詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■『わたしたちのたいせつなあの島へー菅原克己からの宿題ー』(著者・宮内喜美子 七月堂 2022年1月17日)

■『わたしたちのたいせつなあの島へー菅原克己からの宿題ー』(著者・宮内喜美子 七月堂 2022年1月17日)

・詩人・菅原克己について、私は不勉強でした。中公文庫の『日本の詩歌27現代詩集』に、詩集『日の底』より「夏帽子」という詩が収録されていて、「その日はじめて尾行に気づいた。/それがぼくの出発だった。」という、当時の非合法革命運動を監視する私服警官による尾行、そして拷問の様子がえがかれた「椅子」という詩篇だけが強烈に印象に残っていました。

 先日たまたま、Amazon Primeエドワード・スノーデンドキュメンタリー映画(『シチズンフォー スノーデンの暴露』)を観て、NSAによる大量監視が説明されるシーンで、この「夏帽子」の詩行を想起していました。2013年、膨大な個人情報を不正に集めるNSAの国際的監視網(PRISM)の実在をスノーデンが暴露し、全米のみならず世界中の一般市民をも震撼させた、衝撃的な感覚を言い表せるのは、「その日はじめて尾行に気づいた。/それがぼくの出発だった。」(「夏帽子」)…この凄い詩行だけかもしれません。

菅原克己に師事した著者・宮内喜美子氏がえがく詩人の肖像、「詩は正直に、はたを考えずに、思うまま書くことが大事なんですよ」という教えや、「合評会で政治的主張の強い作品があると、菅原先生はむしろ厳しくいさめられて、なによりも日々の暮らしから生まれる正直な声をたいせつにされているようにみえた。」という記述は、非常に重要な創作の本質をお話されているようで、興味深く心惹かれました。

・沖縄の詩人・作家、真久田正氏が菅原克己の代表作の一つである「マクシム」を心の支えにしていたという記述にも心打たれました。「打ちひしがれ、くじけそうになったとき、いつもこの詩を思い出していた。」そんな不思議な力を詩は人に与える。この詩を教えてくれた仲間(青ヘル軍団の闘士)の壮絶な死。「〈マクシム、どうだ、/青空を見ようじゃねえか〉」…真久田正氏の引用が「青空を見ようじゃないか」になっていたことに対する、「菅原克己が覚えていた詩かお芝居の台詞の、当時の翻訳口調がそうだったのか、あるいはそういう言い回しが、その時代の労働者闘争の雰囲気に合っていたのかわからないが、私も「じゃねえか」にはちょっと抵抗を感じてしまう、「じゃないか」のほうが自然だと思う。」(P86)という考察に注目し、感動を覚えました。ある詩作品の「じゃねえか」が、それを読んだ詩人の中で、時間をかけて「じゃないか」に変換されていく、そこに創作の秘密の種子が隠れているのかもしれない、オリジナルな言葉からさらにオリジナルが生まれていく萌芽のプロセス。じつは編集の校正のミスなどはただの誤りではなくて、さらなる創作を展開させる、価値のある可能性の起点のようなものかもしれないと考えました。

・詩人の視点から福島の被災地の痛ましい状況、そこに暮らす人々の様子が丁寧にえがかれる「福島の友を訪ねて2012-ここに故郷ありー」も興味深く学ばせて戴きました。地球上のどの地点もわたしたちの「たいせつな島」であり、前述の「日々の暮らしから生まれる正直な声をたいせつに」…日常に生を与えてくれる、詩が耳を傾けるべき魂が宿る、大切な土の上であると心得ます。

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