詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

講演:「安部公房と旭川」(柴田望) 2023年11月18日 旭川文学資料館《安部公房と旭川 没後30年&生誕100年》関連イベント

■本日11月18日(土)、旭川文学資料館にて「安部公房旭川」の講演をさせて戴きました。ご予約35名でしたが会場40名以上盛況のお集まりでした。皆様誠にありがとうございました。

【ミニ企画展】《安部公房旭川 没後30年&生誕100年》関連イベント
★11月18日(土)13:30より【講演朗読会】
旭川文学資料館2階講堂(旭川市常磐公園)にて
・講演:「安部公房旭川」(柴田望)
・朗読:酒谷茂靖「笑う月」「睡眠誘導術」

 講演の中では触れることができませんでしたが、講演の前に、鈴見健次郎の復刻詩集『雪の美しい國』の巻頭ページの写真の中央に安部公房、その左に更科源蔵、右に吉田一穂が写っていること、その昭和26年頃の写真を詩人の本庄英雄さんに教えて戴いたこと、また、昭和53年に発行された『札幌の詩』(北海道新聞社)の中に、安部公房の弟、井村春光さんの詩が掲載されていることを学芸員の沓澤章俊さんに報告。すると北海道の詩誌『野性』に安部公房と井村春光さんが書いていることを教えて戴き、今回展示された貴重な昭和25年の『野性』を拝見。北海道の詩人との関わりが見えてきました。今年の初めに札幌の詩人・古川善盛さんのことを調べていて『野性』に辿り着いたのですが、8月には弟子屈更科源蔵文学館で、11月には旭川安部公房展で『野性』に出合う、目に見えない力に導かれているような不思議な体験をさせて戴きました。

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日本を代表する安部公房は、1924年3月に生まれ、1993年に亡くなられましたので今年が没後30年来年が生誕100年になります。その記念として今回、素晴らしい企画がこのように旭川文学資料館で行われますこと、本当に嬉しいことです。
『新潮日本文学アルバム・安部公房』評伝を、三浦綾子記念文学館の初代館長であった旭川の文芸評論家、高野斗志美先生が編纂しました。1971年には日本で初めての安部公房評論の本である『安部公房論』をサンリオ山梨シルクセンターから出版されています。私は旭川大学経済学部でしたけれど、1995年に文学を学ぶ髙野先生のゼミに入り、戦後文学やソシュールのラング、パロール、ランガージュから始まる文章構成法を教わり、その後も4年間くらい、個人的に毎週お会い戴き、たくさんの本を戴いたり、同人誌を発行したり、三浦綾子記念文学館の立ち上げにボランティアで参加させて戴くなどの活動を通して、貴重なご指導を戴きました。髙野先生は安部公房ノーベル文学賞の候補になったときはコロンビア大学で講演をしたり、井上光晴が亡くなった1992年に中国瀋陽へ行き、1993年に帰ってきたら安部公房が亡くなったと仰っていました。先生の活動の舞台は海外にも及び、旭川にお住まいでしたが、日本における戦後の前衛文学の本当に代表的な文芸評論家の一人でありました。
 髙野先生の教えを通して、私は安部公房という世界を学んでいきました。安部公房は1951年に「壁」で芥川賞、1963年に「砂の女」で読売文学賞、64年には映画がカンヌで特別賞を受賞、67年にはフランスの外国文学賞を受賞しています。戯曲、シナリオ、テレビ番組の受賞歴もあり、作家、小説家の枠にとどまらず、演劇や映像といった分野でも注目されています。
 2012年に読売新聞に出て話題になった記事ですが、ノーベル文学賞の選考を行うスウェーデン・アカデミーのノーベル委員会のペール・ベストベリー委員長が、「安部公房は急死しなければ、ノーベル文学賞を受けていたでしょう。非常に、非常に近かった」と強調、さらに、「三島由紀夫は、安部公房ほど高い位置まで近づいていなかった。井上靖が、非常に真剣に討論されていた」と語ったそうです。安部公房井上靖も、この旭川と深いゆかりのある文学者です。
 世界的に多くの読者を獲得した安部公房の作品の特徴について、髙野先生はこのように論じています。「安部公房が挑戦したのは、認識の古い構造をどのような方法でこわしていくかということであった。」「安部公房の作品は、現実をたんに描くのではない。それを破壊するための仮設と実験の空間である。」
 それまでの常識が変わる、非常事態が常識に変わる。まさにここ数年のコロナ禍の世界であったり、戦争によって日常生活やそれまでの価値観が奪われていく、人類の有様を予見するような、前衛的な作品を発表し、21世紀の文明の問題を提起しました。
 教育大学旭川校名誉教授の片山晴夫先生は、「安部公房は《反リアリズム》の手法、人間が植物に変形する、壁や棒に変わる、名前を失う、そのような実際の現実ではありえない世界を描き、常識の枠を破る、《反リアリズム》の手法で独自の世界を創っていった、その理由は、《本当のリアリズム》、世界の本質を描きだすためであった」と論じておられました。
 安部公房旭川との関わりについてですが、安部公房の原籍地は、ここ旭川の東鷹栖です。安部公房のご両親は東鷹栖で生まれです。実家は祖父の安部勝三郎さんが四国の香川県から当時の鷹栖村3線18号に開拓農家として入植しました。安部公房の父浅吉は長男に生まれ、近文第二小学校で学びます。母の実家も東鷹栖に入植しています。井村亀蔵さんが四国の徳島県から鷹栖村1線11号に入植、次女として生まれたヨリミさんは、近文第一小学校に学びます。父浅吉は上川中学校(現在の旭川東高校)、母ヨリミは旭川高等女学校(現在の旭川西高校)に進学。ヨリミさんは『スフィンクスは笑う』という小説を書いたことでも知られています。安部公房本人も、父がドイツ留学の際、母ヨリミの実家井村家に戻り近文第一小学校に二年あまり在学。戦後、妹康子も東鷹栖近文第一小学校に学びます。母ヨリミの姉ハルメさんは東鷹栖十一代村長を務められた飯沢益吉さんと結婚され長男である飯沢英彰さんは従兄弟になり、安部公房、キミフサより三つほど年上でした。
 安部公房自身が東鷹栖について書いたものは少ないですが、全集の11巻「生きている辺境」という昭和34年に書かれた文章の中に「私の原籍地は大雪山麓、石狩川上流の上川盆地にある東鷹栖という村だが・・・」とあります。
 全集の30巻には、埴谷雄高に宛てて安部公房が昭和23年に書いたハガキが収められています。東鷹栖村一ノ十一の安部公房から送られています。「今月末、札幌の長光太に会うつもりです。」と書いています。旭川の詩人・江原光太と親交の深かった詩人です。
 そして今日、酒谷茂靖さんがこの本から朗読されますが、文庫の『笑う月』に収録されている「蓄音機」に登場する従兄弟とは飯沢英彰さんのことです。渡辺三子さんが発行されていた「郷土誌あさひかわ」にも、飯沢さんのエッセイとしても紹介されています安部公房の娘さんの安部ねりさんによる新潮社の『安部公房伝』にも東鷹栖について書かれている文を読むと、小学校3年生の1年間だけではなく、毎年夏休みに大都会満州から旭川東鷹栖へ行っていたんだ、ということが分かります。
 安部ねりさんにも活動をお認め戴き、記念碑の序幕の際にはメッセージも戴きました、「東鷹栖安部公房の会」について、今日拝見しましたこの旭川文学資料館にも資料等を展示して戴き、誠にありがとうございます。会の活動についてご紹介させて戴きます。
 1993年に安部公房が亡くなったとき、すぐに東鷹栖の人たちが動きました。東鷹栖公民館にて、1994年1月、「旭川市東鷹栖ゆかりの作家・安部公房を偲ぶ展」という展示が行われています。現在の東鷹栖安部公房有志の会の顧問、森田庄一さんや当時の公民館の館長さんたちが、中心となって行われました。
 その後、2012年に旭川市東鷹栖公民館で行われた、「東鷹栖・安部公房はここにいた 講師、渡辺三子氏」の講演がきっかけとなり、「東鷹栖・安部公房の会」を結成。安部公房の従姉妹であり郷土誌「あさひかわ」の編集発行者でもある渡辺三子さんが、文学者である安部公房と、従姉妹としてみた公房(きみふさ)さんの両面を、エピソードも交えて、お話しました。渡辺三子さんは、安部公房の父浅吉の姉田中サワさんの長女で、父方の従姉妹にあたります。
 会のパンフレット等にも記載がありますが、2013の総会で記念碑の建立が提案され、会員全員の総意で建立計画がスタート。先ずは地域の多くの方々に安部公房と東鷹栖の関わりを知って頂くため、大学時代安部公房の書斎に度々訪問されるなど、親しくしておられた、東京大学名誉教授保坂一夫氏をお招きし、安部公房の素顔などを講演でお話戴きました。保坂一夫氏は、東鷹栖町長を務められ旭川と合併後は市会議員として活躍された保坂正蔵氏の長男で、東京大学で学び大学教授として活躍されました。その講演会当日は会場の東鷹栖公民館講堂が一杯となり、廊下に椅子を並べて聞いて頂くような盛況。その後、記念碑建立の話をさせて頂き、会の終わりに建立資金の一部にと寄附金を置いて帰られる方もありました。
 記念碑の設置場所は、旭川市教育委員会と近文第一小学校のご了解を頂き、安部公房が通学した近文第一小学校の校庭に決定。記念碑に用いる石碑は飯沢さんの庭石を寄贈して頂いた。この石は多分、安部公房が幼い頃、飯沢宅で遊んだ石ではないかと想像されます。
 揮毫は保坂一夫氏にお願いし「故郷憧憬(こきょうしょうけい)」という御文を頂き、石材店に依頼。揮毫の文字は通常よりも深く刻んで頂き、永年の風雪に耐える仕上がりとなった。多くの方々の好意を頂き、除幕式は近文第一小学校の児童も参加、平成26年10月17日に行う事が出来た。
 保坂一夫氏、渡辺三子さん、当時の旭川市長も出席し、安部公房氏の記念碑は、近文第一小学校の校庭で多くの後輩達を励ますものとして建立されました。
 除幕式の様子はYouTubeでご覧戴けます。
https://youtu.be/FPwiE5CB5tA?si=VaU2hgiS0blop-Io
 2012年、札幌に住む安部公房氏の実弟、井村春光氏のご家族から、「東鷹栖安部公房の会」へ資料を寄贈したいとの好意を頂き、早速、新潮社の方の立ち会いで、資料を開封したところ、未発表の作品「天使」が見つかりました。全集にも収められていない作品でした。文芸誌「新潮」2012年12月号に掲載され、非常に話題となり、早々に売り切れとなりました。東鷹栖安部公房の会が関わった、大きな事件の一つでありました。
 2016年、渡辺三子さんが所蔵されていた300点以上もの貴重な資料を、東鷹栖支所に展示しました。東鷹栖安部公房の会会員が集い、展示作業を行いました。残念ながら現在は、コロナやマイナンバーの対応等で支所にスペースが必要になってしまったとのことで、資料は公民館に移動し、一部のみ展示されております。今回の旭川文学資料館での企画展にて多くの方にご覧戴けるのは本当にありがたいことです。
 郷土誌「あさひかわ」の事務所に掲げるために、砂澤ビッキが彫った看板も展示されました。
渡辺三子さんは砂澤ビッキとも非常に親しい間柄の方でした。三子さんの郷土誌「あさひかわ」自体が、発行当時の旭川の文化、経済、街の様子、当時の政治家や有名人の話題、どんなお店があったか、旭川という街の息吹が非常に浮き上がってくるような素晴らしい雑誌でした。
 渡辺三子さんの資料の中に、興味深い資料があります。日本文学研究で世界的に有名なドナルド・キーン氏と渡辺三子さんがお二人で写っている写真です。旭川がニューヨークとつながった瞬間のような写真です。1996年4月、ニューヨークのコロンビア大学で行われた、「安部公房国際シンポジウム」の模様です。ドナルド・キーン氏の呼びかけにより、世界各国から安部公房文学の研究者たちが集い、シンポジウムが開かれました。日本人のひとりの作家について、このような催しが外国で開かれるというのは、大変珍しいことです。
 残念ながら、現在、インターネットでこのシンポジウムに関する記事を検索しても、なかなか出てきません。たった一つだけ、筑波大学のデータベースから、このような資料を発見できました。当時実際にそのシンポジウムに参加されたイ・チョンヒ博士によるものです。1996年4月20日から22日の3日間の様子の詳細なレポートで、アメリカ、フランス、ポーランド、ドイツ、日本からも著名な研究者の方々が発表された内容などが書かれており、次のような記述もあります。「私の記憶にいまもありありと浮かぶのは、安部公房に対して大江健三郎氏がノーベル文学賞受賞の知らせを聞いた直後に受けたインタビューで、安部公房さんがもらってもよかったのに、たまたま生き残っていた私が受賞したと述べていることである」ということです。また、「高野斗志美氏は真能(まの)ねりさんとの対談の中で・・・」とあります。「ねり」さんは、安部公房氏の娘さんです。「安部公房の文学を読むことは、21世紀の文明テキストを読むことだ」という高野斗志美先生の言葉が引用され、「安部公房は21世紀が解決しなければならない問題をほとんど提出している。たとえば、国家の問題、都市の問題、そして言語の問題などが21世紀の問題としてもあげられる。」と書かれています。高野先生のこうした発言が、研究者に注目されているということも非常に嬉しく感じます。
 東鷹栖安部公房の会の歩み、イベントについてご紹介させて戴きます。
・2015年8月23日 片山晴夫先生の講演「戦後文学の中の安部公房」(東鷹栖公民館)
・2016年1月23日 『無名詩集』朗読会(東鷹栖公民館)
 安部公房が使用していたシンセサイザーの音色を流しながら、同時に朗読をするという非常に前衛的な試みでした。当時の動画などはまだYouTubeに残っています。
・2017年1月28日 『デンドロカカリヤ』朗読会(東鷹栖公民館)
・2017年2月25日 『無名詩集』朗読会(旭川市中央図書館)
このときは「東鷹栖安部公房の会」活動5周年ということで新聞に大きく報道されました。
・2017年8月1日 読み聞かせ『豚とこうもり傘とお化け』(近文第一小学校)
・2017年8月26日 片山晴夫先生の講演「安部公房の戦後作品を読む」(東鷹栖公民館
・2018年1月27日 『水中都市』朗読会(東鷹栖公民館)
・2018年6月23日 片山晴夫先生の講演「安部公房の小説の方法」
・2018年8月1日 読み聞かせ『おばあさんは魔法使い』(近文第一小学校)
・2018年8月1日 渡辺三子さんが逝去され 会報・追悼号を発行しました。
 東鷹栖安部公房の会の会報「渡辺三子さん追悼号」に書いてありますが、1977年、安部公房スタジオの「イメージの展覧会」の公演が旭川市の4条にあったヤマハホールで行われ、800人もの観客を集めたとき、旭川を案内したのは渡辺三子さんと高野斗志美先生でした。渡辺三子さんの資料で、当時の松本市長訪問の様子や優佳良織の木内綾さんとご一緒のお写真があったはずです。居酒屋大舟には今もその時の宴会の写真が飾られています。佐藤喜一さんや、山口果林さんも写っていて、大舟の宴席に楽しげなご様子です。
 2023年5月に、詩集『持ち重り』で第56回小熊秀雄賞を受賞された鎌田尚美さんと、旦那様で詩人の鎌田伸弘さんが授賞式で旭川へ来られたとき、大舟で安部公房の写っている写真をご覧戴きました。現代詩は、言葉を使って、普通の言葉では表せないような、目に見えない世界を開く、そんな表現が多いのですが、鎌田尚美さんの詩集『持ち重り』は、目に見える、手に触れられる実質的な世界が、目に見えない、異質な世界の入口になっている。ぞくぞくする面白さ、まったく飽きさせない詩集です。言葉で書かれた物や、動物、植物たちの存在が、ふだん私たちが暮らす世界で持っているような普通の意味から離れていく。その驚くべき動きを読んでいくと、これまで主題にされていなかったものが、主題に変換されていく、まさに安部公房文学に通じるような、反リアリズム的な表現の手法が生かされていると感じました。
・2019年2月23日 『棒になった男』朗読会(東鷹栖公民館)
・2019年7月6日 村田裕和先生の講演「安部公房を語る」(東鷹栖公民館)
・2020年1月25日 『魔法のチョーク』朗読会(東鷹栖公民館)
ピアニストの佐藤道子さんのバロック音楽のピアノ演奏をBGMに朗読させて戴くという、とても豪華な朗読会となりました。
・2020年4月~6月 旭川開村130年記念企画・安部公房「人と作品」(旭川市中央図書館2階での展示です。旭川市中央図書館の岡本主査のご尽力によります。だんだんコロナ禍に入っていきます。
・2021年10月16日(土) [氷点カレッジ]文学講座「旭川安部公房」 三浦綾子記念文学館
・2021年10月23日(土) 「氷点カレッジ]文学講座「安部文学の世界観」 三浦綾子記念文学館。こちらはいずれもYouTubeで閲覧できます。驚くことにそれぞれ500回くらい再生されています。
・2023年10月15日(日)、東鷹栖安部公房有志の会主催「安部公房没後30周年記念」特別講演に鎌田東二先生(詩人・宗教学者・哲学者、京都大学名誉教授)をお迎えし「安部公房ー仮(化)の文学」、世界的作家・安部公房ゆかりの地で記念すべき講演を開催できました。鎌田先生の講義は安部公房の仮(化)、化けると仮の「仮説」について、小説『壁ーS・カルマ氏の犯罪』の《とらぬ狸の皮算用》とはつまり仮説、例えば国境や国家も人間が作り上げた仮説にすぎない。ボーダー、我々が真実だと思っているものを一回取り外してみよう…という実験感覚、ボーダーレスの感性は、安部公房が幼少期を過ごした満州奉天という、当時、東京よりも都会であった、劇場のように、短い期間で築かれ、敗戦とともに失われた都市で育まれたと考えられます。
 敗戦により、それまで当然として存在していた生活の場を奪われた。価値観が一転した。世界がぜんぶひっくりかえった…『燃えつきた地図』、『箱男』、『密会』…都市の文学、都市に存在の可能性を追求し続けた安部公房の創作の原点の秘密に迫る凄まじいご指摘のお話でありました。
 今年から「東鷹栖安部公房の会」は有志の会となりまして、一年に一回くらいこのようなイベントを行い、年会費等も集めずに行っていくことと決まりました。もしご興味おありの方はぜひお声掛けを戴けましたら幸いです。
 冒頭で少しだけ申し上げました、安部公房文学についてのことを、続きをお話しさせて戴きます。
2016年の片山先生の講演でも、リアリズム、反リアリズムという問題が提起されます。リアリズムとは、日本の伝統的な私小説のような主流の文学です。それに対し反リアリズムとは、実生活ではありえない題材、反逆の文学ということになります。現実ではありえない、主人公が植物になったり、壁になったりということですが、安部公房の初期の短編群は人間以外のものに変形する人間の物語、反リアリズム、「変形譚」と呼ばれます。本多秋五という文芸評論家が、安部公房のデンドロカカリヤに「観念小説から抽象小説への道」をみとめ、デンドロカカリヤを人間から植物への変形の手法を「幾何学の補助線」と名付けました(『物語戦後文学史』)。その補助線である変形を媒介として、安部公房は人間主体の新しい確立地点の発見をめざしている、と髙野斗志美先生は論じています(『安部公房論』)。
 今年、井上靖記念文化賞を受賞された、日本を代表する詩人の吉増剛造先生は、10月7日の井上靖記念館の講演で、詩や芸術は「ほんのちょっとした瞬間に「別世界」があるなっていうのが勝負」と仰られました。それは吉増先生が指摘される、カフカの小説「城」に登場する、主人公を異世界へ導く一枚の板切れや、吉田一穂の本人の手書きの生原稿に見られる、原稿用紙の升の中央に書かれている句読点の特徴なども入口なのであろうかと想像を膨らませますが、まさに安部公房の小説の方法には「異世界」「別世界」への入口へ導く機能が備えられていると考えられます。
 全集の第1巻を読むと、安部公房は若い頃からハイデガーの影響を強く受けていたことが分かります。『無名詩集』発行よりも以前に書かれた「詩人の運命」というエッセーでは、詩人とは世界の中に自分がいる、という状態と、自分の中に世界がある、という両方の状態を光の速さで行き来する運命を持っていると書かれています。そのような存在と時間と空間の感覚をもった安部公房が変形を書くとき、それが一人の人間の変形であったとしても、つねに世界の変形、社会の変革を意識して表現していたと考えられます。
 満州奉天で暮らしていた安部公房は、1945年に、医師として患者の診療にあたっていた父親が発疹チフスに感染して亡くなって、日本の敗戦と同時に社会の基準が徹底的に壊れるところをまざまざと目撃しました。政府・警察がなくなれば、世界観は変わり、まさに「ジャングルに放り出された子ども」でした。『反劇的人間』というドナルド・キーンとの対談では終戦直後、権力が崩壊して、社会の基準が壊れたとき、 卑怯な日本人も居たんだ、民族に対する見方が変わってしまった、ということを安部公房は克明に語っています。 
 戦争に負けて、当時東京よりも都会な巨大都市であった満州という世界が完全に無政府状態となり、崩壊していく。「変形を経験することで、主人公はたしかに、自己の発見を行う、非人間的な状況に呪縛されている自己と、そういうあり方を拒否し、呪縛をきり払おうとする自己とを、同時に発見する。形成さるべき《私》は、変形した自己を超え出るくわだて、それを担う無形の自己を素材として登場するだろう。」(高野斗志美安部公房論』)。ここでは植物的なものとの戦いを経て、鉱物的、無機質的なものが、私を構成する質に変貌してくる…つまりこれが無形の自己の発見につながります。名づけられない無形の自己が、無限の可能性を孕む。敗戦でぼろぼろになった満州奉天が、都市の本質を奪われて、どんどん瓦礫の山になって、無形の、名付けることのできないような実存になっていく、そうした発見があったのではないか、そこに「無限の可能性」があるのだはないか、という哲学的な問いが発せられます。
 高野先生の『安部公房論』を読み返して気づいたのですが、フランスの哲学者、ジャン・ポール・サルトルは、実存は本質に先立つと言いましたが、この実存を「名づけることのできない」「無形のもの」と考えますと、その存在が、「無形」であり「名づけることのできない」をできない「実存」を獲得すると同時に、例えば植物や壁や棒といった「本質」を獲得していく過程を克明に書くという実験が、安部公房の数々の作品の中で行われていたのではないか、だからサルトルのフランスでは特に熱狂的に受け入れられたのではないかと考えました。
 代表作『砂の女』は、「砂が流動している」から「流動のそのものが砂なのだ」に変わっていく、主人公の仁木順平は最初は昆虫好きの教師であり、生きる目的や名前も有って無いような実存の存在であったわけなのですが、砂の集落に捕らわれて、逃れようと何度も試みるわけですけれど、物語の終盤では完全に変化してしまって、「砂の女」とともに、村を支える立派な構成員の一人としての役割のような人生の「本質」を決定されてしまっている。そこへ至るまでの心の動きまでもが克明に記されている恐ろしい書物です。サルトル実存主義安部公房の文学を当て嵌めようとすると恐ろしく色々な大切なものを見落としてしまいそうな危険性もあるのですけれど、あえて今日は、私自身の経験が、一つの役割というか、本質のようなものを得ることができたように感じましたので、あえてこのお話をさせて戴きました。
 二年前、私は旭川市文化奨励賞を戴きまして、10分間の講演の機会を戴きました。当時、旭川のいじめの問題について、文化に関わる者の視点から、この画面を用いて、安部公房が日常と非日常、価値観の転換という表現に取り組んだ文学者であることから、私たちの価値観について、例えば、あるグループの中で、あの子をいじめよう、だってみんながいじめている、それが「普通なんだ」、というかれらの日常の「普通感覚」を、「いじめはよくない」「あの子を助けよう」という別の「普通」に変えていく、あらゆる単位の集団の日常を非日常へ、常識を変形させる【文学の想像力】ということについてお話させて戴きました。その時は「常識」や「価値感」の変形ということに注目しておりました。
 ところが、先ほどお話した実存と本質を考えさせられるような事件が今年起こりました。1月、アフガニスタンタリバン暫定政権が詩作、詩を書くことを禁止する発令を行ったことで、オランダに亡命中の詩人でソマイア・ラミシュさんという非常に勇気ある女性の詩人の方が、世界の詩人たちへ
詩を送ってください、というメッセージを送ったのです。
 ウエッブ・アフガンの野口編集長からご連絡を戴き、旭川フラジャイルの柴田が反応致しまして
全国の詩人の皆さんにSNSを通して、タリバンの詩作禁止に抵抗するための詩を送ってください、とお願いし、日本からは三十数篇の詩が集まりました。今の日本では、詩を書いてはならないと政府が発令するのは考えられないですし、アフガニスタンでもタリバンが2年前に政権を奪還するまでは、詩を書いたり音楽を聴いたり、映画を見たりということができたのですが、常識が変わってしまっている。女性の基本的人権も奪われているという中で、ソマイア・ラミシュさんもこのような活動を行うのは、命を狙われるような危険なことなのですが、彼女は世界の詩人たちへメッセージを送り、100篇以上の詩が集まりました。
 その100篇前後のうち、海外詩人21名、日本の詩人36名の詩を収めた詩集を、8月15日、アフガニスタンタリバンに陥落したちょうど2年後の日に日本で発行しました。この編集・発行の作業を旭川「フラジャイル」の柴田が中心となって担当させて戴きました。すると北海道新聞さんはじめ、様々なメディアでご紹介戴き、アマゾンの新着ランキングではなんと全国1位となり、ペルシャ語版のBBCやインデペンデント紙でも紹介されました。
 8月24日にはまちなかぶんか小屋で発行記念のイベントを行い、木暮純さん、岡和田晃さん、二条千河さん、野口さんも東京から来てくださって、イラストを描いてくださった日野あかねさん、表紙のお写真を提供戴いた写真家の谷口雅彦さんも起こし戴き、本当に盛況なイベントでした。本当にありがとうございます。この様子はSNSや動画などでオランダのソマイアさんはじめ世界の詩人たちへ伝え、非常に喜ばれました。9月にはなんと日本ペンクラブもこの活動を認めてくださり、声明を発してくださったのです。こうした取り組みについて、朝日新聞デジタル、Yahooニュースでも紹介され、玉懸光枝さん(ドットワールド編集長)の記事では、旭川の詩の活動について、例えば小熊秀雄や今野大力の時代には、日本でも自由に詩を書くことができなかったこと、また、戦後72年間、詩の発行を続けて、詩人に発表の場を提供し続けた私たちの先輩であり、戦争を経験した詩人である富田正一さんの想いなどについても丁寧に書いて戴いております。
 12月には、コトバスラムジャパンが全国大会へソマイア・ラミシュさんを日本へ招聘することとなり、現在準備が進められています。12月16日から20日くらいまで、ソマイアさんは日本に滞在される予定です。本当に日本の詩の世界にとって歴史的なことです。
 こうした怒涛のような経験が2023年の1月からもう11月中旬になりますけれど、旭川という詩の文化の醸成されたエリアで詩の活動をさせて戴いていたはずが、不思議なご縁のきっかけで、活動のレベルが海外へと、まったく変わってしまうような経験が訪れました。まさかオランダに亡命中のアフガニスタンの詩人の手に、旭川で発行された本が届くということが実現し、とても感動的なことです。このような、政府の価値観が全く違う国外のことに関わる、ボーダーレスの感覚はコトバスラムジャパンの三木さんや遠藤さんのおかげであると同時に、この旭川の地で、安部公房文学の感覚を学ばせて戴いたということが大きかったと思います。
 いま自分が生きている世界の日常とは違う、私たちから見たら非日常の世界が、実際に存在するということ、そして私たちの国もかつては今の日常とはまったく異なる世界だったのだということを
実際に感覚するような経験がこの1年の間に起きた次第でございます。
 そのような状況の中で、自分たちの取り組みが、この世界の誰かの役にたてるようなことができれば、それは今までの経験を生かした新しい本質を獲得するようなことであった、無限の可能性を持つ名づけられない実存が本質へ導かれ、変形させられるような経験であった、安部公房の一冊の小説の作品を読んでいるような膨大な変化を伴う経験であったということ、これは本当に多くの皆様のご支援を戴いたおかげのことで、本当にたくさんの感謝を申し上げたい次第です。本日この旭川文学資料館でお話させて戴く貴重な機会の場を借りて、髙野斗志美先生や富田正一さん、渡辺三子さんにもご報告申し上げたい次第です。
 満州で敗戦を迎え、社会の基準が徹底的に壊れるところをまざまざと目撃した。父を亡くし、最も親しかった友人を失くし、青春を破壊され、時代の変化に曝され、変形を経験させられ、自己を発見せざるをえなかった。名づけられないものとして「音もなくいとなむ流れ」となるしかなかった。そうした自己を発見し、やがてそういうあり方を拒否し、呪縛をきり払おうとする自己を、同時に発見していく。若き安部公房が書いた『無名詩集』の中から「祈り」を本日の講演の終わりに朗読させて戴きます。
*

祈り    安部公房

神よ
せめて一本の 木の様であってください
夕ともなれば
拡つて行く影と共に
宇宙の影に融けて行く
果樹園の実りの様であってください
あるいは熱にうなされた額の上で
跡もなく消えて行く一ひらの
雪の様であって下さい
僕達はあなたのまわりで
出来れば
日々に耐え 影の動きに
移ろって行く時の様でありましょう
せめて限られた樹液の中で
音もなくいとなむ流れでありましょう

***

 最後に、お知らせをさせて戴けましたら幸いです。「フラジャイル」のイベントや、小熊秀雄賞市民実行委員会のイベントにも参加してくださいました、ロシアの楽器ラヴァストの世界でも数少ない奏者であるSAYOさんのニューイヤーコンサートが来年1月8日、旭川市民文化会館で行われます。ぜひご参加戴けましたら幸いです。チラシのほうお配りさせて戴いております。チケットは「フラジャイル」柴田のほうでも取り扱っております。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
 来週11月23日には北海道文学館で行われる左川ちかの朗読会を、私が構成をさせて戴き、司会を務め、道内の名だたる詩人の皆さんを迎え行わせて戴きます。東京からも左川ちかの研究者の方たちがご参加されます。
 12月8日には、谷川俊太郎公認のカフェ、俊カフェさんというところで、イベントを行います。この、谷口雅彦さんの素晴らしい写真を表紙に使わせて戴き、今年出版しました、柴田の詩集「帯」を、この本がめざした表現、北海道の詩人、古川善盛氏の活動や作品、古川さんの時代について、お話や朗読をさせて戴きます。河邨文一郎や江原光太とも親しかった、とても大きな存在である古川善盛について、トークと朗読のイベントを行います。
 詩誌「フラジャイル」第18号はまだ書店でも販売しております。AMAZONや楽天でもお買い戴けます。第19号が12月中旬発行ということでこちらもぜひお楽しみ戴きたく、また、SNS等でお知らせさせて戴きます。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
 本日は誠にありがとうございました。(柴田望)