詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■「海岸線(樺太)」  柴田望

「海岸線(樺太)」  柴田望
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  一本の鉛筆が、一個の消ゴムの意味を持ち、魂の落書を消す。
 人間が消えたのだ。
 そのあとに何が残るか、はじめて、ノートの意味が開かれたのだ。
  ~文梨政幸「開く」『核詩集 1980年刊』(核の会)
*
 土地によって生息する樹や言葉 
 水の巡りは異なる
 樹は奇蹟だ
 最古の有機の命が受け継がれている
 人体に何十憶年もの情報が棲む
 悟らせてはならない
 たった一人が神である可能性を
 危険な血筋かもしれない
 無限大の偶数の生の痕跡
 未来へデルタ状に広がる
 風が種を飛ばす 海を超えて故郷を視る
 どんな樹が生えていたか
 「まるで樹の切株だらけで、墓地の中へ
 レールを敷いたようなものです。」(林芙美子樺太への旅」)
 そんなはずはない 
 トドマツはモミ エゾマツはタウヒ
 針葉の水の巡りに結晶が降る
 どんな家に住んでいたか
 豊原市東一条裏通り 食酢屋の裏の長屋
 最初の記憶 近所の葬式 よちよち歩きの弟が
 トッタン鋲を飲みこんだ
 母は慌てて弟を縦に抱き病院へ
 本人はけろっとしていた
 恵須取の役所を辞め 父は雑品屋へ転身
 リヤカーで町じゅう歩く だんだん暮らしは楽になり
 西六条南二丁目 古物商看板をあげた
 ある冬の朝、真っ黒い浮浪者が店にいた
 母は怯えていた 男はモゴモゴ言っていた
 「何か食わせてください」 飯場から逃げてきた
 母はおそるおそるどんぶりに汁をかけて差しだす
 父は怒った 土間ではなく、家に上げなさい
 父は男に五円を渡した 男は何度も頭を下げて出て行った
 子ども心に恐ろしかった 父は言った
 「勉強しなければ、あの男のようになる」
 豊原尋常第三小学校 入学前に算術は九九まで覚えた
 円の描けない図画だけが乙 他はぜんぶ甲
 体操の時間は誰にも負けなかった
 運動会はリレーの選手 一〇メートル先の相手も抜いた
 運動会の寿司やお弁当が美味しかった
 父もその日だけはにこにこしていた
 樺太庁吏員の娘、担任のH先生が結婚で辞めた
 後任はS先生 靴音だけで起立! 教室はシーンとなる
 たとえ前日欠席しても宿題をやってこなければ
 鬼のように怒鳴られる 成績は見違えるように向上!
 …S先生は終戦のとき、女性をかばってロシア兵に殺された
 豊原中学を受けるために、毎日補習
 合格者は四人に一人 苦手な理科は全部できた
 国語は分からない漢字が一つだけ
 算術は最後の五分でひらめいた
 発表の日、O先生が雪まみれになって家に転がりこみ
 「合格しましたよ!」 今でも強烈に憶いだせる
 八百人中三位合格 C組の級長になった
 小学校も優等卒業 陸上競技で全島二位
 この年の七月七日、北支盧溝橋の銃弾一発で
 昭和二〇年八月十五日迄の長い戦争に突入した
 柔道はいつも投げられていたが面白くて
 放課後残って練習に励む
 中二で一級になり、中三の秋に初段を戴き
 師範学校で三段 軍隊で四段へ昇段
 夢の中でも試合に出た
 夢で覚えた技で勝った
 陸上競技、スキー、国防競技の本校選手
 東京まで四泊五日の車中泊
 二年目は全国代表四位
 國立競技場で皇太子の臨席を仰ぎ決勝に出た
 ユニフォームの左腕に白熊のマーク
 その上に「カラフト」と縫い取りがあった
 幼稚園くらいの子が「樺太って白熊がいるの?」と聞く
 すると姉らしい女学生が走り寄って
 「ぼうや、その人たちとお話しても言葉が通じないのよ
 アイヌ人なんだから」
 おかしさと認識のなさに腹が立つ
 土のう運搬リレー二位、手榴弾投擲突撃競技三位
 旭川師団長鯉登行一中将より賞状を戴いた
 勉強部屋に飾った 学籍簿 通知箋…
 樺太には家も 母校も 何一つ残っていない
 私の歴史は残っていない これが引揚者の想い
 中学卒業の三カ月前、父が心臓病で倒れた
 進学すべきか、家業に従事すべきか
 父は樺太古物組合の長 三〇人を雇っていた
 父に無断で印鑑を持ち出し
 満州の哈爾濱医大奉天工科大、仙台高等工業、
 三つとも無試験推薦で合格した
 学校から報告…父は驚いたが、すべて断った
 樺太師範へ入学する手続きを依頼した
 私の青春の夢は潰れてしまった
 父が嫌になった 家を離れたい
 十七歳の二度と来ない時代に 私はこの考えを持った

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