詩誌『フラジャイル』公式ブログ

旭川市で戦後72年続く詩誌『青芽』の後継誌。2017年12月に創刊。

■10月1日(土)、三浦綾子記念文学館にて、「文学講座~旭川の小説家を読む~三好文夫『ペシトレェトの咄(はなし)』」(講師:石川郁夫)。

■10月1日(土)、三浦綾子記念文学館にて、「文学講座~旭川の小説家を読む~三好文夫『ペシトレェトの咄(はなし)』」(講師:石川郁夫)。久しぶりに石川郁夫先生のお話を聴くことができました。
「《いまは差別なんかない》という論理に身をまかせ、過去の罪業を忘れ、のうのうと現在を生きていこうとする私たち日本人のずるがしこいプラグマティズムをはげしく告発し、その頸さによって作家の自立をかちとった」(高野斗志美
 アイヌの問題を日本の問題として死ぬまで追及した一人の小説家・三好文夫。石川先生と平泉美智子さんによる『ペシトレェトの咄』(1960年)の朗読。『ラウンクツの女』(1966年)、『重い神々の下僕』(1965年・直木賞候補)の作品紹介、旭川市常盤公園の北海道開拓記念碑『風雪の群像』のエスキースへ三好文夫が彫刻家・本郷新に送った「公開状」論争のこと。林美脉子さんが昨年、詩集『レゴリス/北緯四十三度』 に書いた、年内にも解体される百年記念塔の問題について、ウポポイや川村記念館、今年没後100年の知里幸恵関連イベントのことについても、深く考えさせられました。石川先生の「三好文夫が生きていたら何て言ったか…」「作家がイメージを言葉に置き換えて書いた作品を読むのがすべて」「作品を鑑賞し、皆さんそれぞれの中で作品が生まれる」という言葉が深く心に残りました。

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■高野斗志美先生のこと

■先日、北海道文学館より館報に載せる「心に残る一冊の本」という短い原稿の依頼を戴き、高野斗志美先生が編纂した『新潮日本文学アルバム「安部公房」』(新潮社 1994年)を紹介させて戴きました。新潮日本文学アルバムの編纂は、日本で一流の文芸評論家に任せられる仕事です。この本に書かれた「安部公房の作品は、現実をたんに描くのではない。それを破壊するための仮説と実験の空間である」という高野先生の一文が、現在の世界情況の断面を鋭く照らすようです。
 今年は高野斗志美先生(文芸評論家・三浦綾子記念文学館初代館長)の没後20年。10年前、2012年には旭川文学資料館にて「高野斗志美展」が行われ、多くの市民が足を運びました。展示室には高野先生の講演CDもあり、優しい笑顔で私にCDを聴かせてくださったのは、当時の東延江館長でした。「敗戦により完全な無価値というものを知覚した。《おまえは幻にすぎない》という恐ろしい声にとらわれた」…あの日、10年ぶりに高野斗志美先生の声を聴き、大学時代の想い出が堰を切ったように甦りました。
「日本の地に足がついているか?」…1995年、旭川大学高野ゼミでの先生からの最初の問い。友人たちは、祭りや着物、日本の文化が好きだとか、そういう返答をしましたが、私だけが、聴いている音楽も観ている映画も、翻訳ですが文学も海外のものばかり読んでいるので、「日本の地を意識していない」と答えました。その後研究室に呼ばれ、音楽について問われ、特に英米文学の影響、ヘンリー・ミラー以降、ビート・ジェネレーション作家たちはジャズに影響を受けて書き、ボブ・ディランルー・リード、ドアーズのジム・モリソン等、60年代のミュージシャンに深い影響を与えた。文学と音楽の繫がりや社会的な動きについて堰を切ったように語った記憶があります。学生のこうした文学や音楽についての話を興味深く聴いてくれたのは、大学では高野先生と山内亮史先生くらいでした。ランボーニーチェが音楽に与えた影響などを語り、ニーチェの能動的ニヒリズム永劫回帰の思想等、私の拙い理解に耳を傾けながら、先生は専門的な補足をしてくださいました。こうして19歳の私と、66歳の高野先生が出会い、私は毎週研究室へお邪魔し、次の講義までの空き時間に、文学についてや、先生の経験されたことについて、沢山の貴重なお話を伺いました。
 「30代までは夜通し書けた。書いて書いて書きまくった」「ひと晩に50枚書いた」「あのころのものは鋭かった」「大江健三郎が出て来たとき、追い越された、と思った」「大江も安部も最後はガルシア・マルケスに膝を折った…」「村上春樹ノモンハン事件を書いたが、核心から逃げている」「35歳で「オレストの自由」を書き、新日本文学へ送った。これなら中野重治も読むと思った」「安部公房が《ありきたりかもしれないけれど、とても可能性のある人だよ》と評価してくれた」「『安部公房論』は閃いて、二週間くらいで一気に書いた」「『密会』がノーベル文学賞で問題になった。みんな『密会』が理解できなかった」「持っていた安部公房の資料はぜんぶコロンビア大学に寄贈してしまった」「吉本隆明の雑誌に書くことになったが、感情の行き違いで絶縁した」「埴谷雄高さんはいい人だった」「野間宏さんには世話になった。がんばれよ、といつも言われた」「井上光晴は破天荒だった」「雰囲気の変わった女性を見かけると、すぐにどこかへ連れて行く」「文学的な権威への反抗心も凄まじかった」「井上光晴の死後、全原稿を500万円で買わないかと古本屋にもちかけられたが断った」「中国へ行く直前に、井上光晴が死に、帰国したとたん安部公房の死を知った」
 三浦綾子記念文学館のボランティア参加、文芸同人誌「タイムポテンシャル」の創刊…、高野先生には沢山の貴重な機会を戴きました。ある夜、何かつらいことがあって高野先生に電話すると、先生はこう答えてくれました。「ポール・ニザンに《20歳が綺麗だったとは言わせない》という言葉がある。青春の時期にも、大人社会の時期にも汚いことはある。困難な時代を、今は一歩一歩進むしかない。」「書き続けなさい。きみは文体によって、いつか自分自身が引き裂かれてしまう時が訪れる。文体がひとりでに立ち上ってきみから離れていくという時が、きっと来る。」
 私が卒業すると仕事が忙しく、なかなかお会いできなくなり、それでもたまに旭川で、例えば三浦綾子記念文学館の館長室でお会いしたこともあります。あるとき東北大学太宰治研究の冊子を私に送ってくださって、高野先生が序文にこう書いておられました。「私は今でも、太宰治を意識している」…その一行に文学を生きる凄まじく熱いものを感じ、お礼状を送り、すると「元気か?」とお電話を戴きました。それが高野斗志美先生と文学的な言葉を交わした最後だったと記憶しています。

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中尾敏康さんの詩集『暗夜巡礼』(土曜美術社出版販売)

■詩誌「晨」、「薇」でいつも作品を拝読させて戴いております、中尾敏康さんの詩集『暗夜巡礼』(土曜美術社出版販売)を拝読させて戴きました。ご恵贈賜り、心より感謝申し上げます。
 例えば「おれは女の麦粒腫に/かぎりなく薄い銀の膜を/鍍金のように被せて/そのまま川に沈めた」(「鈴の音」)や、表題作「暗夜巡礼」の「そして写真の中で/俯いてはにかんでいた貧しい少年が/独り昏い海の底に/声さえたてずに沈んでいったことを/誰も知らない」のようなハードボイルド風な語り口で、激動の時代をくぐり抜けた視点から、人間の存在の根源に迫るような詩の書き手で、中尾敏康さんのどの作品にも潜む独特なニヒルな昏みに惹かれます。
 この詩集の最後から二番目に置かれている(以前「晨」に収録されていたと記憶しています。)詩篇「金魚」が少し異色な感じで私は好きで、金魚売りを追いかけた少年時代の罪、小さな死と少年の悲しみの理由、祖母を想う「なつかしい痛み」……昭和の情景が夕闇のように広がっていく。「ふるさとに眠る金魚は/とうに土になっているはずだ/あのとき/祖母が金魚と一緒に埋めてくれた/少年の罪も土に還っているだろう」(「金魚」)。

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■詩誌「ファントム」6号(発行 為平澪氏 「ファントム」編集室)

■詩誌「ファントム」6号(発行 為平澪氏 「ファントム」編集室)を拝読させて戴きました。詩人の息吹が感じられるような、一篇一篇の存在感。詩が大切に収められている、詩誌の理想形にて、目標にしたいと私がいつも考えている素晴らしい詩誌です。毎号、貴重な勉強をさせて戴いております。
 巻頭に小林坩堝さんの「記念日に」。「われわれの敵など何処にもいない/われわれはわれわれであり続ける為めに敵を探し/合わせ鏡の無間地獄/そのたびにわれわれの憎悪が増殖していく」という厳しい詩語で、ミサイルと制裁、世界が「敵」を創出し増殖させる情況下に「日付が語らなかったもの」を信じたいと詩の言葉で希う。
 石川敬大さんの詩篇「聴雨と羽化」は、詩作の実況のような傑作。「聴こえない無音」の「雨音」や「聴きとれない蛾の羽音」に耳を傾け、「沸点に達して転調」させ、「宙吊りの行間で透水の推敲を重ね塗り」し、指から裂けて「変態」する。詩を何度も何度も失敗しながら諦めず推敲し続ける一人の詩作者としてこの詩篇に勇気づけられ、「変態」を決意致しております。
 福島泰樹氏、一色真理氏、大谷征矢氏が1965~66年の早大闘争《27号室》について、現場の声や熱度をリアルを届けるようなとても貴重なエッセイ・証言を寄稿されています。これを読み、福島泰樹氏の絶叫短歌のコンサートを学生の頃、90年代に旭川市民文化会館の大ホールで観たことを憶いだし、頭脳警察のドラムの石塚氏とご一緒の演奏で、あの魂の底から発せられるような絶叫は1965~66年のこうした時代を通過した聲だったのかという気づきと、昨年発行された田中綾先生の『書棚から歌を二〇一五‐二〇二〇』(しまふくろう新書)に紹介されていた福島氏の短歌「奇麗に生き幸福を噛み死んでいった戦う故に君らは往った」の「戦う故に」という言葉が与えてくる意味の深みも変わってくるような気がしております。峻烈な文学的戦い。「半世紀前、言葉がリアルに血と汗を流していた時代」(「ファントム」6号「編集を終えて」より)。

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■橋場仁奈さんの新詩集『あーる/、は駆ける』と『血はねむり血はけむり』(いずれも荊冠舎)

■橋場仁奈さんの新詩集『あーる/、は駆ける』と『血はねむり血はけむり』(いずれも荊冠舎)の二冊をご恵贈戴きました。誠にありがとうございます。詩誌「まどえふ」が終刊になり、残念に感じておりましたが、「まどえふ」のメンバーであった3人の詩人の皆さんが「グッフォー」に参加されたという嬉しいニュースを聴きました。
 白い詩集『あーる/、は駆ける』のほうは、スラッシュや「〇」「()」「、」といった記号やアルファベットが多様された前衛的な作品が収められ、黒い詩集『血はねむり血はけむり』は前述の記号等は見当たらないけれども、前衛的な作品集で、「まどえふ」で拝読した作品もあります。どのように前衛的と私が感じるかというと、普通の読書は、読者が文や詩を読みにいく、という行為だと思うのですが、橋場さんの詩集は、作品のほうから詩句が読者のほうへ飛び込んでくる、という根源的に普通の読書とは異なる体験で、記号によって区切られ浮き彫りにされたり、ある意味呪術のように効果的に繰り返され、命を吹き込まれた詩句たちによって編み出されたイメージが、読者に向かって垂直に立ち上ってくる、言語そのものが純粋に語りかけてくるような、あるいは見えない力によって「引きぬく」ような神秘の慣性の物理で、こちら側へ向かって引きぬかれて飛ぶ、走る、バタバタと走り回る…。最初に読んだときの(トラウマのような)衝撃を再び詩篇「引きぬく」に与えられております。心より感謝申し上げます。

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■渡ひろこさんの詩集『柔らかい檻』(竹林館)

■渡ひろこさんの詩集『柔らかい檻』(竹林館)を拝読させて戴いております。ご恵贈賜り、心より感謝申し上げます。
「黄泉の国とは煙で繫がっているのよ」という一行が印象的な詩篇「迎え火」。お盆に故人が家に戻ってくるとき「家はここですよ」と目印として焚く…新海誠監督の映画『天気の子』に迎え火をまたぐシーンがありました。黄泉の国との繫がり、人類が直面した堅牢な檻の情況である過去との繫がり。定めや隔たりが薄くなる地点を編みだし、過去の大切な記憶やかけがえのない人との関りを、8月15日に発行されたこの詩集に収められた一篇一篇が現代に顕現させ、気づきを与えてくれるようです。
 マコウスキーの絵画「ルサルカ」を幻視させる詩篇「謝肉祭」の中にある「懺悔の前に知っておくがいい/予言者の言葉を信じてはいけない/告知は形だけの体裁に過ぎないから/此処には加害者も被害者もいない/抗えない時点ですでに共犯者なのだ」という聯が印象深く、檻が音もなく迫ってくるような、今の世界への警鐘のように感じました。

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■三宅鞠詠さんの詩集『夢*とりかへばや』

■三宅鞠詠さんの詩集『夢*とりかへばや』を拝読させて戴きました。ご恵贈賜り、誠にありがとうございます。とても謎深い魅力的な詩集で、ミステリ小説のように何度も惹き込まれたのですが、読者として謎のままにしておきたい深みに何度も足をとられ、そこが環状の神話的空間への入口のように感じられます。出生の秘密、罪の有無、本当と嘘、フィクションとノンフィクションが幾層にも織り合わされた芸術。幼い頃祖父母の家で、大人たちが、会ったこともないたくさんの親戚の名前たちを浮かび上がらせ(今聞いても多分私にはわからない)、多層な人生の物語を織り合わせるのを夜聴きながら、たくさんの夢を見た記憶が蘇りました。嘘の人生、戸籍上の死のイメージが後半、作為的な詐欺や殺しといったリアルな恐怖の色を帯びていく、ストーリーの断面に導かれました。詐欺師たちの夢に「カフカ」が登場。「変身」の芋虫と人間、胡蝶の夢の蝶と人間……、「とりかへばや物語」はもしかしたら変形譚の一種かもしれないと考えました。貴重な勉強の機会を賜り、心より感謝申し上げます。