『メディアあさひかわ』2026年8月号
■インタビュー (ノーカット版)
「人類の問題である文学」をテコに
人の内面変革と共にある「まちづくり」
詩誌『フラジャイル』主宰 柴田望
イノベーションを起こすには、「前を見る」創造性と「後ろを振り返る」知性を両立させる方法論が求められるという。文化活動も同じで、道内の詩誌で戦後最長の誌歴を誇った『青芽』(富田正一主宰)の後継誌として創刊した『フラジャイル』が、まさしくその両立を目指して〝全力疾走〟を続けている。創刊9年目、この5月に第26号を発行し、誌面全体にますます活気が広がる同誌の柴田望主宰に「文化活動とまちづくり」などについて聞いた。(本文中敬称略)
しばた/のぞむ 1975年、岩見沢市生まれ。岩見沢西高校(のちに岩見沢東高校に統合)卒業後、旭川大学経済学部に入学。卒業後、会社勤務の傍ら、引き続いて詩作を中心に文芸活動に携わり、この間、2020年に詩集『顔』で第57回北海道詩人協会賞受賞、翌年、旭川市文化奨励賞受賞。日本現代詩歌文学館振興会評議員、(公財)北海道文学館評議員、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、北海道横超会Ⅱなどの各会員、東鷹栖安部公房の会事務局長を務める。余暇の楽しみは、子どもの頃から親しんきたピアノ演奏で、詩の朗読会の伴奏を務めることもある。
■文芸評論家高野斗志美先生との出会い
――1975年に「旭川における芸術・文学・宗教・学問に関わる会」が出した「運動の回顧と展望」という資料に柴田さんの恩師である高野斗志美先生の名前がありました。
柴田 高野先生は安部公房、井上光晴研究の第一人者ですが、(文のタイトルを読む)「文化の新しいコミュニティをめざして―これからの歩み……まっとうなものの創出こそを」―へーっ、先生はこんなことを書いていたんですね。
私は大学在学中、高野先生に師事しました。高野先生と、小説を書く清末有二さんという先輩と私の3人で文芸同人誌『タイムポテンシャル』を創刊し、これを第8号まで発行しているんです。
この資料には五十嵐広三元市長、松本勇元市長のことが書かれていますが、安部公房が旭川に来たときに高野先生が当時の松本市長や木内綾さんに会いに連れて行っています。渡辺三子さん(郷土誌『あさひかわ』発行人)が写真をお持ちでした。1977年の写真です。
高野先生については、先生が定年退職され、非常勤になる時に、私は先生の研究室の本を全部、赤帽の人と2人で運んだんです。大量にありました。欲しい本を持っていけといわれ、詩の本をたくさんいただいたのですが、その後で一冊、これもあげるよといわれたのが、思潮社の現代詩文庫の『長田弘詩集』でした。長田弘さんは、私がとても影響を受けた詩人です。
■「まったく新しい詩誌を作りなさい」
――富田正一さんが主宰する『青芽』を引き継ぐまでにどんな経緯があったのでしょうか。
柴田 『青芽』は2018年まで発行されたのですが、私たちの『フラジャイル』が創刊したのは2017年12月です。その年に富田さんに「自分たちで違う名前で後継誌をつくりなさい」といわれました。
前段を少し説明させていただくと、2016年頃ですが、旭川文学資料館で東延江さん(旭川文学資料館前館長)が旭川の詩の歴史の講義をされた時に初めて富田さんにお会いし、「君が柴田君か。名前は知っているよ、探していたんだ」と声をかけていただきました。
その時に会社の名刺をお渡ししたところ、「人事採用担当、これはいいぞ」と。私の詩を評価したのではなく(笑)、名刺の「人事採用担当」が気に入られたようでした。富田さんは、「詩などの文化活動は、人と人の関係が一番大事なんだ。そういうことがしっかりできそうだ」と仰っていました。
私は大学卒業後、仕事中心の生活で、詩の活動は一人でしていましたので、その時に初めて詩誌の同人になり、それが『青芽』でした。
そこから富田さんとの関係が始まり、早い時期から『青芽』はもうやめるので、まったく新しい詩誌を作りなさいといわれ、先輩詩人の沓澤章俊さんと、いろいろ話し合うようになります。
■北高出身者多い『フラジャイル』同人
――創刊メンバーは何人でしょうか。
柴田 私と木暮純さん、それと二宮清隆さん、山内真名さんの4人です。埼玉県在住の二宮さんは札幌で詩のイベントがあった時にお会いしたのですが、旭川北高校の出身で、高校の時に高野(斗志美)先生に教わっています。その後、おかげさまで、様々なご縁の中でやらせていただき、現在の同人は38人くらいです。旭川の同人は北高のご出身の方が多いです。毎回原稿を出さなくてもいいので書ける時に詩を書いてくださいと伝えていますが、毎号、30篇以上集まっています。東京などの同人も多く、つい最近、6月7日に、東京・杉並の谷川俊太郎さんのお宅で朗読会(俊カフェ店主の古川奈央さんが編集された追悼アンソロジー詩集『俊太郎さんと。』(地湧社)に寄稿した詩人による朗読会)が開催され、聴きに行ったのですが、その機会に東京や埼玉、神戸在住の『フラジャイル』同人5人と再会することができました。
■「しがらみのない自由な創作の場」
――創刊時にどんな話があったのですか。
柴田 はい、「しがらみのない自由な創作の場をつくる」―それが一番の目的だったのと、『フラジャイル』とは「こわれもの」という意味です。クロネコヤマト、佐川急便ではないですが、荷物に貼る「こわれもの注意」の札ですので、次の世代へ旭川の詩の文化を大切に運んで行くということで始めたものですから、しっかりやっていかなければと思っています。
富田さんはお若いころから詩の世界の最前線を走っていました。旭川の『青芽』にはその時代の名だたる詩人たちが書いていました。過去を学ぶことばかりではなく、今の時代の詩誌であるということも大事だと考えております。
『フラジャイル』同人にいま、20代から70代…あらゆる世代の詩人が参加してくれています。私よりも若い世代の方たちも増えてきています。全国各地に読者がおり、毎号600部発行していますが、すぐに在庫がなくなってしまいます。本当に感謝の至りです。
■旭川人脈で本を作って世界に発信
――23年8月に発行した『詩の檻はない』について説明してください。
柴田 「アフガニスタンにおける検閲と芸術の弾圧に対する詩的抗議」というサブタイトルを付けて発行された本ですが、あの時、私は北海道詩人協会の事務局長でした。
事務局に全国各地から様々な連絡が来るなかで、アフガニスタンからオランダに亡命した詩人ソマイア・ラミシュさんが世界の詩人に声をかけ、詩を集めるので、ぜひ参加してほしいという連絡をアフガニスタンの情報サイトである「ウエッブ・アフガン」の野口壽一編集長からもらいました。
それは締め切りまで1か月くらいしかないお話で、他の詩の団体からはすべて断られたということでした。北海道詩人協会も会としては協力できない、当時の会長や理事たちから私は、そんな怪しい活動はやめろといわれてしまい(笑)、個人で活動することにし、SNSを使って呼びかけて賛同してくれた方たちと一緒に活動する流れになります。
本当にたくさんの方々から多大なご協力をいただきました。まちなかぶんか小屋で開催した出版記念会にはラヴァスト奏者のSAYOさんも出演してくれました。
9月には日本ペンクラブ(獄中作家・人権委員会)がこの活動を支持する声明を出してくださいました。日本現代詩人会、『現代詩手帖』(思潮社)、『詩と思想』(土曜美術社出版販売)の応援もいただき、全国的な動きになり、本は300冊以上売れています。ペルシャ語版のBBCで報道されるなど世界の注目を集めました。
その後もフランスペンクラブの詩人たちとの交流が生まれたり、翌年には日本でソマイア・ラミシュさんの詩集『私の血管を貫きめぐる、地政学という狂気』を私たちが発行しました。ソマイア・ラミシュさんは活動を高く評価され、昨年(2025年)、イタリアの権威ある国際文学賞、第24回ラウドミア・ボナンニ賞(Laudomia Bonanni)を受賞しました。
■「垣根を越える形」の創刊イベント
――『フラジャイル』の活動が始まって9年目ですが、この間、ほかにどんなことが…。
柴田 創刊の時は、まちなかぶんか小屋で創刊イベントを開催し、埼玉から二宮清隆さんも来てくれて、富田正一さん、小樽の長屋のり子さん、恵庭の村田譲さん、木暮純さん、山内真名さん、高野先生の奥様にも参加していただき、それと私は東鷹栖安部公房の会の事務局長もしておりますので、安部公房の会の方たちにも来ていただき、とても賑やかな会となりました。
また『フラジャイル』としては、2号から6号まで、詩人の吉増剛造さんの講演の文字起こしを掲載させていただきました。当時響文社から出版された『火ノ刺繍』という本についてのイベントや講演、対談が北海道内各地で行われ、旭川でも行われたのですが、それらの連載ができたこと、2021年には皆様のおかげで旭川市中央図書館に吉増剛造さんをお招きし講演が実現(小熊秀雄生誕120年記念講演)。その内容を『フラジャイル』第14号に掲載させていただいたことも忘れられない想い出です。
ここまでやってきて、そうですね、最初のころに考えた「しがらみのない自由な創作の場をつくる」を深く考えていますので、何か大きな団体や組織に所属したり依存したりということではない自由な活動、商業誌ではないですし、皆さん、それぞれ別の仕事をやりながらの市民文化活動ですので、参加される方の作品が輝くような場をつくることができればと、それが一番大切だと思っています。
■人の心の内面からの改革に向けて
――今、課題として意識していることは、どんなことですか。
柴田 かつて旭川で活躍した詩人で、小熊秀雄賞で1971年に凖賞(詩集『穴』)、1975年に佳作(詩集『吃りの鼻唄』)を受賞した江原光太さんという方がいました。一度だけ札幌でお会いしたことがあります。江原光太さんこそ現代の小熊秀雄のような存在でした。江原さんのような先輩詩人の資料や作品を本にまとめたり、学べるような活動もしていきたいと考えています。
それと、いろいろな方々に頼まれ、様々な活動をやらせていただいておりますが、詩の活動は皆さん、詩を読んで書くのが基本ですから、集まって大きな文化イベントを開催することも大切ですが、そういうイベントに参加したり開催運営の仕事に時間をかけて奔走するばかりでは、何のためにやっているのかがわからなくなってしまいます。一人ひとりが本を読んだり、何かを書いたりするという時間が本当にすごく大切だと思います。
人との関りからの学びなど、記憶が社会に投影されて文化が形成されていくわけなので、社会的な変革もまずは一人ひとりの内側から変わっていくことから始まると思っています。
インターネットやSNSばかりに接続するのではなく、人類の培ってきた時間の記憶に接続する、文学資料館で資料を見せていただいたり、過去の詩人の息吹と接続していき、未来と繋がっていけるような機会が大事なのではないかと、常に思っています。
■フラジャイルとしての多様な活動
柴田 在日無国籍サラムの詩人丁章さんと出会い、尹東柱(ユン・ドンジュ)という詩人について学び、この3年くらい作品を読んでいます。丁章さんが経営されている美術館「新星館」が美瑛にあります。丁章さんは夏の間、道内各地で講演活動も行っています。
7月11日に三浦綾子記念文学館で「尹東柱とわたしたち」という講演と朗読・演奏のイベントを開催します。旭川での開催は今年で3年目です。丁章さんの和寧文化社とフラジャイルの共催です。尹東柱はいまやKーPOPのアーティストも詩を歌っている、世界的に有名な詩人です。満州出身の朝鮮人として生まれ、日本の立教大学と同志社大学に留学したのですが、戦時中の日本の福岡刑務所で27歳のときに亡くなりました。暗い時代の孤独な魂に訴えかける美しい詩集を遺しています。
また、『フラジャイル』からは本も出しています。つい最近、6月20日に出版したのは、長崎県に住む森耕(もり・たがやす)さんという同人が北部九州の芸術運動、「大耳ネットワーク」の活動、約40年間の歴史を一冊の詩文集にまとめた『「大耳」の「夕べ」』です。各地からご反響をいただいております。2024年に出版した阿部嘉昭さんの詩集『てのひらのつづき』、昨年発行した星まゆみさんの『雪あかり』も大変好評でした。詩集などを出す活動はこれからも少しずつ続けていきたいと考えています。
■72年間続いた『青芽』の志を継承し
――これまで活動してきて、周囲の反響について感じることはありますか。
柴田 まず、応援してくださる方がすごく多くて、本当に感謝しかありません。旭川には詩の活動が伝統的にあり、それが綿々と続いているということを実感致しております。富田正一さんや東延江さんから学ばせていただいた歴史ある詩文化が様々なかたちで引き継がれているように感じます。
旭川で初めて発行された詩の雑誌は1910年の詩歌誌「冷光」(小林幸太郎・金崎哀草果・飯田春華)、その次は1917年の詩誌「毒木矢」(鈴木政輝)ですから100年以上の歴史があります。1923年に発行された鈴木政輝の詩集『青春』が旭川の詩集第一号です。大学卒業後の在京時代、川端康成や萩原朔太郎とも親交のあった鈴木政輝が旭川に帰り、小熊秀雄、今野大力、小池栄壽(よしひさ)らと『円筒帽』などの詩誌でも活躍します。かれら詩人たちは政治的な考え方が大きく違ってもお互いを尊重していました。そういった途方もない懐の深さが旭川という文化を醸成する土壌にはあったのではないかと思います。現代の私たちの言語空間はそのような懐の深い活動や議論ができる場であるかどうか、そこは考えなければならない重要なことだと思っています。
このような詩文化の歴史を意識して語り継いでいる、受け継ぐことを目指して市民が活動している街はじつは全国でも珍しいのではないかと考えています。
北海道では、旭川で詩の文化が最初に開かれた、大雪山系詩人連峰ということを富田正一さんが仰っていました。今から80年前に富田さんが創刊した『青芽』の志をどう継承していけるか、いつも真剣に考えさせられています。
■大事な「市民の創造的文化活動」
――ここから「文化によるまちづくり」について、少し考えて行きたいと思います。
柴田 資本主義社会ですから、人が大勢集まるところにお金が集まります。アニメや漫画、映画、ゲームですとか、たくさん売れるものに大勢の注目が集まっていきます。それらに比べると日本の詩の規模はとても小さいです。そのことを海外の詩人たちにはいつも驚かれます。
ただ、北海道でも札幌では文学フリマ、北見では文芸フリマが年一回行われており、両方参加した経験がありますが、そこでは詩や小説を書いている人たちが大勢集まり、作品を販売します。お客さんもたくさん訪れます。東京や全国各地も文学フリマは大盛況です。詩や短歌、俳句、小説、エッセイなど、需要は本当はあるわけです。
しかし、私は大勢で集まったり、何か街を代表するような政治的な取り組みではなく、小さくても民間レベルで一人ひとりが自由に活動できる社会であることが重要だと思います。変革は常に一人ひとりの内面から起きるし、文化的活動を通じて「見方」が変わるような体験を獲得したり共有したりできるのが言葉の力、文学の力だと思います。
資本主義社会、大量消費社会では、安くてこわれにくいものが大量に生産されて売れるのが正解ですが、詩の評価はそれでははかれません。そういう想いから詩誌の名称も『フラジャイル(こわれもの)』としたわけですが、こわれやすい人の心も暮らしも大事にしていきたいと思っています。
■「一人ひとりが作品で輝ける舞台」
――何か具体的に考えていることがもし、あれば…。
柴田 あまり考えもなく様々な活動をさせていただいておりますが、私たちが旭川を代表するとか、詩文化を牽引するとか、そんなことは全く思っていませんし、旭川には私たちがまだ出会っていない素晴らしい詩人がたくさんいるはずです。
まちづくりや政治のような、何か大きな動きを起こそうとか、そういう手段や道具として詩を利用することを考えることはできません。毎号、送られてきた一人ひとりの作品の原稿に向き合い、大切にしようという、それだけでもう大仕事ですし精いっぱいです。参加される一人ひとりが輝ける舞台をつくることができればと思っています。
富田正一さんは、そういう風に詩人たち一人ひとりをものすごく大切に想って応援する方でした。そういうところを見習わなくてはならないと、常に考えています。
■道内の詩の歴史を再確認できる仕事
――こんなことをやったら面白いかなと考えていることがあれば…。
柴田 北海道の詩の歴史を再確認できるような仕事もしていきたいと考えています。以前『グラフ旭川』に東延江さんが連載されていた「写真にみる私の文学人生」に様々な詩人との交友が記されていましたが、そのなかで札幌の詩誌『詩の村』の詩人たち、堀越義三さん、佐々木逸郎さん、古川善盛さんと東さんが写っている写真を拝見しました。先ほど申し上げた江原光太さんも活躍したとても重要な詩誌です。
札幌にある谷川俊太郎氏公認カフェの俊カフェのオーナーである古川奈央さんが古川善盛さんの娘さんです。3年くらい前から私は過去の様々な詩誌から古川善盛さんの詩作品を集めており、そこから原稿を整え、年末には全詩集を発行するための準備を進めています。古川善盛さんは北海道で戦後すぐに活動を始め、若い頃から全国誌にも作品が掲載された実力のある詩人です。独特な詩世界を持っています。谷川俊太郎さんが古川善盛さんの詩を絶賛していたことがわかる資料(『詩学』1956年10月号)も見つかりました。編集者としても土工部屋(タコ部屋)で働いていた人の声を記録して出版し、全国的に注目されるなど、非常に大きな仕事を成し遂げた方です。古川善盛さんや江原光太さんについて調べるうちに、多くのことが見えてきました。
■それはそれで面白い民間レベルの文化賞
――文化というと、アートや音楽、演劇などもありますが…。
柴田 私はいま「北の聲アート賞」の文学部門の選考委員を務め、今年で3年目になります。この賞は詩人で美術評論家の柴橋伴夫さんが代表を務めるサッポロ・アートラボが母体です。11回ほど開催されており、いろいろな分野で活躍した人たちが表彰を受けます。美術、建築、書道、音楽、文学もあり、毎年各分野に関係する80人くらいの方々が札幌市豊平館に集まり、盛大な授賞式を行います。
文学部門の受賞者は、去年は小樽在住の詩人高橋秀明さんに授賞していただき、その前の年は詩人で哲学者の花崎皋平さんです。
「北の聲アート賞」は道や市など公的な機関からは一切お金をもらっておりません。個人や企業がお金を出し合って、完全に100パーセント民間で運営されています。官民で力を合わせることも素晴らしいことですが、完全なる民間レベルでこうしたことを行える社会であるということは、とても重要なことだと思います。
■市民の力で一人の詩人の講演を実現
――高野先生とのことで、あらためて思い出すことはありますか。
柴田 思い出すことといえば、先ほどお話した研究室の本が非常に多くて運ぶときに重かったことなどですが、6月発行の北海道立文学館の館報(145号)と、詩誌『指名手配』13号にも私はそのときのことを書いたのですが、思潮社の現代詩文庫『井上光晴詩集』に解説を書いた文芸評論家の高野斗志美先生から現代詩文庫の『長田弘詩集』をもらい、それから長い間長田弘さんの詩集を読んできました。
2009年2月15日に長田弘さんの講演会(「幸いなるかな本を愛する人」)が大雪クリスタルホールで行われ、私は聴きに行きました。旭川市公民館、旭川市中央図書館、こども冨貴堂の主催でした。有名な詩人である長田弘さんにまったく偉そうなところがなかったことが印象的でした。幼いころの記憶を自在に語るような講演で、「天才とは、自在に取り戻された幼年のことである」という詩人のボードレールの言葉を思い出しました。そういえば高野先生も私たち学生の前で好きな小説を語るときは少年のようなやんちゃな表情で瞳が輝いていました。
■「どう生きるか」につながる文学
――柴田さんにとって、文学、詩とはどういうものなのでしょうか。
柴田 どういうものなんでしょうか。私には答えはまったくわからないですが、高野先生にとっては、人類の問題、時代の孕む問題と言葉で鋭く向き合っていく、言葉で照射していくことが文学の大きな役割であったと思います。その上でどう生きるかを見つめ直すことに繋がるものではないかと思います。
文学や詩の活動を通じて、簡単には答えの出ない問題が発生しますが、やはり一人ひとりの内側が、何かを経験をすることによって変わっていく、「見方」が変わるような体験を獲得し、それを共有するような現象に発展します。
そうでないと、普通に考えたら、かつての旭川で活躍した詩人の例でいうと、天皇陛下万歳と熱烈に叫んでいた詩人と、思想犯として特高に追いかけられた詩人が活動をともにするはずがないと思います。敵味方の二元論を超越した、底の深い文化的な関わりのなかでその時代の体験を共有し、ある視点を獲得したのだと思います。
こうした話をし出すと止まりませんでした。高野先生は、思想に関わる仕事をもっとしたかったと仰っていました。
■「高野先生の活動を中心にもう一度…」
――旭川市はいま、「デザインによるまちづくり」を推し進めようとしています。
柴田 デザインについてはわかりませんが、思考によって人生をデザインする一人ひとりによって社会が形成されていくと思います。作家で思想家の埴谷雄高は社会や国家の制度を変えるなどの「外部の革命(社会革命)」の彼方に、人間存在の根底を覆す「存在の革命(内部の革命)」を企てるということについて書いていました。先ほども申し上げましたように、変革は常に一人ひとりの内側から起きてくるものと考えます。
詩や文学をまちづくりや政治的な目的を達成させるための道具のように考えることはできませんが、一人ひとりのきっかけにはなるかもしれません。埴谷雄高、花田清輝、野間宏、安部公房、井上光晴、こうした作家たちと活動を共にした高野斗志美先生が、何も知らない学生であった私に扉を開いてくださいました。
旭川で高野先生が三浦綾子記念文学館の初代館長であったことを知っている方は多いですが、高野先生が文芸評論家として実際にどのような文章をなぜ書いたかを語ったり書いたりしている人は少ないように感じます。
困難な時代である今こそ、高野先生が論じた戦後の小説家たちの仕事をじっくり読み直したいと思います。
■詩にとって〝ふしぎなまち〟旭川
――皆さんにお伝えしたいことがあれば…。
柴田 本当に感謝しかありません。富田正一さんの『青芽』を後継するという責任感だけで、初めての会社勤めの仕事のような気持ちでがむしゃらに…最初からわけもわからないまま猛烈に走っていました。趣味を楽しむような気持ちとはまったく違いました。
至らない点も多々あり、ご迷惑をおかけしているだけなのかもしれない『フラジャイル』の活動を、本当に多くの方々に温かく見守っていただき、たくさんの応援をいただいております。私一人の力など無いも同然で、たくさんの市民の方々から貴重なご指導やご支援をいただき、先輩方や私より若い方たちからも助けをいただき、何とかここまで続けることができました。これはとてもふしぎな、驚くべきことだと思います。詩なんて書店にもあまり置かれない時代に、旭川が伝統的に詩や文学を愛する街だからなのかもしれません。これまで『フラジャイル』に少しでも関わっていただいたすべての方へ心から感謝を申し上げたいです。すべての出会いや出来事から、かけがえのない貴重な学びをいただきました。本当にありがとうございます。
旭川市中央図書館にも、たんなる同人誌に過ぎない『フラジャイル』を『文藝春秋』などの商業雑誌と同じように、コーナーを設けていただき、バックナンバーも読めるように扱っていただいています。本当にありがたいと思っています。
『フラジャイル』はいま、旭川市内のこども冨貴堂、ジュンク堂書店旭川店、コーチャンフォー旭川店、市外では札幌の書肆吉成、小樽は「がたんごとん」という本と民藝とカフェのお店にも置いていただいています。
アマゾン、楽天を通じ、インターネットで買うこともできます。もし興味をお持ちいただけましたら、ぜひ手に取って見ていただければ嬉しく思います。
――貴重なお時間をいただき、誠にありがとうございました。
(2026年6月18日13:00~、メディアあさひかわ事務所)

