詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■北海道教育大学名誉教授 片山晴夫先生が、6月12日に逝去されました。ご生前のご厚情に深く感謝するとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。

■毎年、東鷹栖安部公房の会の講演を行って戴いておりました、北海道教育大学名誉教授 片山晴夫先生が、6月12日に逝去されました。ご生前のご厚情に深く感謝するとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。

 片山先生には大学時代よりお世話になり、教養課程の文学Ⅰ・Ⅱを履修、その時の教科書をまだ持っております。毎週楽しみで、熱く深い講義でした。三浦綾子記念文学館の理事として、ボランティア「おだまき会」の皆さんへ講演をされました。『氷点』の同時代体験、頭をがつんと殴られたような衝撃であったこと、お話戴きました。

 東鷹栖安部公房の会で2015年の8月の講演の折に再会してからは、毎年講義録のテープ起こしを柴田がさせて戴いておりました。「戦後は終わっていない。」と熱く語ってくださったこと、国境の問題、初めて『壁-S・カルマ氏の犯罪』を読んだときの衝撃、旭川安部公房がやってきて「イメージの展覧会」上映を観た驚きを語ってくださいました。詩誌『フラジャイル』毎号、感想と励ましのお言葉を奥様とのご連名で送ってくださいました。三浦綾子井上光晴安部公房を語る片山晴夫先生がいない旭川なんて考えられません。なんと申し上げてよいか言葉もありません。片山先生、ありがとうございます。心より感謝申し上げます。

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東鷹栖安部公房の会 特別講演
講師 片山晴夫先生 (北海道教育大学名誉教授)

2018年6月23日(土) 
 講演「安部公房の小説の方法」

2017年8月23日(土)
 講演「安部公房の戦後作品を読む」

2016年6月25日(土) 
 講演「安部公房を語る」

2015年8月23日(土) 
 講演「戦後文学の中の安部公房

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「戦後文学の中の安部公房」 主催:東鷹栖安部公房の会

2015-8/23(日) 13:00~ 東鷹栖公民館講堂

講師 片山晴夫先生 (北海道教育大学名誉教授)
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北方領土の問題、竹島の問題、尖閣諸島の問題は未解決です。1945年8月15日の後、ソ連が攻撃してきました。日本の国境の問題は未だ片づいていない。

・占領されていた時代の文学が「戦後文学」です。戦争の残した問題を未だ片付けていない。例えば原爆、被爆者の問題。広島、そして長崎。今でも苦しんでいる。被爆者の子どもさんも、謂れの無い差別を受けています。

・(言葉の慣性について)人間の言葉遣いって何なんだ?人間にとって言葉って何なんだ?という問題があります。「昨日のように今日を、今日のように昨日を振舞う。」言葉や生活習慣の問題です。

・信号は緑色であるにも関わらず《青》と呼んでしまう。《言葉の慣性》の問題です。人に押し付けられた表現であるにも関わらず本人はそう意識していない。

・2015年旭川青年大学の金平茂紀さんの講義では「戦後が終わり、震災が来て、いまは戦前になった。震災という、戦後を振り返る絶好の機会を逃したために、いまの戦前という状態になってしまった。」と言われましたが、片山先生は、「北方領土の問題、竹島の問題、尖閣諸島の問題」国境の問題が片付いていないということ、そしていまなお多くの人が苦しんでいる原爆の問題も片付いていない、戦後は終わっていない、と断言されます。高野斗志美先生が《生き残ってしまった人間の内面(心・魂)》と言われた戦後文学の問題は、震災の問題と共通している。

・東鷹栖安部公房の会への入会をお認め戴き、ありがとうございました。

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講義メモ

山田博光氏が編纂した新日本文学の資料より参照(安部公房【人と文学】)

・〈概括〉に「第二次戦後派」という括りについて書かれています。既成文学の伝統と決別したグループです。既成文学の親玉は、志賀直哉です。志賀直哉私小説は、作家の日常生活に題材・材料を取り入れた文学です。

・今年芥川賞を受賞したピースの又吉さんの「火花」も、ご自身の芸能人生活の中から題材を得て、おもしろい、巧みな会話が評価されました。

・しかし、安部公房の『壁-S・カルマ氏の犯罪』という作品は、既成の文学から決別した作品です。

・戦後派の文学は野間宏椎名麟三、梅崎春雄、中村真一郎、そして池澤夏樹のお父さんである福永武彦といった人たちです。

・やや遅れて登場した、第三の新人吉行淳之介安岡章太郎遠藤周作なども戦後派にやや近い人たちです。

・第二の新人と言われたのは、大岡昇平武田泰淳島尾敏雄堀田善衛三島由紀夫長谷川四郎石上玄一郎、この中に安部公房は入りますが、ノーベル文学賞の候補となった安部公房は突出しています。

安部公房ワールドは小説にとどまらず、写真や芝居(安部公房スタジオ)など、あらゆるジャンルで異才を放ちます。『イメージの展覧会』の公演を1970年代、札幌で妻と観にいきました。

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・今年は戦後70年、戦いが終わって70年です。昭和30年、戦後10年のとき、経済白書に書かれた「戦後は終わった」という有名な言葉があります。政府の文書にはこのように書かれても、私の考えでは戦後は終わっていない。

北方領土の問題、竹島の問題、尖閣諸島の問題は未解決です。1945年8月15日の後、ソ連が攻撃してきました。日本の国境の問題は未だ片づいていない。

・《太平洋戦争》とは、日本生まれの言葉ではありません。パシフィック・ウォー、これはアメリカがつくり出した言葉です。日本では大東亜戦争と呼びます。

・戦後・戦争の問題について、神奈川大学の日高昭二先生の書いた『占領空間のなかの文学』という本があります。日高昭二さんは早稲田大学を卒業の後、藤女子大学助教授を経て、神奈川大学の教授になられた方です。

・1952年に占領が終わった、と言っても、北方領土はいまだロシアが占領している。【占領空間】の中に戦後の日本は存在しました。

・占領されていた時代の文学が「戦後文学」です。戦争の残した問題を未だ片付けていない。例えば原爆、被爆者の問題。広島、そして長崎。今でも苦しんでいる。被爆者の子どもさんも、謂れの無い差別を受けています。

・戦後の問題は、昭和30年で終わった問題ではない。

・戦後、東京はオリンピックに向けて大改造が行なわれました。新幹線が走り、日本橋は高速道路の下になりました。そんな時代に、『氷点』が登場します。辻口啓造には戦争体験があります。主任教授の娘、夏枝さんにも戦争体験がある。陽子を紹介した高木という男にも戦争体験があります。高木を押しのけて夏枝と結婚した辻口啓造。戦の中を生き延びた登場人物であり、ここでも戦争は終わっていない。

・妻に殺人犯の子どもを育てさせた辻口啓造は、自分は医者の道へ行ったが、戦争中に同世代の友人がたくさん死んだ。自分は生き残ってしまった。安部公房を鋭く研究された、高野斗志美先生は《生き残ってしまった人間の内面(心・魂)》と言いました。

阪神・淡路大震災で、炎が迫る中、その子どもが「母ちゃん早く逃げよう」と言っても、お母さんは身動きができない。お前はここを離れなさい、とお母さんが言う。お母さんをそのままにして、子どもは逃げ延びていく。未だに行方不明者が1000人近くいる。

・戦後文学の問題は、震災の後の問題と共通している。1995年の阪神・淡路大震災、そして2011年の東日本大震災

・現代を生きる私たちにも通じている。「戦後文学の中の安部公房」、現実の社会をそのまま映す志賀直哉とは正反対の作家です。吉行淳之介安岡章太郎志賀直哉と同じラインの作家です。安部公房は違う。

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旭川には二人の詩人がいます。小熊秀雄。そして旭川の郵便局から東京へ行き、革命運動を行なった今野大力がいます。私たちは同じ旭川人として、この二人の詩人を心の中で誇りに思うというのも、良いと思います。

安部公房は小学校2―3年生の頃、この旭川市東鷹栖で過ごしました。

井上靖は、旭川には生まれた時の少ししか居なかったのに、《自分は旭川の5月に生まれた》と晩年色々なところに書き、愛すべき故郷として旭川があります。旭川にゆかりのある作家です。

三浦綾子さんも「旭川で自分にしかできない仕事をする」と言った。2014年10月には光世さんもなくなりました。今頃はお二人で仲良くお話をされているのではないでしょうか。

・自分の生まれた町にどんな人が居たか、ということも考えてみるとよいでしょう。私(片山先生)は同級生に俵万智がいます。三浦綾子文学賞の審査員をした荒川洋治は私の二つ下です。同郷には中野重治がいます。

旭川には小熊秀雄がいた。小熊秀雄は詩人であるだけでなく、『焼かれた魚』というすぐれた童話も残しています。

井上靖三浦綾子安部公房・・・文化的環境についてしっかりと価値をつかんで、自分自身の問題を考えてみることが大事です。

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・【人と文学】安部公房の文学にとって、故郷は重要です。中国の奉天(現在の瀋陽にあたる場所)です。発疹チフスという非情な伝染病で父が死亡、奉天ソ連に占領される中、サイダーなどをつくって生き延びていた約1年半ばかりの生活の中で、《社会の基準が徹底的に壊れるところをまざまざと目撃した。》と書いています。恒常的なものに対する信頼を完全に失った体験をしました。

・政府・警察がなくなれば、世界観は変わります。まさに「ジャングルに放り出された子ども」でした。衣食住、今日をどう生きようか?という「物質優先」の生活。故郷を失った人間として日本に還ってきた。

・「故郷を失った」とは、信じていたものが破壊された、ということです。元旦詔勅天皇は人間であるという宣言がされた。それまでの国家のために尽くせ、死を恐れるな、死んでも自分の任務を遂行する、という世界が、ガラッと変わって、「あれは間違いだった」ということになった。学校の先生も苦しみながら変化に合わせていかなければならなかった。子どもは大人を信じられなくなる。

・そんな中を生きた辻口啓造を書いた三浦綾子さんは、教育に深い悔恨を残し、荒れ果てた生活をした。それがたたってカリエスに罹った。前川正さんが彼女を救った。

安部公房は自分の故郷が滅茶苦茶になった。どうやって生きるか?無茶苦茶になった瀋陽の街、出刃の飛び交う中で一生懸命に生きた。この体験から〈深い心の空白〉が生じた。

・〈恒常的なものはない〉という考え方を身に付けざるを得ない。恒常的とは、常に常識的ということです。常に常識的なことはない。正しいことは180度変わってしまう。

・昔から、本をまたぐな、汚すな、と言われてきた、学校で使う教科書。その大切な本が、占領軍の命令で、墨を塗らざるを得ない。三浦綾子さんの代表作『道ありき』にはこう書かれています。「目も当てられない哀れさと涙がこみあげてきた。」

・「いままでは何だったのか?」

安部公房瀋陽で滅茶苦茶になって、《永遠性などというものはない》ということをしたたかに知った。これが安部公房の出発点です。

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・『壁-S・カルマ氏の犯罪』 カルマとは「業」のことです。人間を迷わせる、人を殺す、暗い闇の部分。大阪で二人の小学生が殺されました。人間は人を殺すものかもしれない。人の欲望。毎日を過ごす上での即物的な問題で、生きるための食べ物を30人くらいで取り合いになれば、人を倒さなければやっていけない。

・交通事故で人が死んでいる。問題を置き去りにしている。文化・文明・高速鉄道・自動車・・・こういったものが人を殺す。私たちはノホホンとしている。隠れた意識が業であり、カルマです。

・一冊の本が世に出るまでには、作家だけでなく、目に見えないたくさんの人たちの力が必要です。編集者やデザイナー、製本をする人、流通ルートや商業機関に載せる人が必要ですし、図書館や書店が必要です。

戦後の有名な名編集者で野原一夫という人がいます。戦後文学の世界では知らない人はいない。その野原一夫さんが最初に安部公房の『壁-S・カルマ氏の犯罪』の原稿を読んだとき、「震えるほどの衝撃を受けた」と言っています。

・S・カルマ氏の犯罪は、日頃私たちも行なっている。有名人に会ったこともないのに、よく知らないのに、カンタンに名前を出して、取り沙汰してしまう。そういう犯罪です。S・カルマ氏の犯罪は、私たちの問題です。私たちの問題であり、私たちの言葉づかい、生活感覚なのです。S・カルマ氏は、名前に逃げられる。そして名前が勝手に流通していく。人を評価するのは、とても難しいことです。

島尾敏雄は、過去の体験から、特攻隊のことを書いています。爆弾をたくさん積んでボートで敵の船に体当たりする。訓練を行い、いまかいまかと出発を待っているうちに終戦となった。出発はいまだ訪れず。終戦が来て世界が変わります。

・人間の言葉遣いって何なんだ?人間にとって言葉って何なんだ?という問題があります。

・名前に逃げられたカルマ氏は、病院の待合室でグラビア雑誌を広げて砂漠の写真を見ていた。すると、その砂漠が目にすっと入ってしまう。雑誌は真っ白になってしまう。砂漠が心の中でどんどん成長し、一体化して、S・カルマ氏はやがて壁になってしまう。

・これは「変身譚」(物語)の一種と考えられます。カフカのザムザ(=虫)や、安部公房の『棒になった男』などと同じ系譜の作品です。

・東北の民話にもこのような話があります。ある兄弟がいて、兄のほうは山へ、弟は川へ行きました。弟は川で魚をたくさん獲りました。一緒に食べようとお兄さんを待っていたがいつまで経ってもお兄さんが来ない。美味しそうな魚を弟は我慢できずに全部食べてしまう。すると喉が渇きます。いくら水を飲んでも喉が渇く。井戸の水を全部飲んでも、川の水を全部飲んでも、家の水も全部飲んでも喉の渇きが収まらない。すると体に小さなツノが出てくる。ついに大蛇になってしまった。大蛇がハチロー兄さん、サブロー兄さん、と名を叫ぶ。教訓としては一人で美味しい物を食べてはならない、ということになります。

太宰治の小説にも、少女がフナになるお話があります。また、『南総里見八犬伝』という古典も変身譚の一種です。

・壁と言えば、村上春樹氏のエルサレムでの演説を思い出します。壁を崩すことはできない。壁に対して弱いエッグ(卵)をぶつけても、エッグは割れてしまう。しかし、自分は卵の側に立つだろう、と村上春樹は言いました。

・『壁-S・カルマ氏の犯罪』は人を取り囲む壁になってしまう、という変身譚です。人間の心は壁、欲望に根ざす。

・「湿潤な日本の伝統とは違う前衛的な作品」として、安部公房の『壁-S・カルマ氏の犯罪』は、野原一夫氏に認められました。この人に認められたら凄いことです。永井荷風谷崎潤一郎を認めたように、夏目漱石太宰治を認めたように、野原一夫さんが安部公房を認めました。

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高野斗志美先生は、『壁-S・カルマ氏の犯罪』について、《言葉の慣性を破る》という表現をしています。「慣性」とは物理学用語です。永遠に転がっていく、一旦転がり出したボールが止まることがない状態です。

・私たちの言語生活について、例えば交通信号、信号の《青》はブルーですか?緑色ではないでしょうか?信号の黄色は本当に黄色ですか?オレンジ色ではないでしょうか。

 マレーシアでは青信号のことを、緑信号と呼んでいます。言語表現と概念の問題です。信号の《青》は違うと思っても、日本では《青》と認識しなければならない。

・この《青》という言葉は、実際には緑に近いにも関わらず《青》。そして伝統文学の中にある平安時代の《青馬の節会》の青馬はじつは白馬のことです。宮中に白い馬を集めて武運を祈った。天守の馬は白です。このように《青》は幅広い言葉です。

・信号は緑色であるにも関わらず《青》と呼んでしまう。《言葉の慣性》の問題です。人に押し付けられた表現であるにも関わらず本人はそう意識していない。

・八百屋さんで《青いもの》と言えば、ホウレンソウや小松菜です。東京都の品川に青物横丁があります。緑色の葉を売っているにも関わらず、《青》と呼んでいる。

高野斗志美先生は、《言葉の慣性》、いかに私たちはいい加減な言葉遣いをしているか、ということを鋭く指摘しています。

・『壁-S・カルマ氏の犯罪』に近い小説としては、福永武彦の『冥府』という小説が挙げられます。福永武彦も《言葉の慣性》の問題に気づいていた。冥府とは死者たちが集まる街です。そこでは威勢の良い魚屋さんは「いい魚だよ」、威勢の良い八百屋さんも、アメ売りも、道行く人に自分たちの商品を売り込みます。でも一つ一つの商品を吟味して口上を述べているわけではない。習慣的にやっているのです。

・「昨日のように今日を、今日のように昨日を振舞う。」 言葉や生活習慣の問題です。

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安部公房1924年大正13年生まれです。三浦綾子さんは大正11年生まれなので2つ下です。このように数字だけの問題ではなく、具体的な問題として数字を捉えるという手法もあります。関が原の合戦は、シェイクスピアの時代です。

・自分の名前が一人歩きして、仕事をしたり、流通したりする。

・むなしく病院へ行くと、待合室にあったグラビア雑誌の砂漠を目から吸い取ってしまう。

安部公房には『砂漠の思想』という有名なエッセイがあります。

・S・カルマ氏の名前は自発的に逃げ出してしまった。名前が数字にとって代わられようとしている。パソコンのIDやパスワード、数字やアルファベット、マイナンバー制、まさに現代の問題です。

現代社会を批評(クリティクル)する物語(変身譚)が『壁-S・カルマ氏の犯罪』であり、『冥府』です。当時は大変新しかった。『壁-S・カルマ氏の犯罪』はゲームのような面白さ、わくわくするようなスリルがあると言われます。変身譚としては『棒になった男』や『赤い繭』と同じ系譜にあります。ぜひ皆さんに読んで頂くと、安部公房も喜ぶのではないかと思われます。安部公房は戦後文学の中で、大変突出した表現者であり、初期の代表作が、この『壁-S・カルマ氏の犯罪』です。

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2015-08-23

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片山晴夫先生

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片山晴夫先生

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片山晴夫先生

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「もぐら通信」70号より 東鷹栖安部公房の会特別講演 片山晴夫先生