■「詩素」10号(洪水企画 2021年5月1日)を拝読させて戴いております。誠にありがとうございます。
先日5月8日のまちなかぶんか小屋での「映画部会発 冊子販売記念イベント!」で知ったドキュメンタリー映画『ザ・トゥルー・コスト~ファストファッション真の代償』…2013年バングラデシュ・ダッカ近郊の縫製工場ラナ・プラザ崩壊の衝撃的シーン。1,100人以上の死者、負傷者2,500人以上の大惨事…ファッション業界の裏側で、命がつぶされ、燃やされた。人権侵害、環境汚染、健康被害、地球規模の問題。その「ラナ・プラザ崩壊事故によせて」、南川優子氏の詩篇「バングラディシュ」による鋭い告発。視点の置き方、「わたし」と「あなた」との隔たりについて深く考えさせられます。
「わたしたちがあなたたちの将来の皮ふを休みなく縫いあわせているうちに
どれがわたしたちの目なのか手なのか腕なのか肩なのかわからなくなってきます
わたしたちの体はバラバラになりそうです
わたしたちはわたしたちの体を縫いあわせたくなります」(「バングラディシュ」)
感謝すべき出来事や普通の日常だけではなく、自分の愚かさが招く困った状況や、訪れる辛い出来事などに対しても感謝できるようになりたいと、頭では分かっていても、浮かぶのは猛省ばかりで、体現するのは、未熟な私には難しいことです。
小島きみ子さんの詩篇「苦しみのあとの安らぎのように」、魂の再生の過程のような歩みへ、一歩一歩踏みしみながら、導かれるように拝読させて戴きました。
「落ちて戻れない地獄であっても
ためらわず 宿命のように
まるで そのことが生きるよろこびのように
見て 見て 見て 覚えていて
美しい黄色の葉で埋め尽くされた地面のこと
そんな葉っぱが
芽吹いて 成長して 今は 落ちていく」(「苦しみのあとの安らぎのように」)
「それを伝えられた?」「あなたに伝えたかった」
詩の表現における「伝える」(tell、convey、communicate…)ということ。
言語でありながら言語ではない波動のような何かを
届けて戴いたように感じ、勇気を戴き、深く感謝致しております。