詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

1月18日(土)発行の「図書新聞」、岡和田晃さんの時評「〈世界内戦〉下の文芸時評 第五九回~開戦前夜の「壊れもの」を、抵抗の原理へ置換する詩学~」

■1月18日(土)発行の「図書新聞」(第3431号)4ページ、岡和田晃さんの時評「〈世界内戦〉下の文芸時評 第五九回~開戦前夜の「壊れもの」を、抵抗の原理へ置換する詩学~」、タイトルに震えました。
 旭川の詩誌「フラジャイル」のこと(「「壊れもの」の名の通りに文壇的な「いじめ」を一切許容しないというコンセプトの詩誌」!)、昨年12月発行の「フラジャイル」第7号に掲載の界兀歩の詩作品「しんや 蹄のひびき どこからか」を取り上げて戴いております。誠に、ありがとうございます!!
 
 「既成のドグマに囚われる主体を解体させる技法が展開されている」
 
 界兀歩さんが1990年に著した『「だれでもないもの」の「抵抗」ーパウル・ツェランと詩ー』(もく馬社)についても触れて戴いております!(柴田が所蔵のこの写真は土曜美術社版です。)。
 
 「「夜明けの黒いミルク……」の回帰は、詩の世界を一層の混迷に導き、「不帰」の「もはや帰れまい」の逆ー文字通り「もはや帰れまい」を語りかける、呪いとして機能しているだろう。闇からさしだされる、執拗なエコーだ」(界兀歩『「だれでもないもの」の「抵抗」ーパウル・ツェランと詩ー』)
 
 昨年末の「フラジャイル」第7号編集の際、ツェランの「死のフーガ」の考察から始まるこの本を手がかりに、界さんから戴いた手書きの「しんや 蹄のひびき どこからか」の原稿入力、美術的に遂行された赤書き校正入力を、木暮純さんと二人で(界さんよりレターパックに同封戴いたチョコレートを齧りつつ)、作品の世界、深き地平に、浸らせて戴きました。まさに文学の歓び。
 
 「実は誰もが「弱い」存在である。それを抵抗の原理へと替える詩学こそ必要だ」岡和田晃さんの言葉に胸熱く、勇気を戴きました。心より感謝申し上げます。この凄い時評には、宮内悠介『遠い他国でひょんと死ねるや』(祥伝社)、井上法子「触れられなかった〈煌めき〉のこと)(「現代詩手帖」)、堀内正規『生きづらいこの世界で、アメリカ文学を読もうーカポーティギンズバーグからメルヴィル、ディキンスンまで』(小鳥遊書房)、日野原慶「取り残された人たちへの回路──ルシア・ベルリンの作品をめぐって」(群像)、 黒田夏子「時間どうぶつ」(「文學界」)、冠地清&かなしろにゃん『発達障害の人の会話力がぐんぐん伸びる アイスブレイク&ワークショップ』 (「講談社」) 、加藤典洋の遺稿「第二部の深淵ー村上春樹における「建て増し」の問題」(「すばる」)、トリスタン・コルビエール『アムール・ジョーヌ』(小澤真訳・幻戯書房)が取り上げられており(日本語の近代詩や現代詩が向かわなかった、もう一つの可能性)、興味深く拝読させて戴きました。

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