詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

青木由弥子さんの詩集『空を、押し返す』(2022年9月27日)

■憧れの詩人の作品を読むことは、その詩人の波動の高まりや、創作時の思考に触れることができる(と感じられる)貴重な機会です。青木由弥子さんの詩集『空を、押し返す』(2022年9月27日)を何度も拝読しつつ、毎日の戦争の報道や、露・ウ両側の年頭演説に触れ、多くの命が犠牲になっている、情況への感応の問題を考えさせられています。「よく覚えておきなさい/私を怒らせたとき/それは地上の滅びるとき」(「ペレ・アイホヌア」)、7章構成のハワイ神話の火山の女神の怒り、「崩壊」、「疾駆」、「ハンプティ・ダンプティ」、ミャンマーの抵抗詩を参照した「ジャムを煮る」に震撼しました。「祖父の話」の戦後は終わっていないという実質感にも。生と死のサイクルは人間の欲望の環の外に巡る。「ロシアを追い詰めれば核戦争を引き起こす、その恐れが世界中の傍観を招いている……としても、命と引き換えに、太い腹を揺すって嗤っている者がいる。」(「あとがき」より)。「正しい戦争など存在しない」「放送の自由の無い言論の自由などゼロに等しい」(『ピサ詩篇』)と書いたエズラ・パウンドは、二度の世界大戦が終わっても、利子制度こそ「次の戦争の種」と予見していました。
 彫刻家の舟越保武の言葉(「美しいと感じるのは、見る人の心が美しいから」)が引用された詩篇「メモ・ノート」はまさに詩の神髄が書かれてように思いました。見る側が「自分の中」を投影する。百人の読み手によって百通り読み方は異なる。詩も、歴史も、現実のいかなる事象も。

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■2022年12月13日の北海道新聞にて、詩誌「饗宴」主宰の瀬戸正昭さんの書評で大きく紹介されていた『ポーランディア 最後の夏に』(工藤正廣著・未知谷 2022年9月15日)

■2022年12月13日の北海道新聞にて、詩誌「饗宴」主宰の瀬戸正昭さんの書評で大きく紹介されていた『ポーランディア 最後の夏に』(工藤正廣著・未知谷 2022年9月15日)を拝読させて戴きました。ありがとうございます。「むかしの夢幻 時を得た物語」…、新しい物語として蘇生された「頌歌であり鎮魂歌」、「現実のおとぎ話」。グダニスク大学での講演「詩人の運命」で、マサリクの「愛らしいポーランド語」で語られる、権力者と詩人の対決、マンデリシュタームについてのスターリンパステルナークの電話は、評伝詩集『永遠の軛』(工藤正廣編・作 未知谷 2015年9月15日)で語られる、最も印象的な場面の一つでした。講演の最後と、オリガ・イヴァンスカヤを訪ねたときにも朗読されるパステルナークの詩篇「発着駅」を、『パステルナーク全抒情詩集』(工藤正廣訳 未知谷 2011年10月5日)の索引から見つけて読み、特別な時間が込められた作品として鑑賞することができました。マサリクとドロータが語り合った小樽の古風な喫茶店は、駅前に昔あった「エンゼル(ENZEL)」でしょうか。心より感謝申し上げます。

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■詩誌「複眼系」Vol.58(ねぐんど詩社 2022年11月30日)

■詩誌「複眼系」Vol.58(ねぐんど詩社 2022年11月30日)を拝読させて戴きました。ご恵送賜り、誠にありがとうございます。
 冒頭に板垣美佐子さんの「9月の花」、吾亦紅(ワレモコウ)の紅色の穂が風に揺らぐ「暮れゆく時間」。花は時間である。「後悔なのか懺悔なのか」永い道のりを「溯及」し、生と死のあわいで過去の足音や呟きに耳を澄ます。
 風野中さんの「「新世界から」より」、『「新世界から」より家路』、アントニン・ドヴォルザーク交響曲第9番 ホ短調、「「から より」と云う言葉がとても快く思えた」という新鮮な詩的なご指摘。環境の変化、様々な出会い。「時間が透明な赤のグラデーションで/ゆっくりと流れていた」そのときの音楽。
 本庄英雄さんのエッセイ「「開拓百年記念塔」の思い」、風雪とさび、歴史上の軋轢について等、興味深く拝読。「後記」で米谷文佳さん、渡辺宗子さんの1999年の詩集出版お祝いの会のお二人の写真も嬉しく拝見させて戴きました。心より感謝申し上げます。

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■小杉元一さんの詩集『うたうゆうれい』(藤田印刷エクセレントブックス)

■小杉元一さんの詩集『うたうゆうれい』(藤田印刷エクセレントブックス)を拝読させて戴きました。ご恵送賜り、誠にありがとうございます。最後の鬼についての散文詩三部作(「ほのほ」「走る鬼」「唐船」)が圧巻でした。昨年のNHK大河ドラマで観た陳和卿、実朝、後鳥羽上皇…海に浮かなかった唐船建造のエピソードを想起しつつ拝読しました。鬼やゆうれいや悪魔は、言葉や詩や想像力の中で繰り返し貌づくられ、現実化していく通路のように思えました。「明治の道はいっぽんみちでだだぴろい/わたげははるかとおくまで/かぞえきれない物語となってとんでゆく」…詩篇「明治のたんぽぽ」も映画のようで、行間のあちこちから鬼や幽霊の気配がこの詩からも立ち昇り、こちらの顔を覗いてくるようです。心より感謝申し上げます。

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■鳴海篁詩集『光の中へ』(写真:青山秀行 編集:中江庸 印刷・製本:アイワード 2022年10月28日)

■鳴海篁詩集『光の中へ』(写真:青山秀行 編集:中江庸 印刷・製本:アイワード 2022年10月28日)を拝受致しました。ご恵贈戴き、誠にありがとうございます。
 筆名の「篁」は中村喜代子さんに捧げられた詩篇「行間のエール」に登場する小野篁からでしょうか。室蘭の詩誌「詩邦人」に掲載の作品も、詩集では印象が異なります。写真とのコラボも光のように詩と響き合いう、死と再生の詩集。「カロート」(お墓の中で遺骨を納める・安置するスペース)という言葉が登場する詩篇「セラミック」、「生命の環から」はじき出されても、「君は土には還らない/カロートの中から/白い光を放ちつづけ/今日も明日も 私たちを見守るがいい」(「セラミック」)。次の世代へつなぐ、生命の季節のサイクル。「相生と相剋の宇宙は/たがいに引きあい惹かれあう/永遠回帰の神話」(「光の中へ」)、表題作の註釈に『ツァラトゥストラ』の最後に永遠回帰が肯定的に書かれていた(「これが人生か、では、もう一度!」)とあり、『この人を見よ』にも永遠回帰が「およそ到達しうる限りの最高の肯定の定式」とされていたことを憶いだしました。心より感謝申し上げます。

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■木内ゆかさんの新詩集『あぁ そうやって私たちは 日ごと夜ごと千年先まで』

■木内ゆかさんの新詩集『あぁ そうやって私たちは 日ごと夜ごと千年先まで』(銀河書籍)、2021年11月22日のご出版を遅ればせながらお祝い申し上げます。「阿吽通信」、『詩的●▲』、「フラジャイル」、「空豆本/シェヘラザード」、「北海道詩集」掲載作や、日本現代詩人会の第21期・23期入選作も収録! 
 シンフォニー的な「スプーン」に注目。食卓の宇宙ではスプーンは蕾の雫であり、熱し易く冷めやすい種族、金属同士が触れ合う熱伝導であり、三十六℃の粘膜を遊泳させる。ステンレスの窪みで逢う、かそけき「ヒト」が熱と一緒に沈める「オト」であり、一文字の輝く永遠の棺、千年の眠りを覚ます。北向きの台所やテーブルの銀河の断面、サンドウィッチの、ダミアンハーストの『母と子、分断されて』を想起させる宇宙時間の綾なす堆積(「断面についての断章ブログ」)が工事現場の残酷さを照射する。永い沈黙の巨大な「動物」の時代に、日ごと夜ごと意識を眠らせている。

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■『鈴と童子と道元と』 彩画:治海 文:山尾三省(地湧社 2022年12月8日)

■『鈴と童子道元と』 彩画:治海 文:山尾三省(地湧社 2022年12月8日)
 「道元には、よく知られているように『正法眼蔵』という大著があり、その中のいたるところには私たちを火と化し、水と化し、空と化する、深いことばの山川が息づいている」その息づかいに童子の鈴の音が宿っているよう。もしくは只管打坐(しかんたざ)、「自己という鍵を鍵穴(関心)に差し込んで回転させる」そのときの音だろうか。情報の速度に追われ、昨日までまったく聴けなかった私の耳にも、「親和力」「創生力」の魔術を持つ歓喜童子の鈴の音が森のざわめきのように浸みていく。自己を忘れる自覚への導きの呼吸を与えて戴き、心より感謝申し上げます。

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