詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

『弦』No.71(2018.5.1.) 渡辺宗子さん

■渡辺宗子さんより『弦』No.71(2018.5.1.)を戴きました。誠に、ありがとうございます。5月20日の北海道詩人協会の総会の後の詩祭で、No.70で発表された「素通りできない」「世界地図のあちこちが燻っている」さまを赤々と照らす御作品「赫いレンズ」を、渡辺さんご自身が朗読されるのを拝聴し、時代に対峙するご姿勢に胸熱く、さらに作品のイメージが深まりました。見ることをやめてはならない。その時レンズが何色であっても。
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■今号では、嵩文彦さんの「のびやかな雨脚」が冒頭に掲載されています。のびやかな雨ではなく雨脚、のびやかな脚のような雨が少年時代、ガラスの家、花瓶、中空へと歩みを進めます。「緑の雨のまっすぐな降り」が3回出てきて、色がだんだん音や形を伴い、感情や性格を帯びていき、哲学を獲得していく。大人になると、雨は予定を脅かす障害に過ぎず、遠い空からどれほどの距離を旅してきた滴なのか、どこでその色を獲得したのか、といった天地の不思議にはあまり目を向けることができなくなります。大人から子どもにいっとき帰る、母のいる家にまっすぐ戻る雨脚の過程で、見えてくるものが他にもたくさんありそうです。
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■渡辺宗子さんの御作品「秋鮭」。先日6月8日に川村兼一さんのお話を聴いて、旭川はチュフベツ=秋の川であり、鮭の泳ぐ豊かな川であり、神様が親指でひっかいてつくった石狩川=イシュカラペツ、美しく作られた川に、26年前から稚魚を放流しているので、ぜひアイヌ民族として再び旭川でシャケを獲りたいと、川村さんが今の内閣に訴えているというお話を聴いた後、「還りたい 還りたい」の詩句ではじまるこの作品を拝読し、深い感慨があります。アイヌにとって川は生き物。人に例えられるものです。
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美しい貝殻の言葉たち
かき混ぜられた海で
新しい出会い
光のうたを歌うだろう

魚と結ばれた
ひと筋の臍帯
原始の海で
ゆらめく結界のあたり
ぷくぷく 吐き消える
失語の水底

産卵と死産の乱れ
疼く鮭の幻影
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生と死の出会うところ、生きることの本質に迫る凄い詩だと思います。
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■渡辺宗子さんの散文詩「ミドリ亀の家」は寓話的なスタイルで、教訓的な内容ではないのですが、コミュニケーションについての鋭い示唆が光ります。「甲羅は孤独の属性だ 一人で研いでいたりする」「ああ!きみ耳も目も/抜群良かったね/ポケットの中で心音を共有しながら同じ思考回路を辿ることができた」という行から、見る側と見られる側、読む側と読まれる側の関係性、詩作についてのヒントが隠されているように感じられました。例えば詩の題材なんかは「ふっと消えて/七日もいなくなったりしながらどこからともなく暗い所に戻っている」ことは創作の過程でよくあることではないでしょうか。古代都市の文明を築いた民族、現代社会の礎となったシュメールの秘密に迫る「ギルガメッシュ叙事詩」も興味深く読ませて戴き、『弦』があらゆる根源を射撃するために引き絞られていることが、分かりました。
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2018-06-10.

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