詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■前田利夫さんの新詩集『生の練習』(モノクローム・プロジェクト ブックレット詩集28 2022年4月11日)

■前田利夫さんの新詩集『生の練習』(モノクローム・プロジェクト ブックレット詩集28 2022年4月11日)を拝読させて戴きました。ご恵贈戴き、誠にありがとうございます。ご出版、おめでとうございます!
 冒頭に「距離」の詩篇が「乾いた響きのなかに/はじめて 夜が生まれる」、街路灯の光と影、霧の湿度や手の寒さが夜を幻出したとたん、二つ目の「朝」の詩篇の「焼けるような赤い空が/野一面を」覆う。「言葉の破片」が「ローム層のように」「誰も知らない遠く」へ流れて積もる…今まで読んだこともないほどの美しい朝の深さに沈む。
 「最先端の思想の本を読んでいると/身体が勝手に動き出して 鰭が生えてきた」のは夜だ。この「水槽」という詩篇や、「冬の動物園~神経症患者の告白」は、再来年が生誕100年となる安部公房初期作品群の変形譚と同質の非現実・非日常性を感じさせる。映画「マトリックス」の、人類がAIに延命させられエネルギー源として飼われている世界観にも通じる、現代の私たちの状況について直接に考えさせられる作品です。「名前」という詩篇からも、安部公房の小説「壁~N・カルマ氏の犯罪」が問うたアイデンティティの喪失の問題や、マスクを義務付けられた匿名性、個人情報の扱い等、人類が置かれている現代の最先端の問題が扱われていると感じました。
 表題作「生の練習」も忘れられない作品。偶然ながら昨日紹介させて戴いた津川エリコさんの詩集『雨の合間』の「ページをめくる人」という作品を、読者として強烈に想起し、イメージを重ねています。「生の練習」はJR王子駅に「母が臨終を迎えた病院がある」「王子駅に電車が止まるたびに 私は母を何度も殺した」という衝撃的な独白、「こうして/私は往きと帰り/母を二度殺して/私自身も二度死んで/母といっしょに 二度生まれ変わるのだ」…「生の練習」と名づけられていること自体も凄いと思います。決して暗く終わらない最終連の切り上げ方も見事。津川エリコさんの詩篇「ページをめくる人」も亡くなった「母」を召喚します。「最後の行に来るたびに/母の手がタイミングよくページをめくる」。本を読んでいるのは「私」であり、「これらは私の手だ」。しかし「それなのに死んだ母の手と見分けがつかない/母は私の為にページをめくろうと帰って来るのだ」。死者と共に繰り返しめくるこの「ページ」とは本だけではなく、人生のページなのかもしれません。生の練習の時は死者と共にある(指導霊?)。
 どの作品も機智に満ち、決して物語がそのまま書かれてるのとは違う、読み進めることで言語が奇譚を想起させ、構築する異体験へ読者を惹き込む、詩の核に仕掛けが隠されているようで、何度読んでも飽きさせません。

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