詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■河野俊一さんの発行される「御貴洛」(2021.1 2020年度3学期 Vol.36)

■河野俊一さんの発行される「御貴洛」(2021.1 2020年度3学期 Vol.36)を拝受致しました。誠にありがとうございます。
 昨年の11月、「コロナの死者よりも多い自殺者数に海外メディアが驚愕。日本の「メンタルヘルスパンデミック」」というニュースがネットに流れました。
 新型コロナウイルス感染症そのものよりも、はるかに多くの日本人が自殺によって亡くなっている。昨年は1万7000人以上。今回の「御貴洛」に収録された詩篇「そこには」「影」の二篇を拝読し、現代の自殺について深く考えさせられました。
 「はじめは/身元が分かった人の/足し算であったが/しばらくたってからは/この人がいない/の積み重ねの/引き算になった」(「そこには」)。行方不明者の集計が日常化される恐ろしさ。計算に加えられる、除外される命の名前。「そこ」とはどこか。その場所に確かにいたのか。いまは空白なのか。
 「そこにも/ここにも/いちどきにふた方向へと/影はその意識さえをも/色濃く匂わせるのだった/そんなにも濃くたくましいのであれば/通りのこちら側だって/隣の町だって遠い異国だって/近しいはずだ」匂いや距離の感覚は脳が知覚する。脳は夢と現実を区別できない。脳は騙される。人間の行動は幻想に導かれる。行動を自死へ導く条件が重なったと判断されるほどの幻想が脳を満たす時間は長いのか、短いのだろうか。近くて遠い「あの世に旅立ったあの人の影」。もう一人の自分に出会うことが創作の営みであれば、自死から逃れる条件を顕在意識と潜在意識の両方の自分から得ることができるだろうか。
 ガーシュウィンの「サマータイム」の論考。ジャズ・スタンダードとして、大学時代よく演奏しました。救いのない状況下で歌われるからこそ、美しい夢の世界。冒頭の詩「ダナン」も子守唄のように聴こえてきました。「陰はあふれていて/日なたもあふれていて」…揺り籠のように。厳しい時代でも温かい甘い夢を年初に。心より感謝申し上げます!!

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