詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■詩・仲間「ZERO」No.42

■詩・仲間「ZERO」No.42を拝受致しました。誠にありがとうございます。
 森れいさんの「深井克美によせる恋歌」を引き込まれるように拝読。今年2月3月に道立近代美術館で回顧展が行われていた、函館出身の洋画家深井克美。その作品は人や鳥の身体のパーツが解体され、再び融け合ってハンディ・キャップを背負い重々しい異形を成しているような幻想世界。森れいさんがここに選んだ二つの作品「美と醜が摺り足でにじりよる黄昏に/昇華の門はひらかれる」『黄昏』の詩句から、見る者を圧倒する生の苦悩と悲しみ。グロテスクなまでの印象を与える特異な画風が浮かんでくる。「その躯を だれが抱きとめる」「あなたは日々/投身の姿勢で/いちずな狂気をかけぬけた」…享年30歳で自ら命を絶った画家の遺作『ランナー』を、「わたしも また」抱きとめてあげたいという、森れいさんの優しいまなざし。
 毎号楽しみに致しております綾部清隆さんの御作品「荒地」からも、多くを学ばせて戴いた。「荒地」とは土地のことではなく時間や状況を指しているよう。「躰の芯にぽっかりあいた穴」のような日没、いまは誰もいない。「帰ってこなかった 人」「一昨日 親しい人が角を曲がった」匿名性が高く、人物として描かれておらず、誰かは分からない。前述の深井克美の『ランナー』のように、駆け去っていった人なのか。一人ではなく大勢なのかもしれない。24時間営業の現代に「今日の終わりの象徴」は無い。空白がどんどん失われて、何もかもが過剰に溢れる。余白が無ければ文字も絵も描けない。使い古された言葉の雑草だらけの荒地で憶いだされる「砂時計が詰まった」時間との貴重な出会い。「その昔/こじんまりとした路地の空地には/あちこちにカミサマがいて/おとぎ噺であふれていた」失われた「余白という一日のよりどころで」。

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