詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■詩をどう読むかについての考察など ( 「喫茶店」柴田望 )

■もう3年目になりますが、市民団体で運営される文学賞の一次選考に関わらせて戴き、お正月返上、1~2月の休日も返上にて、全国から届く100冊以上の応募作(詩集)を拝読させて戴くという、ある意味受験勉強のような、修行のような貴重な勉強の機会を戴いております。作者が人生の命の時間を削って書かれ、出版されたもの。一冊一冊の大切な本質と、真剣に向き合うことができますよう、感謝をこめて、全作品の私なりの感想・批評を、エクセルシートに入力、ただいまようやく、全作品を読破致し、感想の入力を完了致しました。
 他の委員の皆様とお会いできるまで一週間以上ありますので、「推し」の作品については、まだ何度も読み返したいと思います。畏れ多くも私ごときに文学作品の評価を行うことなどできませんが、これだけ厳密な意味でのジャンルや書き手の世代も異なる多くの作品を読ませて戴きますと、(どれが良い悪いということではなく)おおまかに次のように分類できるのではないかと気づきました。
A)自分に向けて、自分のために、記録や修練として書いている。
B)他者に向けて、言いたいことを「伝える」ために書いている。
C)新しい表現を拓き、到達することを目指し、書いている。
D)読者に向けて、BとCが戦略的(または無意識)に織り混ぜられている。
 人類の歴史や現代の問題を主題にした作品については、教科書やニュースに書かれた外側をなぞるだけではなく、その内側に深く潜み、強い側の都合によって公式の記録から除外された、言葉にならない、誰も見たことのないような弱き側の心を刻むことこそ、文学の使命の一つではないかと感じさせられました。魂を揺さぶられるような作品に出会えた歓び、心より感謝申し上げます。
 最初の年、何をどう読んでいいか分からず…尊敬する先輩詩人の皆様から教わったことを箇条書きにして、「喫茶店」という一篇の詩に纏めました。大学の頃、恩師の高野先生が常勤から非常勤となり、研究室を出られる際、大量の本を運ぶ、お引っ越しのお手伝いをしました。すると研究室がありませんので、翌週からは大学隣の喫茶店でお会いし、創作や批評について、ご指導を戴きました。一昨年出版の詩集『顔』の最後に収めました。
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「喫茶店」  柴田望
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白黒映画の二時間のうち、一瞬だけカラーの場面はあるか?
全編白黒なのにカラーのつもりで見終わっても気づかずにいたか?
存在の核に関わる一瞬の映像に到達したか?
前衛でなくとも、独創的な手法が確立されているか?
派手さだけで終わってしまっていないか?地味であるべきではないか?
題材と手法、中身と器の化学反応が起きているか?
通路としての現実、現代の問題に対峙しているか?
一つの物語は、巨大な物語の都合で変えられているか?小さな物語を産み続けているか?
早く小さく失敗を繰り返して改良を重ねているか?
見たこともない文を見たことのある文へ、見たことのある文を考えたら書ける文へ、考えたら書ける文を一瞬で書ける文へ、極限まで磨いたか?
現実や幻想に詩が書かれるのではなく、書き上げられた詩が、新たな現実や幻想を生みだしているか?せめて試みているか?
刺激と反応の間には自由選択の余地がある。作品をどう読むかは完全に読者の責任である。それでも書き手としての責任を負うと誓うか?
作者によって限定されない無限の読み方が拓かれているか?
決して完成されない〈未完の極〉を目指しているか?
たった一人の声ではなく、時代を超えて多くの人々の声と共鳴しているか?
〈言語になる以前〉を言葉で編んでいるか?
そうであってはならない状況に与せず抗議しているか? 
存在のすべてを賭けて魂を揺さぶっているか?胸ぐらを摑んでいるか?
大量消費社会では所有目的を前提に法が定められている。それだけでいいのか?その常識を逸脱した視点から存在について考えているか?
家族、友人、知人、同僚、取引先、顔を知らない、名前も知らない、亡くなられた方、これから生まれる命・・・配慮範囲は広いか?
日本の自殺者総数は減少気味だが、小中高生の自殺者数は横ばいである。詩に何ができるか?
無私であるか?
過去の悔いでも未来への不安でもなく、いまこの瞬間を書いているか?
隠蔽を許していないか?少なくとも明らかにしているか?
死者たちに囲まれて世界は育っているか?死んだ人は蘇らない、その当たり前の現実と詩は何がどう違うか?
しがみつくのをやめたとき、作品は浮かび上がってくるか?
「シバタの作品には、死者たちの中で生きているというのが足りない」(高野斗志美
「きみは、自分の人生が文体と切り離される、そのときが必ず訪れるだろう…」(高野斗志美
《そのとき》と分かる瞬間が、先生、何度か訪れました。

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