詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■土橋芳美さんの新詩集『ウクライナ青年との対話』(サッポロ堂書店 編集・長屋のり子 表紙 カット・坂東満喜子)

■土橋芳美さんの新詩集『ウクライナ青年との対話』(サッポロ堂書店 編集・長屋のり子 表紙 カット・坂東満喜子)を拝読させて戴きました。今、読まれるべき詩集。長い一篇の対話形式、長編詩の一冊。ランボーの初期詩篇「谷間に眠る男 Le Dormeur du Val」を想起しつつ…死んだウクライナの青年兵士の魂がアイヌの女性のもとへ現れて言葉を交わす。人類が求める静かな大地=アイヌモシリ=(アイヌ=人間、モ=静か、シリ=大地)について。制裁ではなく、納得のいく言葉をお互いの胸に下ろす=チャランケ=(チャ=言葉、ランケ=下ろす)の可能性について。「自分の心を/閉ざしていては/言葉が心に下りないの/だから/話し合う前に/まず心を空にして/清めておくことが/大事なの」。お互いの根に下りていくことを疎かにしたために、解決されない問題が現実には山積みにある。銃弾を受けた兵士のポケットに一掴みのウクライナの向日葵の種。対話が静かな大地に根を下ろす日を望む。

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■高野尭さんの詩集『マルコロード』(思潮社)

■高野尭さんの詩集『マルコロード』(思潮社)はタイトルも詩のようで、聴いたことのあるようでいて見たことのない語の組み合わせの化学反応。新しい語の創出。「ひと聲の葛藤」「無言の界隈」「ハクビシンの悲鳴」などを名づけられないものと名づけられる詩篇「無名」の4聯目「あの雨の五分間を覗いてみました/出くわす熊に挨拶して/生きて道なりの語聞に血を巡らせ/狩に出る」、生と死の境に敷かれた血を巡らせる語り聞かせのロードが表出する。最後の長編散文詩「マルコロード」を、尊敬する金石稔さんの詩集『星に聴く』の「備忘録」を想起しつつ、激動の時代を生きた一人の見者( voyant)が奏でる結晶の航海録として、同時に今という時空を照射する語の粒子たちによる幾層もの漂いに同化する視点で読ませて戴きました。「見落とされた復讐劇に鳥兜の効能は無用だ」(「マルコロード」)。貴重な勉強の機会を賜り、心より感謝申し上げます。

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■「ざいん」26号(編集 井村敦氏 発行 浅野清氏 未明舎)

■「ざいん」26号(編集 井村敦氏 発行 浅野清氏 未明舎)を拝受、詩人・歌人俳人でもある多彩な越野誠(小篠真琴)さんが、ついに小説デビュー。巻頭に掲載の小説「茶わん蒸しとミルクティ」は、困難な時代を生きる若者の暮らしや文化を描き、「母の作る」「栗の甘露煮とエビの入っていた」茶わん蒸し、大切な人との出会いの想い出に繫がる福山雅治の曲「milk tea」、これらは両方とも丁寧にかき混ぜる行為を想起させる。主人公が「見えない自分と向き合いたいとき」に現れる利根別川。日本海の潮流と混じり合う、清流、濁流。茶わん蒸しとミルクティと利根別川も重要な登場人物のよう。「町の人たちの心象を表すような」河川として利根別川を小説家の感性が真摯にえがく。
 この号は長年「パンと薔薇」を発行されていた光城健悦さんの追悼号であり、皆様の哀悼のメッセージが胸に響きました。光城さんには「タイムポテンシャル」や「フラジャイル」もご覧戴き、励ましのお言葉を戴いたことがございます。心より御冥福をお祈り申し上げます。

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■「木偶」121号(『木偶』編集室 編集・発行 田中健太郎氏)

■「木偶」121号(『木偶』編集室 編集・発行 田中健太郎氏)を拝受、野寄勉氏の評論「井上光晴の小説『ガダルカナル戦詩集』-本物を読めよ」をとても嬉しく拝読致しました。誠にありがとうございます。「これといったストーリーのない」「主人公は誰でもなく、「詩」そのものである。」(浅田次郎)。「自己を救済する道は、自己を否認することによってしか可能とならない。絶対的な思想との同化による自己脱出という倒錯に満ちた浪漫精神を、わたしは指摘したい」(高野斗志美井上光晴論』)。「〈まるで自分だけが戦争に協力しているようなことをい〉い、秘蔵の佐久間東雄の本を久保宏に献呈しながらも、密かに自傷行為を続け徴兵忌避を目論む」野沢英一の「二心が発する心音の乱れ」を、文芸評論家高野斗志美は「救済と処罰の息づまる絡みあい」「世界と反世界の分裂」と表現しました。『ガダルカナル戦詩集』を収録した講談社の『われらの文学20井上光晴』、『井上光晴論』(高野斗志美)、『ガダルカナル戦詩集』(吉田嘉七)が手元にあります。戦後しばらく経った昭和47年に創樹社から出たもので、小島信夫が「戦争中読んでいたら、感心したかもしれない。」と序文に書いています。

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■宮尾節子さん特集!!の「すぷん」5号(発行者・坂多瑩子氏 発行所・書肆かまど屋)

■宮尾節子さん特集!!の「すぷん」5号(発行者・坂多瑩子氏 発行所・書肆かまど屋)を拝読させて戴いております。ご恵贈賜り、誠にありがとうございます。
 西原真奈美さんの宮尾節子論「渡る、渡る、私を渡る」…詩集『かぐや姫の同居』に所収の詩篇「私を渡る」、「地鳴りのようなシャーマンの声や言葉やリズムが立ち上って」「生死の海を渡って到着」するような朗読との、時間が止まるような出会いが書かれています。その聲は「私」を詩の本質へ導く一本の橋。たった一つの「詩法」として紹介される吉原幸子の「さうして、かなしみにも陽があたる」という言葉も懸け橋でしょうか。
 多様性の問題、当事者性の問題についても語られる宮尾節子さん、田島安江さん、坂多瑩子さんの鼎談も興味深く、坂多瑩子さんが「宮尾さんの詩は「ひと・こころ・いのち」である」と語る詩論「すべてのことばよ、すべての蝶の幼虫であれと願う。」からも詩についての学びがあり、幼い頃母に連れられ、故郷の市民会館で聴いた岡林信康のコンサートを想起していました。子どもだったのでわかりませんが、「山谷ブルース」を聴いたかもしれません。心より感謝申し上げます。

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■『風雪という名の鏨~砂澤ビッキ』(酒井忠康著 未知谷)

■『風雪という名の鏨~砂澤ビッキ』(酒井忠康著 未知谷)を拝読させて戴いております。ご恵贈賜り、誠にありがとうございます。作品《風に聴く》(1986年)の写真のページ(P16)にある「自然との交感というのは、自然との和合ではない。一種の畏怖の念が、自己の内部に発酵させる不安と危機の意識と結びついて、自然そのものの力にすべてを捧げる、という神話作用を導き出す。」という言葉に畏怖を覚えております。「夢と現実との境界に投げ出された、ひとりの彫刻家の、その野太い声で天界へ告げられた慟哭の結晶化」。「いずれ鳥の巣から腐食がはじまって、朽ちて斃れる」《四つの風》。腐食も、自然の循環(…自然そのものの力にすべてを捧げる…)も、風雪も鏨。つらい経験は人生に詩を刻むのかもしれません。郷土誌「あさひかわ」を発行されていた渡辺三子さんが、いつも砂澤ビッキのことをお話されていました。ビッキの彫った「あさひかわ」の看板が、東鷹栖支所に展示されています。旭川にお墓のある、砂澤ビッキのことを学びたいと思います。心より感謝申し上げます。

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(グラフ旭川・8月号に掲載 ~旭川中2いじめ事件について~) 「常識は変わる  ~ 旭Asahikawa川 ・Poetry詩 ・Literature文学・Philosophy哲学 ・Thought思想」   旭川市文化奨励賞 受賞講演 柴田望 令和三年十一月三日

(グラフ旭川・8月号に掲載 ~旭川中2いじめ事件について~)

「常識は変わる  ~ 旭Asahikawa川 ・Poetry詩 ・Literature文学・Philosophy哲学 ・Thought思想」 
 旭川市文化奨励賞 受賞講演 柴田望 令和三年十一月三日
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 いまから四年前(二〇一七年四月二十二日)、札幌市豊平館で行われた詩の朗読会に、詩人・宮尾節子さんにお呼び戴き、参加しました。当時私は、札幌で朗読をするのは初めてでした。お客さんは四〇人くらい?来ていました。自己紹介で、私が旭川から来たことをお話すると。会場は騒然としました! 「おい、あいつは富田さんの弟子らしいぞ」「旭川の詩人だ!」。「富田さんは元気か?」「東先生はお元気か?」など、全道から集まっていた詩人の皆様に、お声掛けを戴きました。旭川の詩人であることが、どんな意味を持つのか、この日私は思い知りました。それは大いなる歴史の流れに身を置くことでした。
 詩誌「青芽」。昭和二十一年に創刊された、詩の雑誌です。戦争の時代、特攻隊を見送る通信兵だった富田正一さんが十八歳で復員し、「心のよりどころを作ろう」と決意され、十九歳から九十一歳の間、七十二年間発行を続けました。日本現代詩人会や日本詩人クラブよりも古く、全国千五百人以上の詩人が関わりました。主宰は富田正一さん。旭山動物園のイメージソングの作詞もされた方です。今年四月七日に逝去されました。
 富田さんはいつも言っていました、「旭川こそ、北海道の詩の原点。全国から名だたる詩人が旭川を訪れたのだ!」
 確かに、昭和十一年に鈴木政輝が、北海道詩人協会を発足し、四条通七丁目に事務所を構えています。萩原朔太郎と親しかった旭川の詩人、鈴木政輝。そして小熊秀雄、今野大力、小池栄寿は、三月に上演された旭川歴史市民劇「旭川青春グラフィティ ザ・ゴールデンエイジ」に登場しました。小熊秀雄、今野大力は常磐公園に詩碑があります。小池栄寿は小熊秀雄大親友。「交友日記」を残しています。富田正一さんは小池栄寿から学びました。富田さんや、旭川文学資料館・前館長の東延江さんたちが、ゴールデンエイジの流れを汲む、とてつもない詩人たちと、旭川の詩文化を築きました。小熊秀雄の親友である小池栄寿から学んだ富田正一さんが、「心のよりどころ」を作るために人生を捧げた…これはとても興味深いことです。「心」とは何か。
 いま、旭川は中学生のいじめの問題で全国から注目されています。大人である私たち一人一人の胸に突き刺さる事件です。未来を担う子どもたちのために、私たちは何をしてきたのか? 現実的にどういう対応をするかという問題があります。同時に、中学、高校、大人になっても、あらゆる集団や組織の中で、他者と、あるいは自分の心と、どう向き合っていけばいいのか、恐怖や戸惑いを感じながら、多くの人が暮らしているという、普遍的な精神の問題に、文学は立ち向かわなければなりません。
 いまから九十八年前、大正十二年、この旭川で、牛朱別川に身を投げた、十六歳の少女がいました。山田愛子さん。友人関係の悩み、複雑な家庭環境も背後にあった。そのことを、興味本位ではなく、少女の心に寄り添った、素晴らしいルポルタージュを書いた、当時の旭川新聞の記者がいました。それが「黒珊瑚」、小熊秀雄です。旭川で青春を送った小熊秀雄は、常に弱い側に立ち、行動し、発言した、強くて優しい詩人です。差別や偏見をなくそう、多様性を守ろう、という声が世界的に高まり、SDGsの目標でもあります。小熊秀雄は百年前から、弱い側の味方でした。
 皆様、「アンパンマン」をごぞんじですよね? お腹がすいた子に、「ぼくの顔をお食べ」と差しだす、強くて優しいヒーローです。その「アンパンマン」よりもずっと前に、小熊秀雄は魚の童話を書きました。『焼かれた魚』。海に帰りたくて、動物たちに自分の体を食べさせて、海へ運んでもらう。猫もねずみも、犬も、カラスも、魚を騙して、途中までしか運んでくれません。すべてを失い、骨だけになった魚を、アリたちがかわいそうに思い、海へ落とす。すると魚は、ようやく夢を叶えて喜び、狂ったように泳ぎ回り、やがて砂浜へ消えていく。そういうお話です。
 価値とは何か。お金持ちにならなければ、人に価値はないのか。たとえば震災で財産をすべて失った方や、犠牲になった方たち、戦争で、家も家族も自分の命も失った人に、あなたには価値がない、資本主義社会のテストで0点ですね、なんて言えないですよね? 本当の価値とは何か。小熊秀雄の童話を題材に、存在について、哲学の言葉で問いかけた、文芸評論家がいました。旭川から全国にその名を知られ、火の出るような評論を書いた、高野斗志美先生。その高野先生が研究された、旭川ゆかりの小説家・安部公房は、あと何年か生きていたら、ノーベル文学賞を受賞していました。東鷹栖、近文第一小学校に記念碑があります。満州で敗戦を迎え、社会が根底から壊れるのを目の当たりにした安部公房は、非常事態が常識に変わる、まさに今のコロナ禍を予見するような小説を、七〇年前から書いていました。常識が変わる。人類はそうした局面を何度も迎えているはずです。
 子どもの自殺が増えています。自分は間違っている、だってそれが〈当たり前〉だもん、死んだほうがいい。という孤独な魂に対して、いやいや、〈当たり前〉っていうのは変わるんだ。きみは間違いじゃない、きみは素晴らしい、と、文学は呼びかける。
 みんなが〈当たり前〉のようにあの子をいじめている。ちがうんだ、その〈当たり前〉は変わるんだよ、いじめは良くない、あの子を助けよう。「心」を、行動を変える想像力、それが文学の力です。
 この困難な時代の「心」が、旭川の文学によって支えられる、救いとなれる。旭川の文学という「心」の財産を、多くの方たちに知って戴く、そのための活動を、行って参る所存でございます。これまでも多くの方からのご支援、ご協力を賜り、誠にありがとうございます。今後ともどうか、ご指導、ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。

【動画】
https://youtu.be/uEBpNpSA6BY
柴田望 ~常識は変わる 富田正一 小熊秀雄 高野斗志美 安部公房 文学の街・旭Asahikawa川~ 令和3年度旭川市文化奨励賞受賞講演 2021年11月3日

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