詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■詩誌「59(ゴクウ)」第20号(ソンゴクウの会・2020年3月10日発行)

■詩誌「59(ゴクウ)」第20号(ソンゴクウの会・2020年3月10日発行)を拝受致しました。心より感謝申し上げます。岩木誠一郎さんの詩作品「降りてゆく」、エッセイ「連載 詩を読む⑲」を興味深く拝読。都市は幻視に満ちている。非常事態宣言が昨日で解かれた札幌も、まだ人は密集を避けている。普段大勢が行き交う場所に生じる空白に映るのか。それとも大勢の選択する意識によって織りなされたスクリーンに映写されるのか。「とつぜん/古い映画の場面がよみがえる/逃げてゆく男が/改札を飛び越え/扉の閉まりかけた地下鉄に走り込むと/肩で息をするのだ」。今日は3月20日、25年前の今日、地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件が発生。現東京メトロ・千代田線霞ヶ関駅の事務所に献花台が設けられている。路線図が深い場所へ、「くらいひびきが聞えてくる方へ」導く。毎日の通勤のように、逃げるのでも追いかけるのでもなく、「降りていく」必要。「乗り換えの必要なところに/それはある」
 「連載 詩を読む⑲」は紺野とも氏の詩集『ひかりへ』(思潮社・2019年10月)が論じられており、詩をどう読むかについてのヒント多く、とても勉強になりました。「作品のなかで直接「痛み」を書くことはしていないが、言葉によって触れているのは、現代の都市生活が生み出す「痛み」だ」。他人と違う、ずれている、居場所がない…という状態を、では、どう違うのか、どうずれているのか? を具体的に分析・解説するのではなく、溶け込まない自分を発見する。発見することに「ひかり」があるのかも。題材として扱い、作品に昇華させ、読者に伝え共感される(決して無理に求めるのではなく、ふわっと切り取るような)。作者と読者の居る詩を介して。「私は『ひかりへ』を、生きにくさを抱えた自分との対話を通じて再生への道筋を描いた詩集として共感とともに読んだ。」

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