詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■2021年10月16日(土)14時より、[氷点カレッジ]文学講座「旭川と安部公房」三浦綾子記念文学館にてお話をさせて戴きました。

■2021年10月16日(土)14時より、[氷点カレッジ]文学講座「旭川安部公房三浦綾子記念文学館にてお話をさせて戴きました。
(講師:東鷹栖安部公房の会 
 顧問・森田庄一 事務局長・柴田望)

会場に人を集めるかたちではなく、YouTubeで1時間程度のライブ配信の講座でした。
↓こちらからアーカイブを視聴戴けます。
https://youtu.be/EBVQtK7aZJM

安部公房について(1924年3月に生まれた、日本の小説家、劇作家、演出家)
・「新潮日本文学アルバム・安部公房」評伝を、この三浦綾子記念文学館の初代館長であった高野斗志美先生が書かれています。
ノーベル文学賞の選考を行うスウェーデン・アカデミーのノーベル委員会の2012年の発言「急死しなければ、ノーベル文学賞を受けていたでしょう。
非常に、非常に近かった」と強調、さらに、「三島由紀夫は、安部公房ほど高い位置まで近づいていなかった。井上靖が、非常に真剣に討論されていた」

・「安部公房が挑戦したのは、認識の古い構造をどのような方法でこわしていくかということであった。」「安部公房の作品は、現実をたんに描くのではない。それを破壊するための仮設と実験の空間である。」(高野斗志美
・「安部君の手にしたがって、壁に世界がひらかれる。壁は運動の限界ではなかった」(大江健三郎
・それまでの常識が変わる、非常事態が常識になる。まさにいまのコロナ禍の世界を予見していたような作風。21世紀の文明の問題を提起した、安部公房の作品は、いまも世界中で読まれている。(柴田)

・世界的作家、安部公房の原籍地は、ここ旭川の東鷹栖です。安部公房のご両親は東鷹栖で生まれ。実家は祖父の安部勝三郎さんが四国の香川県から当時の鷹栖村3線18号に開拓農家として入植。父浅吉さんは長男に生まれ、近文第二小学校、お母さんの実家も井村亀蔵さんが四国の徳島県から鷹栖村1線11号に入植、次女として生まれたヨリミさんは、近文第一小学校に学ぶ。父浅吉は上川中学校(現在の旭川東高校)、母ヨリミは庁立旭川高等女学校(現在の旭川西高校)に進学。
 安部公房本人も、父がドイツ留学の際、母ヨリミの実家井村家に戻り近文第一小学校に二年あまり在学。戦後、妹康子も東鷹栖近文第一小学校に学ぶ。母ヨリミの姉ハルメさんは東鷹栖十一代村長を務められた飯沢益吉さんと結婚され長男である飯沢英彰さんは従兄弟になり、公房さんより三つほど年上でした。

・『笑う月』に収録されている「蓄音機」に登場する従兄弟とは飯沢英彰さんのこと。此の事は「郷土誌あさひかわ」に飯沢さんのエッセイとしても紹介されている。
・「毎年の夏休みと、浅吉(公房の父)がドイツ留学をしていた小学3年生の1年間、公房は旭川の東鷹栖村で過ごした。北海道の真ん中にあるこの土地は、奉天と同様、内陸性の気候で絶えず乾燥しており、日本の最高気温と最低気温をともに持つような、激しい寒暖差があった。公房は、非常に寒くなると、空気が凍って美しい音がする、と私に話してくれたことがある。」『安部公房伝』(安部ねり
 
・「東鷹栖・安部公房の会」結成のきっかけとなったのは,平成25年、旭川市東鷹栖公民館で行われた「東鷹栖・安部公房はここにいた 講師、渡辺三子氏」の講演です。安部公房の従姉妹であり郷土誌「あさひかわ」の編集発行者でもある渡辺三子さんが、文学者である安部公房と、従姉妹としてみた安部公房さんの両面を、エピソードも交えて、お話しました。渡辺三子さんは、安部公房の父浅吉の姉田中サワさんの長女で、父方の従姉妹にあたるな。安部公房のルーツを私達は多くの人に知っていただき、又、近一小,近二小の後輩の皆さんから、第二の安部公房、第三の安部公房が輩出して頂きたいとの願いを込め、『東鷹栖・安部公房の会』を結成。

・平成25年の総会で記念碑の建立が提案され、会員全員の総意で建立計画がスタート。先ずは地域の多くの方々に安部公房と東鷹栖の関わりを知って頂くため、大学時代安部公房の書斎に度々お邪魔していた、東京大学名誉教授保坂一夫氏をお招きし、安部公房の素顔を話して頂いた。
 保坂一夫氏は、東鷹栖町長を務められ旭川と合併後は市会議員として活躍された保坂正蔵氏の長男で、東京大学で学び大学教授として活躍された。講演会当日は会場の東鷹栖公民館講堂が一杯となり、廊下に椅子を並べて聞いて頂くような盛況。その後、記念碑建立の話をさせて頂き、会の終わりに建立資金の一部にと寄附金を置いて帰られる方もあり、勇気を頂いた。
 記念碑の設置場所は、旭川市教育委員会と近文第一小学校のご了解を頂き、安部公房が通学した近文第一小学校の校庭に決定。記念碑に用いる石碑は飯沢さんの庭石を寄贈して頂いた。この石は多分、安部公房が幼い頃、飯沢宅で遊んだ石ではないかと想像される。
 揮毫は保坂一夫氏にお願いし「故郷憧憬」という御文を頂き、石材店に依頼。基礎工事をした方も石材店の方も近文第一小学校の同窓生。基礎は半永久的に構築され、揮毫の文字も通常より更に深く刻んで頂き、永年の風雪に耐える仕上がりとなった。多くの方々の好意を頂き、除幕式は近文第一小学校の児童も参加、平成26年10月17日に行う事が出来た。
 保坂一夫氏、渡辺三子さん、当時の旭川市長も出席し、多くの参加者に見守られ、安部公房氏の記念碑は、近文第一小学校の校庭で多くの後輩達を励ます。

・話が戻りますが、平成24年の年末に近い頃、札幌に住む安部公房氏の実弟、井村春光氏のご家族から、「東鷹栖安部公房の会」へ資料を寄贈したいとの好意を頂き、早速、新潮社の方の立ち会いで、資料を開封したところ、未発表の作品「天使」が見つかりました。文芸誌「新潮」平成24年12月号に掲載され、早々に売り切れとなりました。(森田)

・2016年、渡辺三子さんが所蔵されていた300点以上もの貴重な資料を、東鷹栖支所に展示しました。東鷹栖安部公房の会会員が集い、展示作業を行いました。展示は今も常設されています。北海道新聞、あさひかわ新聞、北海道経済などにも紹介されました。
 この展示の中に、興味深い資料があります。日本文学研究で世界的に有名なドナルド・キーン氏と渡辺三子さんがお二人で写っている写真です。
 これは、1996年4月、ニューヨークのコロンビア大学で行われた、「安部公房国際シンポジウム」の模様です。ドナルド・キーン氏の呼びかけにより、世界各国から安部公房文学の研究者たちが集い、シンポジウムが開かれました。日本人のひとりの作家について、このような催しが外国で開かれるというのは、大変珍しいことです。
 残念ながら、現在、インターネットでこのシンポジウムに関する記事を検索しても、なかなか出てきません。たった一つだけ、筑波大学のデータベースから、このような資料を発見できました。当時実際にそのシンポジウムに参加された、イ・チョンヒ博士のレポートです。4月20日から22日の3日間の様子の詳細なレポートです。アメリカ、フランス、ポーランド、ドイツ、日本からも著名な研究者の方々が発表された内容などが書かれています。
 また、このイ・チョンヒ博士のレポートには、このような記述もあります。「私の記憶にいまもありありと浮かぶのは、安部公房に対して大江健三郎氏がノーベル文学賞受賞の知らせを聞いた直後に受けたインタビューで、安部公房さんがもらってもよかったのに、たまたま生き残っていた私が受賞したと述べていることである」ということです。レポートはこう続きます。高野斗志美氏は真能(まの)ねりさんとの対談の中で・・・とあります。この「ねり」さんは、安部公房氏の娘さんです。高野斗志美氏とは、旭川大学の名誉教授、三浦綾子記念文学館の初代館長でありました、文芸評論家、高野斗志美先生のことです。「安部公房の文学を読むことは、21世紀の文明テキストを読むことだ」という高野先生の言葉が引用され、「安部公房は21世紀が解決しなければならない問題をほとんど提出している。たとえば、国家の問題、都市の問題、そして言語の問題などが21世紀の問題としてもあげられる。」と書かれています。高野先生のこうした発言が、海外の研究者に注目されている、ということも非常に嬉しく感じます。

東鷹栖安部公房の会の活動
・2015年8月23日 片山晴夫先生の講演「戦後文学の中の安部公房」(東鷹栖公民館)
・2016年1月23日 『無名詩集』朗読会(東鷹栖公民館)
・2017年1月28日 『デンドロカカリヤ』朗読会(東鷹栖公民館)
・2017年2月25日 『無名詩集』朗読会(旭川市中央図書館)
・2017年8月1日 読み聞かせ『豚とこうもり傘とお化け』(近文第一小学校)
・2017年8月26日 片山晴夫先生の講演「安部公房の戦後作品を読む」(東鷹栖公民館)
・2018年1月27日 『水中都市』朗読会(東鷹栖公民館)
・2018年6月23日 片山晴夫先生の講演「安部公房の小説の方法」
・2018年8月1日 読み聞かせ『おばあさんは魔法使い』(近文第一小学校)

・2018年8月1日 渡辺三子さん御逝去 会報・追悼号を発行

・2019年2月23日 『棒になった男』朗読会(東鷹栖公民館)
・2019年7月6日 村田裕和先生の講演「安部公房を語る」(東鷹栖公民館)
・2020年1月25日 『魔法のチョーク』朗読会(東鷹栖公民館)
・2020年4月~6月 旭川開村130年記念企画・安部公房「人と作品」(旭川市中央図書館2階での展示)

安部公房は、非常事態が常識に変わる、まさに今のコロナ禍を予言するような小説を、70年前から書いていました。世界中で読まれています。常識が変わる。人類はそうした局面を何度も迎えているはずです。
 中高生の自殺が増えています。自分は間違っている、だってそれが「当たり前」だもん、死んだほうがいい。という孤独な魂に対して、いやいや、「当たり前」っていうのは変わるんだ。きみは間違いじゃない、きみは素晴らしい、と、文学は呼びかける。
 みんなが「当たり前」のようにあの子をいじめている。ちがうんだ、その「当たり前」は変るんだよ、いじめは良くない、あの子を助けよう。「心」を、行動を変える。「心」を大切にする想像力、それが想像力の力、文学の可能性です。そんなことを、私は大学時代、この三浦綾子記念文学館初代館長の高野斗志美先生から学びました。今日、高野先生のことをこの場所でお話できますこと、非常に嬉しく思います。難波さん、小泉さん、森田顧問、ありがとうございました。皆様、ご清聴戴き、誠にありがとうございました。(柴田)

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