詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■神戸の詩誌「ア・テンポ」vol55(2019-5)

■神戸の詩誌「ア・テンポ」vol55(2019-5)をご恵送賜りました。北の地より、厚く感謝申し上げます。

 山本真弓さんの「祈りの道〈遠い人〉〈出津教会〉」、織り重ねるつらい日々からも学びを得られることへの感謝や、大江健三郎の「信仰を持たぬ者の祈り」の祈りについて、先日、柴田三吉さんからお話を戴いたことを憶いだしつつ、拝読。
 〈出津教会〉では、遠藤周作の『沈黙』について触れられている。 


 *『沈黙』の中の神父ロドリコは迫害に耐えられず転んだ。
  村人キチジローも何度も転んだ。
踏絵をためらった信徒は海の杭に繋がれ果てたという
脆弱な心の私には到底耐えられない拷問の数々

 ロドリコが転ばぬ限り、見せしめの穴吊りの拷問は続く。イエスが語った。「踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」…ロドリコは一度空っぽになり、傲慢を捨て、仕える人に自分を変えた。だから、真のクリスチャンになり得た。信仰の獲得の物語として捉えました。
 一昨年、映画化された機会に小説『沈黙』を再読。映像の長崎の殉教の海は美しく凄惨。少し前の時代、じつは現在も、平和の皮を一枚剥がすと惨劇が潜む。

 「強くあることが文明を維持していく唯一の手段ではありません。弾き出され、否定された人々を個人として知ろうとすることが大切なのです」
 「今、最も危険に晒されているのは若い世代の人々です。勝者が歴史を勝ち取り、世界を制覇するところしか見ていない。世界のカラクリがそのようなものだと思い込んでしまうのは、とても危険なことです。物質的な現代においてこそ、何かを信じたいという人間の心を真剣に考えることが大切なのだと思います。今、西洋ではそういった想いを小馬鹿にするような風潮がありますが、かつて宗教的基盤を作り上げていった前提が、今変革を遂げているのではないかと思います」
 映画監督マーティン・スコセッシ氏のインタビュー
https://gqjapan.jp/…/…/martin-scorsese-comes-to-japan/page/2

 詩論、牧田榮子さんの「詩を読む 倉橋健一 詩「あの葡萄の実は」より」、丸田礼子さんの「人間を読む 私の石牟礼 道子ノート」も、単なる作品論、作家論ではなく文明論としても、大変興味深く拝読させて戴きました。誠にありがとうございます。

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ア・テンポ