詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■詩誌「蒐」Syuu11号 2019.6.10.

■詩誌「蒐」Syuu11号をご恵送賜り、拝読させて戴きました。心より御礼申し上げます。
 坂本孝一さんの「それは枯れ野」、枯れた草の生えた空き地のことを指すのかと思えば、無限の色彩や想い出、感情や知性のつまった交響曲の器でした。「継ぎ足しのひとり野の奥に消えたあと/草の倒れるのを幾度も聞いた。」12音では表現しきれない音楽。
 田中聖海さんの「声」、「眠りからいきなり引き剥がされる」ほどの「強い声」、「声だけを永遠に残す跳ね方で/去っていく」声、「夢」も「あれからの月日」も「以降の不在の欠落」も「白々と明けていく一日」をも支配するほどの声。一方的な声。「何を知っているのか」などと言い返すこともできず、逆らえない。でも書くことで鑑賞の対象にしてしまうことはできる。強い創作。
 渡会やよひさんの「星菫」、ロマン主義文学の星菫派のこと? ではなく保育園の名前(ネット検索しても出てはこない)。「月組」「野菊組」「薔薇組」の魅力をたっぷりと伝えることで、現代の教育の問題を照射しているようでもあります。生と死と、心身の健康と病気、巡る季節を学び、空想力を育て広げる授業を鉄柵の向こうに押し出してはならない。
 本庄英雄さんの「並木道」、旭川にも神楽岡公園の森から緑ヶ丘の住宅地へと続く美しいプラタナス通りがあり、ある時季に突然伐採され、寂しい景色になってしまい、市が悪者になってしまう場合があるのですが、伐採作業自体が大変な労働であり、さらにその大量の枝を中間処理施設業者が入札で有価物として買い取り、燃料チップや家畜の敷料であるおが粉などにリサイクルする、という壮大な見えない旅があります。人の手によって自然が奪われるのと同時に人の手でなければ自然も景色も守れない。煤煙から蒼穹をこれからどう守れるのか。「手のひらににじむ」責任を握りつつ、鑑賞をさせて戴きました。

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