詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■詩誌『サラン橋』(サラン舎・2019年12月31日)

■昨年末からお正月返上、その後も仕事が忙しく、なかなかしっかり休めなかったものですから、恐縮ながら郵便の多くをようやく3月の今頃になって開封させて戴いております。遅ればせながら御礼を申し上げたく、貴重な詩誌『サラン橋』(サラン舎・2019年12月31日)を拝読させて戴き、同人の皆様による秀作に脱帽致しております。今号の編集を御担当された本多寿氏の散文詩「秋の宵のこと」に注目致しました。「宮崎市街地のメインストリート橘通りを走行する車の列が途切れた瞬間、一人の男が一番街に向かってゼブラゾーンに駆け込んだ。」とあり、地名は「宮崎市街地」「橘通り」ですが、読み進め迷い込むのはどの国のどの都市であっても不思議ではなく、限定されない時空へ誘われました。「ゼブラゾーン」とは何か?「スクランブル交差点。ゼブラゾーンで繋いだ□(マス)の中に、さらに、×印のゼブラゾーンが描かれている。□の、それぞれの隅にある信号機が点滅をくりかえしながら、車と歩行者を規則正しく交互に動かしている。」とある。行動規範の了解を前提にシステムが稼働と停止を繰り返す。戦慄の稼働と停止が繰り返し展開されるエリック・サティの「オジーブ」が流れ、柳並木が揺れ、「ネオンの光が蜂の群れのように乱舞しはじめ」る。非常事態とそうでない日常が交互に訪れる都市の現景を生きるうち、「いつしか自分自身の影が消失していることに」気づかされる。「あの手術は、私と影を分離するためだったのではないか。消されたのは影ではなくて私だったのではないか。」。大勢が住んでいるはずの都会の時間が止まり、空っぽに思える瞬間やそのときの会話を詩は見事に切り取る。
 岡田ユアンさんの「ははの音」、母音の詩。「「あ」は思いのほか力を持っている/喉から腹へ」。アルチュール・ランボーの言葉の錬金術、「A は黒、E は白、 I は赤、U は緑、O はブルー」を想起しつつ。しかし「ははの音」に発明された「あいうえお」には人格がある。視覚・聴覚・身体感覚のVAKよりもさらに深く心の動きを生み育てる。「わたしを励ます」力まで授けられている。(言語=)音には考える力と性質があるのだと驚きつつ拝読させて戴きました。「「お」はそれでいいのだと/すべてを包みこむ/懐の深さを持っている/清水のように 溢れ/胸間をくすぐる」。

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