲームアプリのデザインをしている人たち…等々、今この瞬間も、多様な形態での芸術の取り組みが無限に行われています。
垣根を越えて(…垣根を意識するしないに関わらず)若い詩人は確かに存在しています。ジャンルを超えた挑戦を閉ざしてしまったとき、表現は一気に古くなってしまうのではないでしょうか。12月に吉増剛造先生がジュンク堂書店旭川店でトークをされて、原稿にインクを垂らすパフォーマンスをされた際、「詩だとか美術、音楽とか分かれちゃってるじゃない。そういう垣根を越境するじゃなくて、実際にやるんだ、こういうことを。」「知らない未知の世界を創らなきゃダメ」、「フラジャイルもそんな活動をしてほしい」という忘れられない激励の御言葉を頂きました。そして、二宮清隆さんと私の恩師である文芸評論家高野斗志美先生の論じた小説家安部公房は、総合芸術である演劇に情熱を傾け、脚本、演出、作曲、映像作品も手がけ、さまざまな表現形態で都市の問題を提起した、メディアの越境者でありました。安部公房の活躍は、今から何十年も前のことです。
昨今、表現形態も発表の場もどんどん多様化されており、さまざまな世代が共存する中、ジャンルや世代、暮らしてきた環境・文化等、あらゆる垣根を越えて通路が拓かれ、核融合されるような活動に一歩でも踏み出し、可能性を広げることができましたら幸いです。決して新しい考え方でありませんが、実際に行うとなると、何をどうすればいいか、難しいものです。お互いに入りにくく閉ざされてしまうのは残念なこと。世界的に有名な、若者世代の代表的歌手レディー・ガガの左腕には、ドイツ語でリルケの言葉が刺青されています。(「もし書くことができないのなら、死んでしまうのかどうか、白状してごらんなさい。深いところに根ざした答えを求めて、心の中を掘り下げてみるのです。《自分は書かずにはいられないのか》と自分自身に問いかけるのです。」~『若い詩人への手紙』) 日本の若いアイドルが古典文学の影響を公言している例は少ないと思います。作家名・作品名を記憶させる義務教育の指導要領だけではなく、若い表現者が自分たちより上の世代の芸術活動や、もっと昔の古典にも自然と関心を持ち、指針を与えられるような状況が発生しやすい環境、そして地域の文化も忘れられることなく、通路がもっと開かれていて、日常に浸透される常態を希います。
■詩は若くなければならない。今年4月5日、小樽詩話会の合評会で、ある尊敬する方※より、「若い世代はもっと長老に逆らえ!」と私とフラジャイル同人の木暮純さんは厳しいご指導を、ありがたく頂戴致しましたが、そのとき合評されていた萩原貢さんの作品は、感性が若くて、瑞々しくて、鮮やかに研ぎ澄まされていました。年配者だから遠慮するとか、私にはそういう意識は全くありません。詩は作品で勝負するわけですから。年齢では萩原さんよりもずっと若い世代であるはずの私たちが、作品で萩原さんに《若さ》で負けている、完璧に《若さ》で負けている。(※同時に、「もっと長老に逆らえ!」と仰った、私たちよりもずっと上の世代で、今も大活躍をされている、その方の感性も確かに私たちより《若い》のだと気づき、感服致しました。) その事実がとっても嬉しくて、そんな凄い作品と、凄い作品を書かれる萩原貢さんに出会えたことが今の時代の一つの奇跡なのですから、怒られても嬉しくてありがたくて仕方なく、すみません、逆らうどころじゃないのです。
■今回の第1回「ぽえむ・ライヴin豊平館」でも、素晴らしい詩人による凄い作品との出会いがたくさんありました。ぜひこの催しを多くの方々にお伝えた致したく、当日ご出演された皆様のご理解を頂きながら、レポートと画像・動画の拡散に努めて参る所存であります。今は様々な世代の方たちが共存している時代なのですから、様々な形態、様々な言語、様々な価値観のもと、様々な場所での表現が行われています。
本会の素晴らしさを、様々な方たちに伝えられるような活動を志したく、恐縮ながら、自己満足と言われても構うものか(笑)、北海道の詩の世界はこんなに楽しいんだぞ!とお伝えしたい気持ちで今後も取り組んで参りたい所存です。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
ポエム・ライヴ北の息吹実行委員 柴田望
■第1回「ぽえむ・ライヴin豊平館」ポエム・ライヴ北の息吹実行委員会
総合プロデューサー 瀬戸正昭
総合司会 嘉藤師穂子
会場担当 森れい
ステージ係 柴田望