詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■2021年10月23日(土)14時より、[氷点カレッジ]文学講座「安部文学の世界観」三浦綾子記念文学館にてお話をさせて戴きました。

■2021年10月23日(土)14時より、[氷点カレッジ]文学講座「安部文学の世界観」三浦綾子記念文学館にてお話をさせて戴きました。
(講師:東鷹栖安部公房の会 事務局長・柴田望)

会場に人を集めるかたちではなく、YouTubeで1時間程度のライブ配信の講座でした。
↓こちらからアーカイブを視聴戴けます。
https://youtu.be/-EchT-C3nNI

「安部文学の世界観」というタイトルでお話をさせて戴きます。
 
・小説家、戯曲家、世界的文学者である安部公房1924年生まれ。1993年に亡くなるまで、小説、戯曲、数多くの作品を残し、国内のみならず海外でも高く評価されています。

・代表作、例えば小説『壁ーS・カルマ氏の犯罪』『砂の女』『他人の顔』や『燃え尽きた地図』など、戯曲でも高く評価されています。
 もし急死しなかったら、ノーベル文学賞を受賞していたであろうと言われています。

・その安部公房の原籍地はこの旭川、東鷹栖です。2014年には、東鷹栖安部公房の会、旭川市、そして本当に多くの市民の皆様に御協力を戴き、
 近文第一小学校に、記念碑が建立されています。先週は安部公房旭川東鷹栖との関りについて、ということを中心にお話させて戴きました。

・その安部公房と、非常に関わりの深い方が、この旭川におられました。高野斗志美先生です。この三浦綾子記念文学館の初代館長、旭川大学の名誉教授、安部公房研究の第一人者として、全国に名を知られた方です。

・高野先生は1929年生まれ。東北大学院を卒業され、旭川北高、士別高校、旭川大学などで教壇に立ち、
 文芸評論家として評論「オレストの自由」で1964年に新日本文学賞を受賞。
 安部公房井上光晴倉橋由美子など、前衛的な小説家の評論を書き続けました。思潮社現代詩文庫の井上光晴詩集の解説や、様々な文学誌、文庫の解説なども書かれており、著書も多数発行されています。

・代表的な『安部公房論』、なんと帯は詩人の飯島耕一が書いています。全国の作家、文学関係者に注目された評論です。安部公房の評論で一冊の本を出されたのは、高野先生が初めてでした。

・1978年には、「潮」(6月号)という雑誌の企画で、安部公房と対談もしています。
 匿名性と自由の暴力の発想…安部公房全集の第26巻に収められていますので、ご興味をお持ちの方はぜひ御覧戴けましたら幸いです。

・高野先生は旭川北高の教師でした。昭和30年、1955年、高野先生が26歳のとき、北高の英語教師だったのですが、
 そのときに書かれた評論が発掘されました。昭和30年に北高の文芸部によって編集された「路傍」という文芸誌です。

旭川北高出身で、現在は静岡で「くれっしぇんど」という詩の雑誌を発行され、活躍されている詩人、高橋絹代さんが、私にコピーを送ってくださったのです。髙橋さんの「くれっしぇんど」は最新号で113号を数えます。旭川出身の詩人が、静岡で素晴らしい活動を継続されています。その高橋さんが、柴田に、高野先生の資料ですよと言って、何年か前にコピーを送ってくださったのです。奥付の編集委員のところに、絹代さんのお名前がございます。

・せっかくの大変貴重な資料になりますので、今日はこの「路傍」に寄稿された高野先生の評論を中心に、お話を進めさせて戴きたいと思います。
 評論のタイトルは「黄色い鴉の神~安部公房作『制服』についてのぼくのノート~」です。安部公房の『制服』という戯曲について、高野先生が書かれたものです。

安部公房は小説だけではなく、戯曲も非常に高く評価されています。代表的な、「友達」「榎本武揚」「棒になった男」など。その中で「制服」は、初めて発表された戯曲です。インターネットで検索してみますと、2011年に俳優座LABOが六本木で上演しています。最近の劇団も安部公房作品に取り組んでいる。本では「どれい狩り・快速船」の創作劇集、新潮社版の戯曲全集にも収められています。

・初出は1954年、雑誌「群像」に発表。翌年の3月には、新劇の劇団「劇団青俳」によって上演されています。

・舞台は敗戦の2年前、北朝鮮のどこかの港町です。

・主要な人物三人ですが、職を失った元巡査の日本人、チンサアと呼ばれる制服の男、ひげ、ちんば。
 ちんばが密造酒を作り、制服の男が制服の権威で渡りをつけて、ひげが密造酒を売るという、そうした間柄でした。

・制服の男が巡査の退職金2千円を手に、日本へ引き揚げようとします。船の切符を買って、内地に帰ろうとするかれを、ひげとちんばが引き留めて、お酒を飲ます。

・気がつくと制服の男は死んでいて、幽霊になっている。同様に幽霊になっている朝鮮人の青年に、なぜ自分が死んだかを尋ねるのですが、わからない。しかし、刑事の取り調べや、仲間たちの様子を見ていると、だんだん分かってくる。死んだ夜、自分が酔って朝鮮の人たちに対し、暴れたこと。
 朝鮮人の青年は、自分を殺した濡れ衣で疑われ、殺されたこと。じつは、ひげと女房が共謀していて、自分は死んだほうが都合がよかった。ひげは結局、ちんばを殺し、女房を殺す。それを見ていた郵便局員には逃げられて、殺し損ねる。
・幽霊たちがひげを囲む。見えるはずのない死人たちを見まわして怯えて逃げる。
・制服の男の幽霊は、女房やちんばたちに、まだそんな服を着ているのか、制服は脱いじまえと言われても、脱げない、という、衝撃のラストシーンで幕となります。
・戯曲『制服』は非常に評価が高く、椎名麟三三島由紀夫に絶賛されています。椎名麟三は「巧みに帝国主義を諷刺した」との賛辞を贈り、三島由紀夫も、「スマートなコミュニストだ」と褒めています。

・実際には、私たちの住む現実の世界では、幽霊たちが生きている人間を、観察したり、生きている人間に語りかけたりしているかどうかはわかりません。空想の力が働いている。
 したがってこの作品は、リアリズム、現実主義というよりは、その反対の、反リアリズム、反現実の手法によって書かれています。
 片山晴夫先生は、安部公房は本質を探究するために、あえて反リアリズムの手法を採った、と論じました。
 高野先生は「現実をたんに描くのではなく、現実を破壊するための仮設と実験の空間」このように論じています。安部公房の最大の特徴を表す言葉です。

・それでは、1955年、昭和30年、26歳の若き評論家、高野斗志美先生が、この『制服』という作品を、どのように論じたのか、御紹介をさせて戴きます。4部構成となります。解説を交えて、御紹介していきます。

 黄色い鴉の神 ー安部公房『制服』についてのぼくのノートー
 
・第1章

・ある日、電車をまつために、ぼくはU町の停留場に立っていた。それは午後の三時にちかかった。そしてぼくの頭はその時刻にはいつも焙(あぶ)られたあとのように蕊(しべ)までくずれた疲労につかれてしまっているのである。―ぼくは毎日毎時毎分毎秒、おそらくなにかと かかわりつづけている。ぼくの全青春を賭けて挑んだとしても なおのこるであろう過去の触手とよべるようなものがぼくのなかにアメーバーのようにうごめいているので、そのEtwasとの斗(たたか)いのたえまない系譜が、いつのまにやら、疲労というたえがたい風俗をぼくにゆるすようになったのである………………
 そしておそらく ぼくは、その日その時刻を たえがたくO町の一角にたちどまっていることのなかで、〈私〉のものなる一種のEtwasを無意味にくいあらしていたにちがいないのである。
 ――太陽は中央から西にまわりこもうとしていた。街全体が音をたてて七月の炎にやかれていた。そして空の四方のすみずみからは 黒ずみ掛けた赤光(しゃっこう)がざらついたその面を さらしかけようと しているのだった。

・※ Etwas [エトヴァス] とはドイツ語 です。英語で言うと something 何か、
  あるもの、あること、と考えます。わざわざドイツ語で、何かまだ正体のわからない
  何か特定のことを指しています。

・するとぼくはおもうのであった。S市の真夏の午後を。ぼくの青春の核となったS市での大学の生活、その生活の記憶のなかから、その日もまた陶工のように、赤くざらついてひかる青春の器を、ぼくはふるえる指でとりあげるのだった。これは、ぼくの、どうすることも出来ぬ日常の悪癖なのだ。たえず、過去が、ぼくの存在の底から水泡の群のように現在へ上昇してくる。そのこととあまりふかく かかわって生きて居るのが、しいられたぼくの悪癖なのだ…… ところが、そのとき、ふいにぼくは、前方の街の角から、無数のひかるものをみたのだ。甲虫がうなるようにひびきをもらしながら、その黄色い光をふたつ、赤光(しゃっこう)のひろがる街のなかにひらめき・ひらめきさせて、その群がぼくの視野に、しかも次第にあふれながらひろがってきたのだ。
 ぼくの眼はよろめいたようであった。なにをぼくはみたのであろうか。〈いいえなんにも!……〉とあるいはぼくの口はつぶやいたかもしれない。だが、ぼくの心は、ぐるりとまわったのである。

・昆虫の目玉のようにひかるふたつの球をつけた車の暗緑色のながい列の群。その群のけだものくさい体臭のなかに、ぼくは、なぜ もろもろ のものを、たとえば、鉄かぶと、自動銃の銃口、背嚢、天幕、チューインガムの口等々をみつけねば ならないのであろう。エトランジェのように立ちながら、ぼくは、ぼくの体の横をのろのろとすぎてゆく車の列をながめて、このA市のうえに照りつける けだもの のようにくさい太陽の熱をいまわしいものにかんじた。そればかりではない。ぼくはこの車の群のなかにあらゆるものをみたようにおもうのだ。そしてぼくの心のなかのEtwasがうごめくのだった。ぼくのざらつく青春の器の底がゆらめきわれるのをかんじたようにおもうのだ。
 ぼくの指はぽろりとおのれの器を石のうえにおとすのである。それはたえがたい苦痛のようである。砂漠をまきちらして、この けだもの のような自動車の群はA市のあの緑色の巨大な鉄橋から、いま兵営にもどるところなのだ。

・A市=旭川市  ・緑色の巨大な鉄橋=旭橋=昭和30年のときも緑色だったと思われます。
・※ エトランジェ(仏) = ある国へ他国からやってきた人。その土地にとけこめないでいる感じ

・そして、おまえ、おもうがよい。あの宙にもりあがったI河上の大鉄橋こそが、その昔、帝国陸軍の軍のものであったのだ、すると、ふたたびぼくの心は根こそぎゆれて くるりとまわってしまう。おまえ!おまえは、どこにまわりおちていこうとするのか。ぼくの心は ぼくの くらんだ眼とともにあの大鉄橋のうえの空をつたって矢のような早さでS市の――ぼくの青春の生活がよこたわるあのS市の――灰色の空にすべりおちてゆくようにおもうのだ。この緑の雲からあの灰色の空へ。――そしていまぼくは、S市の街に潮騒のようにひろがっていたアメリカ兵の靴とジープとチューインガムのまじりあった汚らわしい音をきいたようにおもうのだ。そして――おまえのふたつの眼をもっとひらくがよい。

  ※ I河上の大鉄橋 = 石狩川上の旭橋(あさひばし)
  ※ S市=高野先生が青春時代を送られた、東北大学のある仙台市のことと思われます。

・おまえの尊敬していた恩師のひとりが、アカというレッテルで教壇を追われた時節、共産主義者は狂犬だから、かまれないうちにおっぱらってしまえと、ぼくらの崇敬するアメリカのE博士(※ウォルター・クロスビー・イールズ  Walter Crosby Eells)が情熱的に、日本のすべての大学に勧告してまわり、そのあまりの親切さのゆえにかえってボイコットされたという いたましい……受難記の時節、その時節の到来からはじめられたおまえの青春を、おまえはあの雲の下にふたたび みるのだ。――そして、いま、ぼくは、雲の下からはいでて、高い鉄橋のなかをくぐり、元日本帝国陸軍練兵場の兵営にもどってゆく、この汗と油と埃の暗緑色の車の隊列をみているのであった。だが、ぼくはもっと多くのものを毎日みているのではないか。
 K高の英語教師であるぼくは、毎日、下宿から電車通りにそって学校にゆくが、そのとき、ぼくは、市営球場前の保安隊の兵営のなかに、もっともっと無数のもの(衛兵のテツカブトや、肩の銃、白い手袋や赤い鞄、緑色のトラックや、そしてラッパの音と号令のひびき、街にくりだしてゆく兵隊の靴の数、白いドレスの恋人たち、丸太の山と金網(かなあみ)、そしてまいあがる飛行機)をみているのである。

 K高=北高

【解説】以前、2001年に北海道新聞高野斗志美先生の「私のなかの歴史」が連載されましたが、この中にイールズ事件のことが書かれていますので、ご紹介します。このように書かれています。
 「東北大文学部に入学した一九五〇年春、GHQ顧問のイールズ博士が学内で反共演説をした際、一人の学生がマイクを奪い取った。講演は中止になり、学生は指名手配されました。大学は緊張に包まれ、私も運動の末端に連なっていきました。」
 このように、イールズ事件は最初の安保闘争の10年くらい前、日本の学生運動の原点のような事件であり、そうした歴史の渦の中に、高野斗志美先生は身を置いていました。この文章の中で、そんな激しい青春を回想されています。
*

・とすると、子供のとき以来、中学、高校、大学とすすんできたぼくの人生の眼は、たえず、このけだものくさい車をみてきたのである。そしておもうに、ぼくの大学生活というものは、この野蛮な体臭を発する自動車が朝鮮戦争の火の背後から真夏の幽霊のように おどろおどろと あらわれはじめる時節に はじめられたのだ。その日以来ぼくは、心のなかに鬼の歯をうえた。それによってぼくはデモクラシイ(=民主主義)の幻想をかみさくつもりであった。それによって、ぼくの体内にのこる日本帝国の福の神を殺すつもりであった。おのれをかみさくこととそれによって自分の古い祖国を断罪の沼にくいちぎりおとす行為がぼくの青春の主要な形成力となったのである。だがぼくはゴーリキーの言うように、現実の矛盾の前面で、自分をどう決定していくかという根本的命題の解決をせまられると、ただ複雑な顔つきになるにすぎない。その〈複雑な表情〉をもった小市民(プチ・ブルジョア)のひとりであったのである。
 したがってぼくは、思想において、愛において、行為において、ひとすじの形成の道をたどりえなかったのだ。

ゴーリキーとはロシアの作家。マクシム・ゴーリキー社会主義リアリズムの手法の創始者であり、社会活動家。

・ぼくは裂けてちりぢりとなり、ゴーリキーの嘲笑する〈複雑な表情〉をおのれの凡俗とする人間に うみかえられたのだ。 ぼくはこの文の最初にもどろう。ぼくのEtwasとはそれなのであるし、ぼくの存在の蕊までしゃぶる疲労の種は そこにまかれてしまってあるのだ。ぼくの青春のざらざらとあれた肌あいも そこにつらなっているのである。
 そのぼくが、――A市のO町の一角で、橋をわたってくる車の群をみて、眼の奥からよろめいてしまっている。――おそらく、ぼくの疲労の殻が視覚の外から われてしまったのだ。 自己をくいあらす所業になれているもののみが、自己をあらすその所業にうみはてて放心する刹那、頭上のとけかけたエナメルのような青い空のしたたりが、脳膜におちてとけ広がるように、この車の黄色いふたつの目玉にふいにおのれの体膜をさかれてしまうことができよう。――ぼくの存在の皮膜がみるみる縮んでゆくと、その不透明な精神の袋の色が黄色い膿の液に みたされてしまうのを ぼくはかんじる。

・――ぼくは街角にかくれていく車の群の後姿をみおくりつづけた。のろのろと赤い午後の光彩の彼方にとおざかっていく彼らの、どの部分からも、円光のようにあの黄色い光が――車体前部の電燈の光が――彼らの皮膚の光沢のように浮かんでみえた。たそがれに、彼らは、車庫の中で、黒い銃身のように眠るであろう。ぼくは視界のひろがりの果てに、ひくい街の空にむかってむらがり 飛ぼう として ひしめきあっている。鴉の群のような彼らをみていた。鴉のような!…… 黄色い光の両眼をもった鴉。……… 不吉な羽音とともに彼らは血臭のただよう森を飛ぶのであろう。それゆえにまた彼らは死臭のただようA市第七師団の城跡にねむるのであろう。
 ぼくはみたのである。知識人とよばれるものへの えげつない日常的な〈複雑深刻げな表情〉の殻の隙間から、黄色く輪舞しようとしてひしめいている鴉の群を七月の灼けた光彩の乱射のなかにみたのである。

・鴉群(あぐん)のたれおとす糞の悪臭を鼻にかいだのである。よろめくような感覚のなかで、ぼくは花びらのような無数の白い貝が胸を流れるのをみた。黄色い濁海の波に埋まっていく白い貝粒の無数の叫びをきいた。それはぼくにむかってよびつづけるようであった。――あなたは、なれきってしまってはいけない。この鉄橋の色とあの自動車の色、この街のすみにすくう鴉の羽音、そういうものになれてはいけない。あなたは、もっと、あなたの眼と鼻と耳をひらいて…… あなたのうちよりもあなたの外のすべての光とにおいと音に…… あなたをひらいていかなくては…… ところで、この戯曲、喜劇と表記された、安部公房のドラマ『制服』を、ぼくは、心うたれて読んだ。これは敗戦の年の二月、北朝鮮のある港町に題材をもとめている。喜劇である。

【第1章まとめ】
 ・旭川、旭橋から自衛隊駐屯地にかけての風景の中、
  (自分の古い祖国を断罪の沼にくいちぎりおとす行為がぼくの青春の主要な形成力となった)
   Etwas(=あること)が頭に、胸にある。イールズ事件、1950年の学生運動
 ・現実の矛盾の前面で、自分をどう決定していくか
   →ゴーリキーの真剣な問いの前に、笑われるような今の自分
 ・自衛隊の車輛や、駐屯地の樹々に棲む鴉の群れ いまの風景に「なれきってはいけない」と感じる。
 ・最後に、安部公房の戯曲、『制服』について触れられています。

・第2章へ進みます。

・日本の敗色が濃くなりはじめ、朝鮮全体が根ぶかく動揺をはじめている時期を背景に、このささやかな人間のエピソードははじまる。停年前に二十年以上もつとめていた平巡査を馘にされた男を中心に、三人の日本人の男がドブロクの密造をやっている。そのうちある日、元巡査の男が、にわかに日本にかえるから、といいだす。二千円の貯金ができたので、「酒ときたねえこの朝鮮におさらば」するのだと男はいう。他の二人はうらやましくてならない。ところがことわりきれずに仲間のだしたドブロクをのんでしまった男は、酔ったまま、売りはらおうと思っていた巡査時代の制服をきこんで街をゴロついてまわり、しまいには朝鮮人の家におしいり、毛布までうばいあげる。そして彼は仲間の家をでてから道づれになっていた日本人の学生と二月の凍りついた道をあるいてゆくが、そのうち学生が追剝ぎに轉身して男をおそう。はずみに男はすべって気絶する。おどろいた学生は逃げてしまう。物音に男の仲間のひとりひげがたおれている男を発見するが、しかしひげは男を助けようとしない。男は凍死する。

・そして男は刑事によって他殺と断定され、犯人は毛布をうばいかえそうとして男の跡をつけてきた朝鮮の青年におっかぶされ、青年は「零下三〇度のコンクリの壁のなか」で、「ムチとストーブをかきまわす鉄の棒でまつ裸で」「二時間、思いっきりぶんなぐられ」て死んでしまう。男の妻はひげと一緒になって帰国してゆき、仲間の他のひとりであるちんばは死ぬ。
 なぜぼくはこの喜劇のドラマチックな構成の枠を解体してこのような散文的な内容紹介の形式をとったのであるか。ほかでもない、それは、この喜劇が乾いた明るい日中の喜劇ではないことを示したいからだ。むしろこれを単純に喜劇とよんでは危険である。まして悲喜劇なぞとチャチによぶことはできないのである。

※ ストーリーが、冒頭で紹介させて戴いた内容と若干違うのですが、内容が改稿されていますので、
   高野先生が読まれたのは、初出時のものと思われます。

・まず第一にぼくが言いたくおもうのは、このドラマの作者の発想が民衆を基盤にして、それに文学者としての誠実をかけておこなわれていることだ。この事情は、刑事(もしくは学生をふくめて)以外の登場人物がそれぞれの特色をもちながらも、たえず人間的な眼によって描かれていることからも容易にわかるであろう。そしてぼくのおもうに、現代の喜劇の本質は、劇の根拠が民衆の側にあり、劇の傾向が民衆のテキにむかって対象的に展開するとき、つまり、劇全体の意図が民衆の外にある意識されたテキに劃然(かくぜん)と向けられたときに成立するのだ。
 だがそのときにぼくはつまずいてしまう。それは三人の日本人の男と朝鮮人の青年との間にひかれなければならない本質的な区別である、もっといえば民衆としての生きかたの本質的な区別である、もっといえば民衆としての生きかたの本質的なちがいである。男は言うのだ。

・「何を云う! 巡査というのは神聖な職業だ。巡査は法律の番人だぞ!法律てのはな、いやものごとの秩序なんだ。雨がふりやァ、地面がぬれる。風がふきやァ、木の葉がゆれる。天地自然の理(ことわり)なんだ。こういう、大事なことの見張り役なんだぞ。私はな、巡査がいるから、人間がいるんだと思っとるよ。最初の人間は、巡査だったと思うよ。巡査は、つまり、萬物の根元だ。だから、言ってみりや、巡査の制服は男のフンドシだ。え、どうだい」二〇年以上も平巡査をつとめその挙句に馘になったという失業者の男の言葉だということに注意したい。だが、同じく非人間化されていたとしても、日本の民衆のひとりのこのような非人間的な言葉にたいして、朝鮮の青年ははるかにちがうのだ。彼は朝鮮独立の日がやってくるまでは朝鮮人の本当の顔をかくし、耐えぬいて生きのびようとしていた人間なのだ。彼は言う。

・「……(上略)……おやじが何をするんだっていうから、ハンマーをさがしているんだあって、かまわずに大声でいってやったよ。日本人に、朝鮮人の本当の顔をみせてやるんだ、ってね」
 「…(上略)…あんたが引揚げるのをみると、私は思わずあんたの後を追おうとした。するとおやじが言うんだ。これまでの忍耐を無駄にするな、今の男は本物の巡査じゃないんだ。一年も前にクビになって、いまは丘の上でドブロク密造を手伝っている可哀そうな男なんだ。つまらん男にむきになって……とりかえしのつかんことをしてくれるな……」
 ぼくたちはこの二人の言葉の間にある本質的なちがいをもっといえば、人間的なちがいをなによりもふかく感じとるべきだろう。たとえば、右の不充分な引用にもみられるような人間的な質の差が日本人と朝鮮人との間にはっきりと存在していること、それをぼくはこのドラマをよみながら感じて胸がいたんだ。それは、
 支配民族として支配した民族に属する民衆のひとりと、被圧迫民族として耐えてこなければならなかった民族に属する民衆のひとりとの、日本の民族と朝鮮の民衆との生きる仕方の違いからやってきているのである。

・ぼくらは朝鮮の詩人許南麒(きょ・なんき)の『朝鮮冬物語』やあの感動的な「火縄銃のうた」をしっている。そればかりではない。たとえばぼくらは最近雑誌「思想」に紹介された山辺健太郎氏の論文、『三・一運動の現代的意義』(「思想」、六、七月 所載)を読むことによって、朝鮮民族の巨大な独立運動の波について多大なものを学びうるだろう。そして、『制服』のなかで朝鮮の青年の発する言葉が、作者の主観的な意図からつくりだされたものではなく、それは、日本帝国主義の残酷な武力支配に抗して、それに耐えて生きぬいてきた朝鮮民族の歴史のなかから必然的に生まれてきているのだということをぼくらはしるにちがいない。『制服』において朝鮮の青年ひとりが人間的(、、、)な存在者として描かれる必要があったのは、まさに右の事情による。一九〇五年以来、朝鮮の民衆は日本帝国主義に抵抗しなければならなかったのである。そしてその抵抗の歴史こそが朝鮮民衆の生活の内容に一切の人間的とよばれうる性格を与えたのである。

【解説】
・いま、お名前が出された許南麒(きょ・なんき)は朝鮮・韓国の詩人です。
 1918年に生まれて、から 1988年に亡くなられた。詩誌『列島』創刊時に編集委員として参加されていた方です。
 今回作品を探して、この青木文庫の「火縄銃のうた」を読みましたが、親子三代にわたり、日本政府の圧政と戦った。民族の悲劇、壮絶な叙事詩です。

・そして、歴史家、労働運動家山辺健太郎の論文『三・一運動の現代的意義』が紹介されました。
 『コミンテルンの歴史』やメーデー禁止反対運動などで有名な方です。
 三・一運動とは、 1919年(大正8年)3月1日に日本統治時代の朝鮮で発生した大日本帝国からの大規模な独立運動のことです。
 
 この戯曲『制服』の朝鮮の青年の歴史的背景を知る手がかりとして、
 許南麒、山辺健太郎のことが挙げられています。
 本文に戻ります。

・したがってぼくはつよく言わなければならないだろう。ぼくらの祖国日本が朝鮮民族の支配を強めればつよめるほど、それは逆に非人間的な性格をよりつよくもたなければならなかった。そして他民族を抑圧し収奪することでその支配をつづける民族において、ぼくら日本人が根本的にはその支配の権利を承認していた事実において、すくわれがたい二重の矛盾が生じたのだ。他民族を非人間化してゆく過程で自己を自ら非人間化してゆくことのさけられぬ矛盾。ぼくら日本人はその矛盾をくいとめる斗(たた)かいに敗れたし、敗れたことで、ちょうど『制服』の三人の日本人が制服に服従しそれによっておこぼれにあずかっていたのとおなじように、支配の非人間性服従し奉仕しおこぼれにあずかったのである。――ぼくの指摘したいことはその点、日本民族のになっている二重の非人間性なのだ。それゆえ、人間の真の貴族がぼくらの文学、たとえばこの『制服』において実現しないのであろうとかんがえる。ぼくらはなにものをも嘲えない。

・ぼくらがその行為において終局的には、たとえば中国と朝鮮の両民族にたいして非人間的な敵であったかぎり、非人間的なものをあばくことのどんな営為も、それはぼくらに直接にはねかえるものであり、その自覚は、他民族のギセイという歴史的事実を踏まえることなしにはやってこない。非人間的な力に敗北することによってそれに隷属し奉仕した支配民族のなかの民衆の矛盾。これはもはやいかなる人間性の眼をもってしても喜劇化することはできない。喜劇化する文学の精神自体が湿ってしまっているのである。ぼくらは、自己を喜劇化することで喜劇の創出に成功できない。ぼくは朝鮮の青年の言葉を引用しておこう。死の世界で、男の死の貧困を追究してゆくプロセスのおわりにちかく、混乱する制服の男を(ニヤニヤしながら)ながめて彼は言う。「犯人と被害者の区別がだんだんつかなくなるようだな」と。犯人と被害者の区別があいまいになってくるのだ。そして、制服の男のなかにいるのである。それとともに被害者も男のなかにいるのである。この犯人と被害者の同一性、その矛盾が、ぼくらの矛盾なのである。しかも主要な矛盾の極こそ、ぼくらが犯人であったことのなかにある。

・自らの流した血とともにより多く他民族の血をながさせた犯罪をふまえてぼくらの被害者意識は形成されてくる。だから結句の一行の言葉はぼくらの胸にささるのだ。いま、彼自身が、犯人の片われでありそれゆえ惨めな言葉の最たる意義において被害者であることをさとった男は、かなぐりすてた制服――それこそがぼくらに犯人と被害者の二重性を根拠づけたものなのだ――のうえを、ちんばの男と朝鮮の青年とともに狂ったように踊るのであるが、船の汽笛がひびいてくるやいなや、心をうたれてはっとなる。そしてやや間をおいて……はきだすように言うのである。――「行っちまいやがった!」
 この言葉に、霧のように湿った人間の心の悔恨と哀切との全部をぼくはかんじる。なんというみじめなぼくら庶民のいきどおろしさの表現だろう。これをしも、もし喜劇の心とよべるならば、それは、あらわしがたく重い喜劇の心なのだ。

・支配のもろもろの力のなかに依存してきた歴史のなかにおける民衆の生の仕方の悲劇は、のりこえがたい自己にたいする絶望とむすんでいることにある。そうした絶望の一枚うえに人生のエピソードが踊っていることの仕方に、もし、そうしたぼくらの生のすすんできた日程の全体に喜劇が存在するならば、その喜劇の前方には、巨大な墓穴があるにちがいないのである。ぼくらは喜劇と悲劇との共同の地帯に生きてきたのである。ぼくら日本人の喜劇的精神は悲劇の鎖につながれながらお風刺の哄笑をあげようとするときにその脚につながれた重味にたえがたくうめくのだ。

【2章のまとめ】
・『制服』あらすじ  ~作品が何をあばきだすか     
・「支配」と「被支配」 歴史的事実
日本民族の担っている二重の「非人間性
  1) 他民族を抑圧し収奪する「非人間性」の構造
  2) その「非人間的」を食い止める戦いに敗れ、
     「非人間的」な力に隷属し奉仕した
     支配民族のなかの民衆の矛盾・支配の非人間性=制服
     犯人と被害者の同一性、喜劇と悲劇の矛盾

・3章に続きます。

・墓穴を体腔として成立しているこの喜劇が、形象化の手法として死者の追体験を展開し追究する方法に依存していることを、ぼくはきわめて自然のことにかんがえるものだ。このドラマは、死んだ制服の男が、殺された朝鮮の青年とであい、現実のなかへ彼とともにはいりこむ。むしろそれらの背後にただずむことによって劇的構成を組織している。だから、このドラマの現実は幽霊を背後にひかえていることで生きるのだ。このドラマの現実は二重なのだ。エピソードが形象されるとき、作者の眼は、現実の根拠から発し、そこから発想しようとする。作者の眼それ自身がひとかどの幽霊の眼のように発光し、そして、このドラマのリアリティは作者のそうした発想の光をうけて立つ死人のシルエットを背景にすることで成立してくる。もつといえば、このドラマの現実は、登場人物の主要な性格が詩を媒体にしてふたたびドラマのうちにさまよいあらわれることを条件にしなければドラマとしての現実性をもちえない。つまり、日本のドラマとして、日本の観客の心を、しかとうつことができぬのだ。

・非現実的な世界を生の世界の背後から内部にとかしながしこむ手法によってドラマのリアリズムを獲得しようとするこの『制服』の傾向は、ぼくら日本人の現存在の意義に根ぶかく絡みこんでいるもの、日本人の存在感の基礎となるようなふかい根の枝の形を理解するためには、形象化の手段としては、ひじょうに有効だとぼくはかんがえる。一九五五年の現代におけるぼくら日本人は、いま、ぼくら存在の実体、人間の実体民族の実体、そういうものの蕊にふくまれているある痛切な意識に、その背後から光をあてることで、それの呪わしい傷痕を鮮明にぼくらの網膜に映すことこそが必要なのだ。
 注意してもらいたい。朝鮮の青年が言うのである。――「しょうがねえや。(男の服をさして)そういう服を着てりや、誰の死にだっていくらかは責任はあるもんだな。世の中の仕組みが、そんな具合にできているんだよ。犯人をとらえるやつが、いちばん犯人かも知れんぜ。そんな服、ぬいじゃえよ。」

・だが、ぼくらはこの朝鮮の青年をすでに殺しているのである。このようなアジアの人間の忠告を現実のなかでとりいれる以前に、それを抑圧し殺してしまったのである。そして唯彼らの血まみれの歴史をとおしてのみ、ぼくらの国はその忠告の声をきかなければならなかった。したがって、制服の男の死骸の下にはすでに青年の血がしかれてしまっているのだ。そして三人の男が制服をふみにじって踊るとき、ふたたび注意してもらいたい。その場合の彼らの人間性への復帰こそ無言の死の舞台で演ぜられたのである。
 非人間的な生の仕方のままぼくら日本人はひとたび死んだのである。その死の掌にぼくら日本人がつかんでいたものは朝鮮の青年の死骸である。ぼくらの現存在の根はかかる歴史の死臭の流れにふかくひたされているのだ。

・象徴としての制服に目覚めてゆくぼくら日本人のプロセスは、このようにして、ぼくらの民族的な腐敗のなかから形成されてきたのではなかったか。それゆえ、制服への自覚の状況を下から支えている日本の腐敗過程をぼくらは理解しなければならないだろうし、それの過程に止めがさされたときも、ぼくらは自己の死臭のなかでのみはじめて制服を理解しえたという腐敗全体の強さをしらなければならないだろう。ぼくらの歴史はたえがたい腐臭をもっているのだ。ぼくらの背後には幽霊がたたずんでいる。無言の世界がひろくありすぎるのだ。二人の日本人がひとりの朝鮮人とともに、制服のうえにおどって怒るとき、二人の日本人は、どの世界にいるのだ。殺人者と被害者とのふたつの認識がひしめいている矛盾の極北ではなかったのか。――ぼくがこのドラマの手法に現代性をかんじるのはこのようなぼくらの存在の歴史的な構造の発掘にふさわしいからだ。そしてこの手法は単に近代的であるのではなく、ぼくのおもうに、ぼくらの日本の歴史の、とくにこの場合、日本の文学史のたどりきたった道のうえにもとめられた発想に根拠をもつものであるだろう。また、日本のインテリゲンチヤの過去の存在の構造にも根拠をもつであろう。

【3章まとめ】
・「非現実的な世界を生の世界の背後から内部に溶かし流しこむ手法によってドラマのリアリズムを獲得」
 とあります。こうした安部公房の創作の手法によって、次のことが明らかにされました。

・ぼくらはこの朝鮮の青年をすでに殺している
・「非人間的」な生の仕方のままぼくら日本人はひとたび死んだのである。その死の掌にぼくら日本人がつかんでいたものは朝鮮の青年の死骸である。歴史的構造の発掘

・日本人の存在の実体=蕊(しべ)という言い方で表現されています。

・4章、最後の章に進みます。

・ぼくにとって、この喜劇と自ら銘うったドラマは、おそらくもっともおそろしいものであった。制服が人間のテキとして明らかな形象化をかちとっていないことや、朝鮮の青年と日本の男たちの、民族的な生の差の根本的なひらきについての不分明な点、したがって制服を中心にしたカットウの不充分さ等々においてぼくの不満がのこりつづけているにしても、――ぼくはこの喜劇の描いた日本人の存在の構造的な深さにおののいた。
 そして――ぼくらのうちの誰が、この喜劇の悲劇的なリアリティを否定できよう。そこに、喜劇が喜劇化されえない理由のなかに、あまりにも重い湿った民族の意識のなかに、貴族の道程のうちに悲劇を準備してゆく矛盾のなかに、ぼくら日本人の庶民がもっているドラマチカルなパラドックスがあるのだ。
 「よしてくれ。大きな。大きすぎるおとし穴だった……」と朝鮮の青年はドラマのなかのある場面で呟くのだが、その「大きすぎるおとし穴」の両側のふちに脚をふまえて沈んでいったのが日本の民衆であったのだ。

・そしてまた――ぼくらはふたたび喜劇的な悲劇をくりかえすことはないであろうか。ぼくらは喜劇の刃で『制服』の胸をまっすぐつらぬけるであろうか。
 ぼくらのほろんだ体の下から蛆ははいだしている。それは、七月のある日、ぼくの眼の前を暗緑色の皮膚をもち昆虫のようにうなりながらよこぎっていった。ぼくは緑色の制服をみたのであった。死臭のにおう緑の制服の群をながめたのであった。のろのろと、みどりの装甲車、みどりのジープ、みどりの葬儀車、みどりの囚人車、みどりの、みどりの…………十字架のたえまない行進をみたのである。それは、ふかすぎる、大きすぎるおとし穴にすすんでゆくのである。そしてもし、巨大なその墓場のふちからあの黄色な眼をつけた死の神々が、人間の腐臭をするどくかぎつけてくろい鴉の群のようにまいあがるならば、――ぼくらは、ふたたび、そして、死の世界の悔恨すらもうばわれて死にたえるであろう。

・ぼくらは、ぼくら日本人の生の背後にかくされている墓のうえの無数の白い貝粒の声をきかなくてはなるまい。ぼくらは、まわりの大きなおとし穴になれきってはならないのだ。生の世界に確実に生きることのなかでおとし穴のからくりをみやぶらなければなるまい。そのとき、ぼくらは、おとし穴のうえに喜劇を踊らせることができるし、喜劇を喜劇としてつくることができるだろう。(五五年七月三〇日 職員)

【4章のまとめ】

 最後にまた、あの、旭川の方でしたら非常に想像しやすいと思いますが、旭橋から北高に向かう40号線の道路、自衛隊の駐屯地に向けての景色、
 装甲車、ジープが「十字架のたえまない行進」のイメージに重ねられ、次のメッセージが書かれています。

 ・ぼくら日本人の生の背後、歴史の背後、にかくされている無数の声をきかなくてはなるまい。日本人の存在の構造的な深さ 忘れてはならないことを、忘れてはいないか?
 ・ぼくらはふたたび喜劇的な悲劇をくりかえすことはないであろうか。

 ・敗戦から10年後、イールズ事件から5年後、
  26歳の高野斗志美先生の心に、安部公房と同じ時代を生きた高野先生の心に、
  安部公房初の戯曲『制服』は「警鐘」として響いたことがわかります。
*

【この『制服』が書かれた1955年(昭和30年)がどのような年か?】
 ・第二次世界大戦終結から、ちょうど10年、この年から「神武(じんむ)景気」がはじまる。経済の復興。
 ・翌年の経済白書序文に「もはや戦後ではない」
 ・電気洗濯機、電気冷蔵庫、テレビが「三種の神器」と呼ばれる
 ・日本初の「トランジスタラジオ」を発売
 ・後楽園遊園地がオープン(日本初の本格的ジェットコースター)
 ・スタルヒン投手が通算300勝を達成、シーズン終了後に現役引退。
 
 ・大きな時代の変わり目の一つであり、戦争の時代が忘れられようとしていた。

・1950年に、なぜ高野先生は、忘れてはならないという気持ちで、とくにこの『制服』について、支配民族と被圧迫民族という日本と朝鮮の問題に、とくに鋭く向き合う感性を持っていたのか。
 そのことがわかるヒントとして、北海道新聞に連載されていました、「私のなかの歴史 文学を武器として」という、高野先生のご自身の歴史を振り返る企画の中で、重要なエピソードが語られていましたので、御紹介させて戴きます。
*

「私のなかの歴史・高野斗志美 文学を武器として① 」

・十六歳の夏に、私は敗戦を迎えました。敗戦でショックを受けていた私は、友人に向かって「戦争に負けて希望も何もなくなった、腹でも切るか」と口走りました。その時、友人の一人が烈火のごとく怒鳴ったのです。

 「ばかなことを言うな、われわれがどんなに苦しい気持ちでいるか、おまえたちに分かるか。この半島の気持ちが分かるか。」

 「半島」とは、朝鮮半島のことです。戦時中、日本人は朝鮮人のことを「半島、半島」と言ってさげすんだのです。彼は朝鮮人でした。そのことで私たちが彼を差別することはまったくなかった。それどころか、彼は私が最も心を許せる親友でした、その彼が、これまで一度も見せたことのない怒りをこめて、私を罵倒したのです。

・私はその時、自分がこれまで全く知らなかった大切な何かに真正面からぶつかり、引き裂かれたように感じました。それは軍国少年として無邪気に戦争に巻き込まれた、少年時代の私との訣別でした。「ああ、おれは大人になるのだ」そう実感しました。
 やがて私は、文学を武器とする道を歩みはじめました。その出発点はどこにあるのか、いま振り返ると、中学時代のあの鮮烈な記憶に行き着くのです。

 彼は翌年の冬、朝鮮へ帰って行きました。雪の降る富良野駅ホームで、私は彼を見送りました。学生服にマント姿。前途への気迫に満ちた彼の目を、私は忘れません。彼の乗った船が玄界灘で沈んだと知ったのは、私が教師になってからのことでした。
*

・敗戦という時代の大きな渦、歴史の転換点に生きた文芸評論家・高野斗志美先生。同じ時代を生きた小説家・安部公房を日本で誰よりも深く理解し、鋭く語ることができました。それは何故か。高野先生が時代の渦中に生き、実際に体験されたこのような出来事に、安部公房の作品が強く深く響いたのではないでしょうか。

・「安部公房の作品は、現実をたんに描くのではない。それを破壊するための仮設と実験の空間である。」(高野斗志美
 現実を「破壊する」とはどういうことか。《反リアリズム》の手法として、戯曲『制服』では、幽霊たち、死んだ人たちの考えや声を読者や劇の観客は聴くことになります。現実ではありえないことです。ですが、そうした手法を採ることで、その死んでいった人たちがどういった歴史的な背景を持っていたか、ということを明らかにする。同時に私たちがどのような世界で生きているかという本質に迫る、結果的に、《本当のリアリズム》をあばきだします。

・敗戦の76年前のころの常識と、いまの常識は違います。その10年後も、日本人の考え方は大きく変わろうとしていた。
 日本人一人一人が抱える問題が変わってきて、過去が忘れられようとしていました。新しい生き方を強いられる。=常識が変わる転換点は、人類の歴史の中で何度も起きている。
・古い常識、古い人間が、捨てられていく。という中で今日御紹介した高野先生の論の最後には「忘れてはならない」というメッセージがありました。何を捨ててはならないのか、何を忘れてはならないのか、日本人の存在の構造的な深さ、について多くの事実が明るみにされ、重要な問いが投げられ、多くのことを学び考えさせられました。
 
・この北高文芸部の「路傍」に収められました。高野先生の論、「黄色い鴉の神~安部公房作『制服』についての ぼくのノート~」。本当に貴重な発見ではないかと思われます。当時 北高の文芸部に所属されていた、高橋絹代さんにお送り戴きました。本当にありがとうございました。

・文芸評論家 旭川大学名誉教授 この三浦綾子記念文学館の初代館長であった高野斗志美先生、来年は没後20周年となります。
 これを機会にまた、高野先生の研究について、資料を集め、学ばせて戴きたいと考えております。
 もし何か、こんなものがあるよ、という方がいらっしゃいましたら、ぜひお声掛け戴けましたら幸いです。

・そして、コロナのほうが落ち着いて参りましたら、来年以降、東鷹栖安部公房の会の活動も、
 今後行っていきたいと考えております。

・東鷹栖安部公房の会、年2回から3回ほど、朗読会や講演会を行っていきたいと考えております。
 ご興味お持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひ入会戴けましたら幸いです。どうぞ宜しくお願い申し上げます。

・本日は貴重な機会を戴き、誠にありがとうございました。
 ご清聴誠にありがとうございました。

f:id:loureeds:20211024170655j:image
f:id:loureeds:20211024170659j:image
f:id:loureeds:20211024170643j:image
f:id:loureeds:20211024170647j:image
f:id:loureeds:20211024170657j:image
f:id:loureeds:20211024170652j:image
f:id:loureeds:20211024170650j:image
f:id:loureeds:20211024170702j:image
f:id:loureeds:20211024170645j:image