詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■山本育夫さんの詩集『HANAJI花児1984‐2019』(思潮社 2022年2月22日)

■山本育夫さんの詩集『HANAJI花児1984‐2019』(思潮社 2022年2月22日)を拝読させて戴き、貴重な勉強をさせて戴いております。誠にありがとうございます。
「花児」の「兆し、出現、召喚の物語」。「花児」とは誰か? 鈴木志郎康のキキとか、エミネムのスリム・シェイディ、C・ブコウスキーのチナスキー、最近で言うと仮想空間ゲームのアバターのような、詩人の別人格とは単純には定義づけられない不思議な存在で、惨殺されても死なないし、全篇を繰り返し読んでいるうちに「花児」の名が登場する作品よりも登場しない詩篇のほうに「花児」が発動されているような感触を得ました。言ってはならない名前なのかもしれません。
 1984年『ボイスの印象』、1991年『新しい人』、2019年『花児2019・水馬(あめんぼう)』の三つの詩集が収められ、詩法の変化はどんどん詩の核へ近づいていくような迫力で、言葉の生と死を目撃させる声になる前の声の結晶であり、三つの時代に花児が居ます。評論・インタビューも含め350ページを超え、到底論ずることなどできないほどの質量です。恐縮ながら感想だけを申し上げますと、84年の詩も91年の詩も、全然古くなくて新鮮で、手書き→ワープロ→パソコンとツールの変遷について山本さんは触れておられますが、スマホ時代の2022年に直接衝撃を与える強度は何だろうと考えながら、吉本隆明が「一流の表現」として「沈黙と声とのあいだに位置する言葉の階段の発見」(吉本隆明「山本育夫小論」)について指摘しているのを読み、その階段に座ってじっと文明を眺めている「花児」の姿が、「We passed upon the stair(階段ですれ違った)」の歌詞で始まるデヴィッド・ボウイの、ボウイが度々主題にしていた心を病んでいた兄のことを歌ったと言われる「世界を売った男」のイメージと重なり、前2作に比べ比較的行数の少ない『花児2019・水馬(あめんぼう)』のすべての詩行に、面影や息づかいが、読み手に鉤爪のように迫ってくる眩暈を感じております。世界は言葉であふれている。水を得てついに決壊し、言葉の雨を浴びて統制される私たちの両瞼を切って花瓣に変え、浄化と空虚を直視させると同時に高さや距離を与える。「この一帯を波動している」(「なごりの、波動。」)。「この循環、を意識しながら/おお、ことばが弾丸なら!」(「もうもうと水」)。

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