詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

詩誌「蒐-Syuu-」9号(2018.5.20.)

詩誌「蒐-Syuu-」9号(2018.5.20.)を読ませて戴きました。誠に、ありがとうございます。
同人4名、10ページ程の白くて美しい詩誌。
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「学舎の回廊に/飾られていた/絵画の疑問符」行を追うごとに一歩一歩、
オルセー美術館のミレーの「落穂拾い」の核心に近づいていくような構成の本庄英雄さんの「農婦の謎」。
「何年も会わなかった人がバスに乗ってきたので/気づかないように身をひそめた」
ではじまる渡会やよひさんの「バスの日」 声も掛けずに過ぎていく予期せぬ再会のひと時の器に、
その人と関わりのあった過去の時間、それから会わずにいた期間、膨大な時間が溢れだす。
「知的な孑孑をめざすのさ」その「孑孑」とは何か?デジタル大辞泉では
《1 一人ぬきんでたさま。2 孤立するさま。3 小さいさま。こせこせしているさま。》という。
夢を語った眩しい記憶があったのだ。2・3・4連で展開される関わりの変化も切なく、
「あまり変わっていない」が「頬にひからびたくぼみ」、水かさの高低、光と影。
「縁の欠けた私の蹲に/見知らぬ森の長い翳が」の最終連が、目が眩むほど美しくて
最後の2行に膨大な時間が凝縮されているように読ませて戴き、胸に迫りました。
巻末の坂本孝一さんのエッセイ「宇宙の時間割」の〈地球の生誕が四十六億年、「全てが始まりすべてに行為の死滅がある」
が降り注ぐときのひかりが在ったと思う〉という記述に響き、単なる友人関係の枠を大きく超えて、
「宇宙の漂流者のわたしたちは時間の漂流者でもある」視点から渡会さんの「バスの日」と、
そして詩誌全体を何度か読ませて戴いて、読むたびに発見があり、「宇宙の漂流者」として、
「示し合わせの時間」「暗闇を蹴って」、「なぜここに来た」の詩句が二つ印象的に置かれて
宇宙の時間の流れを静止させる田中聖海さんの「場所」。
坂本孝一さんの作品タイトル「軍鶏」からは、戦うニワトリ?当初勇ましいイメージだったのですが…
哀感漂う「凍りついたほんしんをのみこみ/無い喉でよく鳴いた」という、
戦わないことが実は壮絶な戦いである、会社員として共感できる詩句。
「ぬるい肉と皮のあいだ」「無いあたまをもたげようとする」「支える骨格」「嘴とあたまだけの群れ」・・・
選び抜かれた丁寧なタッチで次々と分解加工されていき、透明な違和感の鶏が練りあげられ、潔く、
壊れてゆれる胸は羽根によってとばされていく。「弔いをかぞえてあそんだ」
夢全体で、生と死の通路が拓かれていく儀式になっていくような、凄い作品です。
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「蒐-Syuu-」9号を読ませて戴き、時間の流れについて、
〈現在〉に気づくことの大切さについて、深く考えさせられました。
私たちがいま居るのは〈現在〉のはずなのに、〈過去〉や〈未来〉の心配ばかりして
〈現在〉を生きていない。〈過去〉や〈未来〉を変えることができるのも、そのことに気づくことができるのも、
〈現在〉だけなのに、立ち止まることができない。いつも流されてしまって、どこで生きているのか?
本当の人生を生きていない時間が、ほとんどです。
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「蒐-Syuu-」9号

本庄英雄  農婦の謎
渡会やよひ  バスの日
田中聖海  場所
坂本孝一  軍鶏

エッセイ
坂本孝一  宇宙の時間割

表紙
本庄隆志

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